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『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2011/10/23  パーソナルコンピューターのパーソナルとはスティーブ・ジョブズその人のこと

 ジョブズの追悼番組で茂木健一郎がウィンドウズを腐したことを追悼に相応しくないと云ってる人が多いことに驚いた。ジョブズは常にウィンドウズを貶してきたし、自分の追悼の場に出ても貶していただろう。これほどジョブズ追悼に相応しい言葉はない。
 またそれに対して西和彦がムキになってケンカするのも、まことに子供っぽく激情家だったジョブズの追悼に相応しい光景だが、しかし「そんなこと云うな」という西さんの姿勢はいただけない。「Winは糞」と云われたら「Macのほうがもっと糞」と云い返せばいいのであって、ビル・ゲイツがこの場に出ていたらそう云ったのではあるまいか。言葉は選んで、もっと皮肉な、ライバルへの愛憎の籠もった云い廻しにはなっただろうけども。
 西さんは自分で創った者でなければそんなこと云うべきではないとほんとに思っているのだろうか。ウィンドウズがマトモになったのも、創りもせずに「Winは糞」と云い続けた人々のおかげで、その筆頭であり最大の貢献者はジョブズだったのだが。そして、アップルの数々の傑作に対するジョブズの関わり方もそれとまったく同様だったのだが。この最も肝心な勘処が判っていないようでは、それこそジョブズ追悼に相応しくない。

 私のような古参のジョブズ信奉者は、この番組への反応だけではなく、世間のジョブズへの賞賛の仕方にあまりにも深い違和感を覚えている。異次元空間に填り込んだかの如くの戸惑いだ。同じ時代のスティーブン・ジョブスを見てきて、そのジョブスに振り回されることで得も云われぬ快美感に貫かれてきたであろう小田嶋隆の追悼文には罵詈雑言の言葉が並んでいて、見知らぬ惑星から母なる故郷に帰ってきたようになんだかとってもほっとする。スティーブン・ジョブスからスティーブ・ジョブズへと名前が変容するとともに、現実空間が歪曲してしまったのだろうか。

 彼にまつわるCrazyだとかfoolishだとかいう言葉を、古い常識に囚われた人々からはそのように見えるというような意味に好意的に解釈している人もいるようだが、実際はそうではなく、スティーブ・ジョブズは文字通りの気違いで愚か者で性格破綻者だった。自らが創業したアップルを追い出されたのも、経営の問題より彼の人間性の問題のほうが大きかっただろう。
 AppleIIの産みの親、ウォズの手柄を横取りし、いまとなってはウォズに対する仕打ちがどの程度のものだったのかは情報が錯綜していてはっきりしないが、当時は利用価値がなくなるとゴミくずのように捨て去ったとアップルファンには信じられていた。娘リサは認知もせず養育費も払わず顔も見ず捨て去り、その娘の名をつけたLisaの開発を迷走させプロジェクトから追放されるとLisaをつぶそうと画策した。ジェフ・ラスキンがやっていたマッキントッシュ・プロジェクトを乗っ取り、天才的な開発者たちをぼろぼろになるまでこき使ったあげくに大した報酬も与えず手柄は横取りした。あげくに会社を追い出される。正確には自ら去ったのだが、すべての権限と仕事を取り上げられ、この先に何をすることも禁じられたので、クビと同じだ。

 私がマックにほんとに注目したのはHyperCardが登場した1987年でジョブズはすでにアップルを去っていたが、ハイパーテキストだのザナドゥーだのメメックスだの初めて目にする概念に夢中になっていた翌年に、完全に終った人だと思っていたジョブズがNeXTコンピューターを引っさげて颯爽と再登場したときは無茶苦茶興奮したもんだ。これが莫迦莫迦しいばかりの美学の塊だったからだ。
 なんせ形が一辺が1フィートの正立方体だとか、正確な角度28°にこだわったロゴに10万ドル掛けたり、当時は最先端だけどスピードが壊滅的に遅い光磁気ディスクをメインの記憶媒体にしたりと、実際の使い勝手とまったく関係のないところばかりに凝りまくったジョブズの美意識の結晶だった。
 恰好よろしいけど、値段も莫迦高いし、ネタとしてはおもろいけど売れんだろなあと思ってたらやっぱりまったく売れなかった。美学の清々しさと莫迦莫迦しさで大笑いしたもんだ。
 ところがまったく売れないOSが何故か生き延びて、洗練されて、とうとうアップルがジョブズごと買い取ることになってしまった。いまのマックの中身はNeXTそのまんまだ。
 まさかこんなことになるとは想像だにしなかった。ジョブズの云う、点があとから線として繋がってくるというやつだ。ハイパーリンク的とも云える。

 アップルを追放されてからは人間が丸くなったと私も思ってたし、西さんも追悼番組でそんな話をしているけど、またアップルに舞い戻ってきたときに社員だった人の話を読むとあんまり変わっていなかったようだ。実際にiPodiPhoneの産みの親だったトニー・ファデルを追放して自分の手柄にするという、相変わらずのことをやってるし。
 改めて調べてみると「アップルを追放されてから人間が丸くなった」というのは、NeXT社の広報が意図的に流していた形跡がある。あの頃のNeXT社は資金が乏しいのにコストが莫迦高いマシンを開発していて、ロス・ペローが2000万ドル出資するまで、いやそのあともキヤノンが1億ドルを出資するまでは、投資を呼び込むために彼は生まれ変わったというこんなイメージが必要だったのではあるまいか。ロス・ペローがテレビ番組でNeXT社のことを知って投資したいと電話してきたときに、余裕を見せるためわざと一週間後に返事したというくらい、いまから考えるとわずか2000万ドルに切羽詰まっていた。こんな商売上のイメージ戦略に私なんかもあっけなく騙されていたわけだ。
 キヤノンはペローなんかと違ってアップル時代から付き合いも長く、NeXTに搭載した光磁気ディスクをあり得ないほど無茶苦茶に値切られて、キヤノン販売がセッティングしたNeXT発表会では例の生け花のエピソードもある。ジョブズの人間性は思い知っていただろうし、NeXTはもう駄目だということもさすがに判っていたんじゃないかと思うが、それでも彼の人物に惚れ込んで売れないOSに法外な出資をして救ってしまった。商売ではなく、ここでジョブズを終らせてはいけないという意志が働いたのだと思う。気違いで愚か者で性格破綻者だということを思い知ったうえでなおかつジョブズに填ったのなら、もう逃れようはない。

 最初に記したように、ジョブズは自分では何も創らずに「こんなものは糞だ」と喚いて癇癪を起すか、なんだか訳の判らない美学に則って我が儘一杯の注文を付けるだけだ。しかしまた、その偏屈な完璧主義が役に立つこともある。
 有名なところでは、AppleIIのプリント基板にまで口を出し、見た目も美しくしろと注文したことだ。芸術作品を創っているつもりだったんだろう。しかし、このすっきりとした配線で、AppleIIは製造しやすくなって歩留りが上がり、故障も少なくなった。
 この手のおかしなこだわりの押しつけが、アルテアだとかなんだとかのそれまでの単なる小型のコンピューターを、<パーソナルコンピューター>というまったく別なものに変えてしまったのだ。禅の修行をやっていたのにエゴの塊だったスティーブ・ジョブズという男が、矛盾した性格の強烈な個人主義者であるジョブズが、ある意味で機械に反するはずの、その新しい概念を産んでしまったのだ。マシンを創ったのはすべてウォズひとりの力だったにも関わらずである。

 そのスティーブ・ウォズニアックがブルームバーグのインタビュー
「ただただ驚いている。予想もしていなかった。ジョン・レノンやJFK、マーティン・ルーサー・キング牧師が撃たれたと聞いた時のような気持ちだ」
と語っているのには、いろいろ驚いた。
 ウォズにとってはもう友人ではなく、私らがジョブズを見るのとあまり変わらない距離感を持ってしまっていること、また実際に創ったウォズが、創りもしないジョブズをこんな風に尊敬しているということだ。お人好しのウォズがいまでもジョブズに変わらぬ友情を感じているようなことはあったとしても、こんな具合の尊敬をしているとは想いも寄らなかった。
 CNNのインタビューではもっと具体的に話している。 


「ジョブズ氏は様々なものを発明した。エジソンと比較する声もありますが」

「それはどうでしょう。エジソンは、研究者というか、ラボの中にいる人物だと思います。スティーブはそこを飛び出し、実現する人。人と人の間をつなげて、なにかを作る人。技術的ななにかを理解し、モノを作る人です。そういう意味では、エジソンより上の人物ではないでしょうか」

(ジョブズが残した「ほんとうにスゴイ」ものより引用)

 ウォズは自分こそがエジソンだと自覚しているのだろうか。しかし、その天才ウォズも結局はAppleII以降、何ひとつ産み出せないまま消えてしまった。マッキントッシュを開発したアンディ・ハーツフェルドビル・アトキンソンなんて超絶天才たちも、その後はまったく何もできなかった。
 ジェフ・ラスキン以外はいまも健在のようだが、友だちでもない私らからしたら死んだも同然だ。まるでその溢れ返っていたはずの才能を、歴史に関わる力の全てを、ジョブズに吸い尽されて枯れ果ててしまったかのようだ。ジョブズだけは彼らを使い捨てにしたあとも次々と世界を変革し続けたというのに。
 ジョブズが若くして死んでしまったことを嘆く人もいるようだが、どう考えてもアップルを追放されたときに終って復活などあり得ないはずだったのだから、それから四半世紀も生き延びたのは奇蹟としか云いようがない。ジョブズと違って自ら創ることができる能力を有し、まさかそのまま消えるなんて想像もしていなかった他の天才たちのその後を見ると、あり得ない僥倖だったことが判ろうと云うもんだ。
 いや、それ以前のAppleIIによって、<パーソナルコンピューター>などというまったくおかしなものを産み出しただけでも充分だったのだから。

 そのパーソナル・コンピューターのパーソナルというのは抽象的な個人ではなく、スティーブ・ジョブズその人のことだという基本的なことが、いまだにあまり理解されていないようではある。こんな矛盾だらけで史上初めて人間以上に不合理な道具が生まれたのは、ジョブスという支離滅裂で矛盾だらけのおかしな人物のパーソナリティが憑依しているからに他ならないのだが。自分では何も創らずに、天才たちをこき使って文句を云ってただけでこんなとんでもないことをやらかしてしまったのだ。
 マックのものまねからはじまり、ジョブズに糞だと云われ続けて成長したウィンドウズもまた然り。むしろ、ジョブズの現実歪曲空間が直接発動することができなかった分だけ、ナマの形で反映されているような処さえある。
 こんなことを私は世界の片隅でかれこれ四半世紀近く提唱しているのだが、同じようなことを云ってる人もちょっとはおりますかね。もうずいぶんと長いこと、ジョブズ関係の書物も読まなくなってしまったので昨今のことはよく判らない。
 明日販売される、初めてジョブズが公認したとかいう評伝には、上記のような性格破綻者ぶりがどの程度描かれているのかとともに、この最も重要な点に触れられているのかどうかが気に掛る。つまり、ジョブズ本人にパーソナル・コンピューターのパーソナルというのは己のことだという自覚がどの程度あったのかが気に掛る。
 大型コンピューターとも、ゼロックス・パロアルト研究所のアルトやスターともまったく違う、この奇妙な相手と当面は、あるいは未来永劫、我々は時にはうんざりしながらも付き合っていくことになるのである。

 日本にジョブズは生まれないのかなんて話もあるけど、十年近く前に2002/3/22 シンプルは醜いを書いたときには、これからの家電は表面的なデザインだけではなくコンセプトその物からヲタク作家がデザインするようになって、あるいはジョブズを凌駕することもあるのではないかと考えていた。その頃すでにジョブズは昔の莫迦莫迦しいまでの美意識を制御するようになってしまって、割合と実用的な製品を出していたので、私なんかは喰い足りなくなっていたということもある。
 また、これを書いたときには、日本の家電メーカーはこれから次々淘汰されていくだろうから、その断末魔には必ずこういう路線も試すだろうと見通していたんだが、まさか三洋電機なんかでも手をこまねいたまま為す術もなく潰れるとは思ってもみなかった。私が想像したよりも、日本の物創りの状況は悪いのかも知れぬ。
 しかし、かつてキヤノンはどう見ても終っていたジョブズに140億円を出して救ったんである。これからもどんどん倒産していくだろうから、日本のメーカーの中にも、さすがに自分が破滅するとなるとこのくらいの冒険を試してみる処も出てくるだろう。
 漫画家だとかのヲタク作家に自分の欲しい物をまったくゼロから考えさせて、メーカーはそのコンセプト通り忠実に再現することのみ貫き、ウォズと同じように職人に徹して、宣伝から何からヲタク作家に任せてしまうしかもう生き残りの方策はない。ジョブズに匹敵する現実歪曲能力を持っているのは日本のヲタク作家しかいないのだから。具体的な物質の製造よりも、世界観と物語の構築こそがこれからの家電に限らずあらゆる製品に必須となるので、たんなる技術者やデザイナー、広告屋では追っつかないのだ。十年前にはピンと来なかった人々も、ジョブズの成功でいい加減その程度のことは理解できるようになったのではないかと思われる。この先、生き残ることができるのであれば、ヲタク作家ひとりにつき140億円くらい掛けても安いもんだ。ゲーム会社なんかも本業が儲からないなら、家電の企画開発から宣伝までを請け負う方向に行くべきだ。海外メーカーにもできることではあり、先を越されては眼も当てられぬ。
 ジョブズも最近はますます実用的なものばかりを出していて、デザインも少しだけ<シンプルは醜い>に堕していた処があって、じつは私なんかはひとつも手に取らなくなってしまっていた。また、莫迦莫迦しいまでの、大笑いできるような、意識を変容させる、新しい地平を見てみたいもんではある。
「Stay hungry, Stay foolish」とは何かの比喩ではなく、字義通りの意味でしかありえないはずなんである。

   


2010/11/16  「このドラマはフィクションです」の始まりはバロム1じゃなかった!

D71 1964年にフジテレビで放映されていた白黒ドラマ『第7の男』のフィルムが発見されたということで、46年ぶりの再放送をファミリー劇場でいまやってるんですが、そのオープニングの最後に、「こゝに登場する物語 場所 並びに人物はすべて創作である」という断り書きが出てくるのを観て、あれっ?と思いました。
D72 ファミ劇が入れるのなら番組の一番最後でしょうし、画像の具合からも当時のテロップなんでしょう。
 ちなみにうちはテレビキャブチャーなんかないですし、この画像はアナログブラウン管テレビをデジカメで直撮りしたものであんまし鮮明ではありませんが、実際の画面はHDリマスターなので無茶苦茶奇麗です。

 この手の「このドラマはフィクションです」系テロップは1972年の『超人バロム・1』放映時に、ドルゲ少年が学校でいじめられたから悪役の名前を変えてと訴えたときからはじまったと当時も云われていたし、いまもあちこちで云われていて、私もそうだと信じてたんですが、すでにその8年前にはあったのですな。
 テレビに関する蘊蓄話は昔から溢れかえってるのに、なんでこんな基本的なことが何十年も解明されてこなかったのでしょうかね。
 ちょっとだけ調べてみましたが、『超人バロム・1』からこのテロップがはじまったなんて云い出したのが誰なのかはどうもはっきりしませんな。当事者である平山亨さんの『東映ヒーロー名人列伝』なんかを読んでみても、確かにドルゲ少年の訴訟のためにテロップを入れるようになったと書かれてますが、それがテレビドラマ初なんてことは云ってませんし。
 ドルゲ少年側が番組終了を求めたみたいな話も広まってますが、1972年8月25日と9月26日の朝日新聞を読むとあくまでも名前の問題で番組終了など願っていないとドルゲ少年のお父さんは明言しています。和解の内容もテロップを出すことと、再放送以外は12月1日以降にドルゲという名前を出さないということで、番組打切りが条件になっているわけではありません。読売テレビの制作部長は「当初から11月いっぱいで打ち切る予定だった」と語ってまして、和解をした9月25日にはすでに番組終了を決定していたみたいではありますが。
 改めて記事を読んで、ドルゲ家の母国西ドイツでは「氏名権」が民法に明記されていて、それを根拠に訴訟が起されていたことを知りました。ヨーロッパでは氏名権が確立されていて、この手の訴訟はわりとあるようです。氏名権は日本の民法には明記されていないものの、民法第710条「財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない」に含まれるという学説が有力なんだそうで。
 ついこの間もフランスでこんなニュースがあって無茶な話だなと思ったんですが、それなりに正当性はあるみたいです。
 


「娘の名前を車ブランドに使うな」、仏ルノーに差し止め訴訟

【10月22日 AFP】仏自動車大手ルノー(Renault)の新型電気自動車「Zoe」(ゾエ)の名称のせいで、わが子がイジメにあうかもしれない――。このような理由で、「ゾエちゃん」を娘にもつフランスの2家族がルノーに対し、名称の使用差し止めを求める訴えを起こした。

「そろそろオイル交換の頃じゃないか、とか、エアバッグを見せてみろ、などと(子どもたちが)言われるのを聞きたくはない」

 ルノーを訴えた親の想像力はなかなかぶっ飛んでようにも思えますし、裁判所は訴えを却下したようですが、ドルゲ少年に関しては共感できます。ドルゲ少年側を理不尽なクレーマーみたいに云ってる人もいますけど、現実にあのドルゲに自分の名前を付けられたらそれは目茶苦茶キツイですよ。
 ドルゲだけでも嫌ですが、毎回出てくるドルゲ魔人は仮面ライダーの怪人のような格好良さなど微塵もなく、ただただグロい異様さだけを追求したいまだに強烈なインパクトを残すネタとして熱く語られるウデゲルゲやクチビルゲなんですから。ヤゴゲルゲの子守歌も、自分の名前とセットなら笑ってばかりもいられません。オープニングでは毎回「ドルゲとは地球の平和を乱す悪を云う」とか思いっ切り宣言されてますし、ほかのヒーロー物の悪役とはいろんな意味でちょっと違うだろうと思います。子供の頃観てドルゲがトラウマになってる人は、他の番組の悪役より遥かに多いでしょう。しかも、賠償金を払えとか訴えてるのではなくて、とにかく名前をなんとかしてほしいと云ってるだけなんですから。
 なお、「ドルゲ」というのは意味のない言葉だとドルゲ少年のお父さんは語ってまして、それもまた凄い話ではあります。世界的に意味のない姓なんてそんなにいくつもあるもんなんでしょうか。下の名前なら最近の日本では音の響きだけで名付けたりしてるようなのも多いですが、日本で意味のない姓なんてありますかね。

 今回ウェブもいろいろ経巡ってみて、何年かのちにテレビ番組でこのドルゲ一家を探したけど見つからずに実在しないことが判明した、「このドラマはフィクションです」系テロップは誰かのいたずらから始まったという、「噂からできた放送業界のルール」なる話が広まっていることを知りました。
 これは『やりすぎコージー』というテレビ番組で3年前にやった「やりすぎ未公開都市伝説」で伊集院光が語ったものらしい。
 しかし、ドルゲ少年のお父さんが兵庫県在住の音楽家であることは当時の新聞を見ればすぐに判ることなのに、伊集院は「八王子在住の医者」とか云ってたみたいだし、これは都市伝説と云いつつネタを披露する番組なんですかね。観たことがないので私にはよく判りませんが。この番組のDVDではバロム1の映像が使えなかったからなのか、伊集院は削られているようですし。
 ドルゲは姓なのでお父さんもドルゲさんですが、この人は音楽大学教授で、訴えを起す何年も前にピアノリサイタルを開いていたことが新聞広告でも確認できますから、実在の人物であることは間違いありません。朝日の大阪版には両親の写真も出ています。探そうと思えば、大学なり教え子なりから辿ってそれほど難しくはないでしょう。つーか、伊集院がこんなことを語ったちょっと前に神戸生まれのドルゲというバイオリニストの方がコンサートを開いてますが、この人は年齢から見てドルゲ少年の弟さんではないですかね。
 伊集院の話をほんとのことだと信じてる人もいるみたいで、意図的に都市伝説を創ってしまってもあんましおもしろくもないと思うのですが。まあ、そうでもないか。おもしろけばいいんだけど、これはどのへんが笑い処になるんかね。
 意図せず実在の人物の名前を悪役につけてしまったことよりも、意図的に、いや意図的じゃなくても、実在の人物を実在しないと云うほうがよっぽどひどいような。それこそ氏名権や人格権の問題ともなってきます。
 番組を観てないのでよく判らないのですが、名前を偽ってテレビ局に抗議したなんてことまで云ってたとしたらますますひどい。ウェブ上の書き込みではこういう具合に受け取っている人もいますが、「噂からできた」というタイトルから考えると、ここの部分は違うかも。しかし、直接抗議されたのではなく噂だけでテロップを付けるようになったというのもよく判らんな。
 まさか、伊集院光がこんなことを語ったなんてことまで含めた都市伝説ではないでしょうな。この番組の他の部分の映像はウェブ上に結構アップされてるのにこれはないし、DVDに収録されてないこともあって、八王子在住の医者にわざわざ変えるとか、なにもかもみな嘘に見えてくる。ウェブのあちこちに違う角度からの証言を残してここまで都市伝説として仕立て上げてるのなら、それはそれで多少はおもろいけど。あちこちと云っても、ウィキペディアとアマゾンの書評といくつかのブログだけで充分成立してしまうものではありますけどね。

 ウェブ上では1970年放映の『アテンションプリーズ』でも「このドラマはフィクションです」系テロップが出てくると云ってる人がいました。
 つい最近『アテンションプリーズ』も再放送をしてたけど池田秀一が出てくる場面くらいしか観てなかったし、これならウェブ上に映像がアップされてるだろうと思ったら、上戸彩のやつばかりがやたら出てきて辿り着けん。しょうがないからDVDで確認すると、「このドラマは日本航空の協力により制作しました。登場人物、物語等全て架空のものです。」というテロップが1話から出てました。
 バロム1のわずか2年前のこんな人気番組にあったとしたら気づきそうなもんですけど、世に数多くいるテレビ蘊蓄家も大したことはありませんな。かく云う私も気づいていませんでしたが。テロップは番組の一番最後に出るので、地上波の再放送では切られることが多かったのかもしれません。

D73D74 『第7の男』は悪役で有名な今井健二が主役の二枚目で、2年後に『マグマ大使』のモルとなる三瀬滋子がヒロインという、キャスティングの妙がなかなか。話はゆるいけど。
 テロップは初回から出てましたので、これよりも前に付けていた番組があるような気もします。1961年放映開始の『七人の刑事』がそれだと云う人もいるみたいですが、1967年以前のフィルムは残っていないそうなので、1964年の『第7の男』より早いかどうかは確定しようがありません。台本や企画書なんかで判りますかね。とりあえず、1967年のものは放送ライブラリーで観れるそうなので、どなたかこれだけでも確認してウェブ上にきちんと記述しておいてくださいよ。
 元々は米国ドラマのマネのような気もしますが、そっちのほうの研究は進んでるんでしょうか。



魔人ヤゴゲルゲが子守唄で呪う

初音ミクがヤゴゲルゲの子守唄を歌う

   


2009/10/20  フォーク・クルセダーズをひさしぶりに聴く

 あたしが歌で一番好きなのはじつはフォーク・クルセダーズでして、そのなかでも『戦争は知らない』が一番だったりします。
 寺山修司は総じてあたしにはぴんとこないのですが、この詩だけは展開力が凄まじい。曲も急き立てるが如き畳み掛けで展開力をいや増してる。
 『花はどこへ行った』のパクリでもやってみようかと軽くやってみたらなんだかどえらいもんが生まれ出てしまったというような、部分部分を見ればたいしたことないのに組み合わせの錬金術を感じます。創作秘話みたいなものを寺山やフォークルは語ってますでしょうか。明るく歌ってるのが却って泣けていいところです。
 これまで何十年間、作曲は加藤和彦だとばかり信じて疑わなかったのに、加藤ヒロシという人でまったく別人だったんですな。世の中は知らんことが多いわ。ザ・リンド&リンダースって『銀の鎖』のグループか。『夕陽よいそげ』って聴いたことがないな。
 これだけの歌ができるものなら戦争をやった甲斐もあったもんだと、あたしは真面目に想います。リリンの生み出した文化の極みとかも云いたくなります。


9. 戦争は知らない – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders… 投稿者 hoochicoochiuploader

 カルメン・マキも『戦争は知らない』を歌ってるとは知りませんでした。ウェブはありがたいね。
 歌としては沁みるけど、フォークルみたいな展開力と切迫感はないな。

 ベタながら『何のために』もたまりません。日々、無意味な闘いのみに明け暮れているあたしは、想わず知らずついつい口の端にのぼっていたりします。


4. 何のために- ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders… 投稿者 hoochicoochiuploader

 『青年は荒野をめざす』が好きなんて恥ずかしくてこれまで誰にも云ったことがありません。五木寛之作詞の歌が好きなんて公言する日が訪れることになろうとは。


青年は荒野をめざす / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 こういう硬派のものばかりではなくて、『コブのない駱駝』とかもなんかいいんですよ。あのねのねみたいなのに、こういう曲だとなにやらとっても深いような気もしてくる。


8. コブのない駱駝 – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders… 投稿者 folkuploader

 『花のかおりに』って反戦歌だったのか。云われてみれば、こっちのほうが『花はどこへ行った』に近いか。


花のかおりに / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 『オーブル街』みたいな不思議な歌もあった。


オーブル街 / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 『僕のそばにおいでよ』とか、ようするにフォークルならなんでもいいんですな。なんで笑ってるかよく判らない女の子たちの笑い声までいい。


14. 僕のそばにおいでよ – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk… 投稿者 folkuploader

 あたしの世代は『帰って来たヨッパライ』は聴かされ過ぎてうんざりしてて何十年も聴いてないのに懐かしくはなくて、『さすらいのヨッパライ』のほうがよかったりします。ちょうどあたしの世代が生まれる前はメロン並の超高級品だったのに輸入解禁されて怒濤の如く安くなったからと小学生までにバナナを死ぬほど口に詰め込まれて中学生からこっち、見るのも嫌で3本くらいしか食べたことがないのと同じです。って、これはあたしだけなのか。
 「ヘヴンの沙汰もマネー次第やでぇ。きばりやー」というのがたまりませんです。淀川さんの解説はどの作品に対しても的確なものだったのですな。


6. さすらいのヨッパライ – ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk… 投稿者 folkuploader

 『あの素晴しい愛をもう一度』はいろいろ上がってるけど、これに添えられてるレコードジャケットの裏書に載ってたという北山修の言葉もその後のことを知ってる我々としてはなかなか感慨深いものがあります。


加藤和彦&北山修・・・あの素晴しい愛をもう一度… 投稿者 Lemanco12424

 いまは『悲しくてやりきれない』があちこちで流れてるから外すつもりだったけど、あとあと自分が聴くためにこんなずらずら並べるようなことをしているのだから、やっぱり入れておこ。


悲しくてやりきれない / フォーク クルセダーズ 投稿者 Sakamoto_morita119

 解散コンサートのライヴ盤なんてのが発掘されて出ていたなんてまったく知りませんでした。いろんなことがきっかけとなっていろいろ識ることになるな。
 坂崎幸之助と再結成とかやってたのは知ってたけど聴かないようにしてたから、そっちのほうと混同してたのかもしれん。売り切れてるけど、買えるようになったら聴いてみるか。

 

   


2009/3/31  ブラック・ジャックの正体はジキルとハイドなんだってば!

 ブラック・ジャックの正体はジキルとハイドの合成なんだというこの真理が広まらないのが、あたしにはどうしても悔しい(※ブラック・ジャックの素を参照せよ!)。己の情報伝播の力不足が不甲斐ない。
 これはたんなる豆知識やヲタクの蘊蓄自慢ではなくて、『ブラック・ジャック』という名作をきちんと読むためには必ず踏まえておかねばならぬことだからです。いや、受け手はともかくとして、創り手側は常に胸に刻みながら何度でも繰り返し噛み締めておくべき絶対の真理なのです。
 ブラック・ジャックのアニメなりドラマなりがピント外れになるのは、この真理にまったく気づいていないからなんですよ。このあいだの手塚治虫特番に出ていた手塚眞は、ブラック・ジャックの左右白黒の姿はたんに不気味なキャラにしようとしただけで意味はないなんて云ってたけど、これではどうしようもない。偉大なる魂が受け継がれるはずもない。
 あたしの言説に説得力がないのは画像がないことが大きいんでしょう。ひさしぶりに探してみたら、丹波哲郎の『ジキルとハイド』をYouTubeにアップしてくれてる人がいた。
 これがブラック・ジャック連載開始半年前にテレビで放映されていたのです。オープニングの白いジキルと黒いハイドの顔が半分づつ合成される場面や、後半の予告編に出てくる黒コートを着たハイドの大立ち回りを見てくださいよ。これはもう誰がどう見たって、ブラック・ジャックの素でしょうが。異論の出るはずがありません。

 新たにブラック・ジャックのアニメなりドラマなりを創ろうという人は、この丹波哲郎ハイドの強烈な悪を意識しなければならんのです。キャラの見た目だけではなく、このジキルとハイドという異様なるドラマは話そのものがブラック・ジャックであって、きちんと踏まえないといけないのです。
 さらにそこから、手塚治虫生涯のテーマが二重人格とメタモルフォーゼだったのに、ブラック・ジャックはそれに反して決して変身せず、二重人格がドストエフスキー的にひとつに融合していることにも気付かなくてはならぬのです。それはもちろん、大人と子供を併せ持ちながらも決して変身せずひとつに融合している<ふしぎな逆メルモちゃん>であるピノコにも当てはまる。
 そうして初めて、ブラック・ジャックがどんどんいい人になってしまって、手塚治虫自身がキリコを出さざるを得なくなったそのジレンマもきちんと受け止めることができる。ジレンマを感じながらキリコを出さないと、それはキリコではないのです。
 『鉄腕アトム』のふたつのジレンマが「ロボットは成長(メタモルフォーゼ)できないから不完全」と「ロボットは悪いことができないから不完全」で、手塚治虫生涯のテーマであるメタモルフォーゼと二重人格に反するため、なんとか成長させようとし、またアトラスという悪い心<オメガ因子>を持ったロボットを登場させたことと裏腹の関係になるです(※ブラック・ジャックの素 2を参照せよ!)。
 丹波哲郎の強烈なキャラをたんにパクっただけではなく、『ジキル博士とハイド氏』のふたつの人格を融合させてより深化させ、手塚治虫の生涯のテーマさえも超えた境地にブラック・ジャックはあるわけです。それを踏まえないブラック・ジャックのアニメなりドラマなりを創っている人たちは結局、手塚治虫の根本をなにも理解していないということです。表面だけなぞっても意味はありません。
 なにゆえ「恐怖コミック」だったか、もう一度よく考えて感じていただきたい。切にしかあらんことを希う次第であります。

手塚治虫関連の絶望書店日記
ブラック・ジャックの素
ブラック・ジャックの素2
神話を暴くとさらなる神話
手塚治虫が無音の擬音「シーン」発明はウソ
手塚治虫が無音の擬音「シーン」発明はホント

 
   


2008/12/31  『盟三五大切』の謎が完璧に解けた!

 鶴屋南北の『盟三五大切』(かみかけてさんごたいせつ)では、最後に薩摩源五兵衛が「こりやかうなうては叶ふまい」というよく判らないセリフを吐く。
 これまでいろんな人がこのセリフについての解釈をしているが、私にはどうにもピンとこないでいた。それが、管賀江留郎氏の江戸時代のモテない男の無差別殺人事件を読んで、そこに記されたひとつのキーワードから初めてこの芝居の構造が判り、このセリフの意味がはっきりした。いや、思わず知らず「こりゃこうのうてはかなうまい」と呻くこととなった。
 初演から180年間、これまで誰ひとりとして読み解くことができなかったこの芝居の意味を知るや、諸氏も思わず知らず「こりゃこうのうてはかなうまい」という言葉が口から漏れるに相違ない。また、南北の恐るべき忠臣蔵の読み取りも判明して驚愕することとなろう。
 順を追って説明してみる。

 この芝居は、文政7年(1824)7月28日、江戸深川の妓楼で松平因幡守辻番の足軽、野村三次郎が5人を殺害した実際の事件を元にしている。
 加藤曳尾庵『我衣』(『日本庶民生活史料集成 第15巻』収録)によると、馴染みの遊女哥咲に怨みを抱いて殺そうと夜中に押し入ったが従業員の男に留められ斬り殺して逃走、明け方にもう一度押し入り遊女4人を斬り殺し、先の殺した男の死骸を運び出すために来ていた人足ひとりを重体、料理人を軽傷とする執念深さだった。
 後日の改めて情報を集めた記述では遊女3人は重傷を負わしただけで死んでないようにも読み取れるが、いずれにしても肝心の怨んでいた哥咲が逃げて無事だったことには変わりない。哥咲が標的になっているらしいことを知った妓楼側が、最初の襲撃のあとに彼女を待避させていたのである。
 足軽三次郎は逃亡し、あるいは逃した遊女の行方を追っていたのかも知れないが、恨みを晴らせないままに8月1日に銀座で逮捕された。
 怨んでいた理由は判らないが、とくに漏れ伝わらなかったということは、ごく普通に惚れていたけど振られたということだろう。少なくとも、南北を含めて当時の人々はそう受け留めていたはずだ。
 9月に天然痘が蔓延し、医者だった加藤曳尾庵は多忙を極めたため日記の更新はなくなる。そのまま年末に、これまで役にも立たないことばかり二千枚以上も書いてきた我が罪が恐ろしく「もはや一筆も起すまじと心にかたくちかいける」とブログ終結宣言を出した。くだらないことばかり書く罪も一向に自覚せず未練がましく一年ぶりに書いたりするどこやらの痴れ者とは違ってほんとに一筆も起さなかったので、この足軽がその後どうなったのかは定かではないが、間もない頃に死罪となったのは間違いないと思われる。

 『盟三五大切』は翌年9月25日の初演だが、並木五瓶の『五大力恋緘』(ごたいりきこいのふうじめ)の<世界>なのに、五人斬りの場面で惚れた芸者の小万に逃げられてしまうのはこの事件を踏まえているからだ。
 それからしばらくのちに小万の殺し場があるのは、振られた怨みある女を討ち漏らしたまま死刑となったモテない足軽の無念を、忠臣蔵と同じく一年後に晴らすという、<非モテ忠臣蔵>としてこの芝居を創作したということで間違いないだろう。
 小万の首を斬り落として愛染院へ持って帰るのは、忠臣蔵で<義士>たちが高師直(吉良上野介)の首を主君の墓がある光明寺(泉岳寺)に持ち帰ったのに対応する<非モテ義士>の武勲を示す壮挙となる。
 ところが、薩摩源五兵衛(不破数右衛門)は首と差し向かいでご飯を食べたあとに怒って首にお茶をぶっかけ、事の顛末にまだ満足していない。恋敵の三五郎を討っていないからだ。
 そうなるとこの場面にある四斗樽のなかに隠れている三五郎は、炭小屋に隠れている高師直(吉良上野介)となり、その死は仇討ち成就ということになる。
 また、己には小舅となる小万の兄を殺した罪で切腹する三五郎は、主のために騙し取った金が、じつはその主のものだったという「いすかの嘴の食い違い」から、早野勘平でもあることが容易に判る。宿敵・高師直であり、早野勘平でもある三五郎が、さらには180年間誰も気づかなかったもうひとりの化身であることを知るや、「こりゃこうのうてはかなうまい」と唸ることになるのである。

 ウェブ上ではもっとも頼りになる歌舞伎評論を展開している歌舞伎素人講釈でさえもそうで、『盟三五大切』の最後が討ち入りになるのは忠臣蔵が<デウス・エクス・マキーナ>として働いていると云う人が多いのだが、明確な間違いだ。源五兵衛の側も三五郎小万の側も、忠臣蔵と関係していることは最初から強調されて、そのためにすべての事件が起きるのであって、最後に唐突に忠臣蔵なり義士なりが出てくるわけではない。
 しかし、源五兵衛は討ち入りには参加したくないという立場で関わっており、最初は女に入れあげたため、最後はその女も含めて大勢の人を殺してしまったためとなっている。それが、どうして急に<義士>に参加することになるのか。
 森山重雄『鶴屋南北 綯交ぜの世界』にあるように、これは<やつし>なのだから、源五兵衛が不破数右衛門に戻ったところで別人物になって罪が消えてしまうからだというのは明らかに正しくない。彼は不破数右衛門として罪があるから討ち入りに参加したくないと云っている。

 民谷伊右衛門と小万の兄の弥助のふたりが塩冶家の金を盗んだために、その日の金蔵の当番だった不破数右衛門は主君・塩冶判官の勘気に触れて浪人となり、薩摩源五兵衛と偽名を使うようになった。判官の松の廊下での刃傷と切腹時は、塩冶家とは関係のない部外者だったのだ。
 史実の不破数右衛門も家来を斬り殺し、主君・浅野内匠頭の勘気に触れて江戸で浪人中に旧主切腹があり、肝心なときに赤穂藩と関係のない部外者だったため、討ち入りのメンバーに入ることがなかなか赦されなかった。芝居で不破数右衛門を主人公にして、家来を犠牲にするのは、これらの事実も踏まえているのだろう。
 『盟三五大切』に於いて主人公が討ち入りに終始乗り気でないのは、判官切腹が己と直接関係ないことが影響していると思われる。それが、三五郎切腹とともに一変するのだ。

 そもそも、塩冶判官切腹とはなんなのか。『仮名手本忠臣蔵』では、高師直が塩冶判官の奥方・顔世御前に惚れて迫ったが振られたところから事件がはじまっている。
 非モテである高師直が、惚れた女の亭主でリア充の塩冶判官を切腹に追い込み、振った顔世御前も破滅させるという、非モテにとっては痛快この上ない復讐劇となっている。なんと!『仮名手本忠臣蔵』の前半は、<非モテ忠臣蔵>だったのだよ!!!!!
 鶴屋南北は『東海道四谷怪談』と『仮名手本忠臣蔵』を交互に上演して<忠臣蔵>と<不忠臣蔵>の対比を見せた翌月に、『盟三五大切』に於いて単純に<忠臣蔵>を<非モテ忠臣蔵>にひねっただけではなく、『仮名手本忠臣蔵』の前半を忠実に再現することにより『仮名手本忠臣蔵』とは<非モテ忠臣蔵>と通常の<忠臣蔵>を二重に重ねた『東海道四谷怪談』とよく似た構成の狂言だったことを看破して示したのである。
 つまり、最後に切腹した三五郎は、早野勘平であり、主敵・高師直(吉良上野介)であり、さらには驚くべきことに主君・塩冶判官(浅野内匠頭)でさえもあったのだ。

 塩冶判官切腹に立ち会って初めて、不破数右衛門は討ち入りに行くことができる。また、忠臣蔵という芝居は<世界>は、判官切腹があって初めて成り立つのである。「こりゃこうのうてはかなうまい」というセリフが出てくる所以ではある。
 家来の死に当たって妙に客観的な他人事のような云い廻しで、そのあとのセリフともつながずにひとつだけ宙に浮いたような文句で、意味の解釈以前に言葉遣いとして私にはどうにも気色の悪い違和感があったのだが、これは一番肝心なものを抜いた味気ない贋物の忠臣蔵を観せられてしまうところを最後の最後に、源五兵衛と三五郎の父親の了心のふたりが互いに切腹を競い合うという役違いのじらしまでされたあとに、ようやく判官切腹に巡り逢ってほっとした、観客が役者が作者が思わず知らず口から出る言葉だったのだ。
 思い浮かべてみるがよろしい。諸氏らが『忠臣蔵』を観に行って、判官切腹がないままに終演の刻が近づいたとしたら、「おいおい、まさかこのまま終るんじゃなかろうな」と不安感、焦燥感に苛まれることだろう。そのあげく、ようやく幕引き間際になって、思わぬ展開から判官切腹が観れたとしたら、「そりゃ、こうじゃなくちゃいかんわな」と大きな安堵の言葉を漏らし、人心地つくに違いない。
 そのあとの討ち入りなどなくとも、諸氏はこれだけで大満足して家路につけるはずである。なにより重要な<世界>成立を見届けることができたのであるから。それも、危うく成立し損なう瀬戸際まで追い詰められてのぎりぎりの達成である。
 毎日、舞台に立っている役者たちも、今日こそは判官切腹が無いまま幕引きとなるのではないかというところまで追い詰められ、最後の最後に判官切腹に辿り着いてホッとし、思わず知らず素に戻り「そりゃ、こうじゃなくちゃいかんわな」という心中から湧き出るナマの言葉を漏らすことになるのである。作者の南北だって、毎日ハラハラしながら舞台を観て、最後の最後に「そりゃ、こうじゃなくちゃいかんわな」と唸っていたに違いないのだ。
 『盟三五大切』とは、このぎりぎりの<世界>成立に向けて収斂していくためだけの、ただそのカタルシスを得るためだけの狂言なのだ。
 2年後に南北は『独道中五十三駅』に於いて十以上もの<世界>を綯い交ぜとする、<世界>そのものが主題である狂言を創作しているが、じつはその前に、『盟三五大切』に於いて<世界>が成立するか否かということ自体を主題としていたのである。<世界>成立そのものが主題となっている、おそらくは唯一の歌舞伎狂言であろう。
 そのぎりぎりの<世界>成立を告げる宣言が、「こりゃこうのうてはかなうまい」というセリフであったのだ。

 『盟三五大切』は忠臣蔵だけではなく、並木五瓶の『五大力恋緘』と、並木五瓶自身が書き換えた『略三五大切』(かきなおしさんごたいせつ)の<世界>を踏まえている。
 これについては、下田晴美氏という広島大学の博士課程の方が、鶴屋南北作『盟三五大切』の構造 : 五瓶の五大力物を視座としてという論文で非常に手際よくコンパクトにまとめておられる。pdfだが、初演の絵本番付画像があるのでなかなか貴重だ。
 女の首の前で茶漬けを食う場面が源五兵衛と三五郎にどう振り分けられてるかなんて細かい話は読む必要はないが、ともかく漠然と設定をいただいているだけではなく、極めて細かく緻密に計算されて取り入れていることだけは知っておいたほうがよい。忠臣蔵や四谷怪談も漠然と<世界>を取り入れているだけではなく、これほど緻密な計算があると裏付けできるからである。

 さらには、初演は一番目が明智光秀物の『時桔梗小田豊作』(ときもききょうおだのできあき)、二番目が『盟三五大切』という構成で、「盟」というタイトルは「明血」を掛けているんだろうから、明智光秀の<世界>も取り入れていると考えるのが自然だろう。
 そうなると、主殺しの主題が隠されていると見るべきで、討ち入りに参加するために、あるいはそもそもの『忠臣蔵』の<世界>を成立させるために主である塩冶判官(浅野内匠頭)を無理やり切腹に追い込むという、まさしく『金枝篇』に於ける<世界>回復のための<王殺し>の如き話と捉えるしかない。
 三五郎切腹は単なる<見立て>ではなく、判官切腹そのものなのである。最初から明らかにされている忠臣蔵や義士が<デウス・エクス・マキーナ>なのではなく、なんの前触れもなくまったくの唐突に最後の最後に顕われて<世界>を忽然と開闢する塩冶判官その人が、<デウス・エクス・マキーナ>だったのだ。

 さはさりながら、180年間誰ひとりとしてここに塩冶判官が顕われたことに気づかなかったのは無理もない。早野勘平や高師直をそこに視る眼力鋭い見巧者はいても、塩冶判官を見透かすことができるほど明確には浮き出ていない。私は<非モテ忠臣蔵>という構造から逆算して、ここまでようやく辿り着いた。
 南北は前月の四谷怪談に於いて一枚の戸板の目まぐるしい裏表の交差を成功させた巧みな組み立てに自信を持ち過ぎ、明確に示さずにぎりぎりの処を狙い過ぎたのではあるまいか。次月の『盟三五大切』に於いて、まったく違うと思われたふたつの筋がひとつに交わるY字型の狂言構成のカナメを明確にせずとも受け取れられると観客を己を過信したのだ。
 だからこそ、初演は不入りで早々に打ち切られ、永らく上演は途絶えた。のちの青年座による新劇とそれを元にしたATG映画『修羅』では三五郎のセリフに塩冶判官が云うはずもない言葉がいろいろ付け加えられ、さらには今年の歌舞伎座の仁左衛門はとうとう「こりゃこうのうてはかなうまい」というセリフを削ってしまった。
 江戸歌舞伎と南北に最も通暁していたはずの郡司正勝さんにさえ、<世界>成立の秘鑰が見抜けず受け継げなかったのだろう。
 ここはどうあっても、切腹する三五郎を、明確に塩冶判官と示して演出すべきだ。さすれば、まさしく<機械仕掛けの神>としてここで芝居が、<世界>が、丸ごとガンドウ返しを見せる快感で小屋が打ち震え、「こりゃこうのうてはかなうまい」と一斉に大向こうから声が掛かることとなるのは絶対である。

 複雑に筋が入り乱れる南北にしては『盟三五大切』は単純で判りやすいという人がいるのだが、じつはそれは南北が一番肝心な要を軸を判りにくくしたための錯覚で、そこを明確にすれば恐ろしく重層的で複雑な作劇であることが判明し、とうてい<やつし>などという簡単なもので読み解けるような代物でないことが知れるのだ。
 謎が完璧に解けたとは、その向こうにある『盟三五大切』の真の大きなほんとうの謎の存在が垣間見えたということにほかならぬ。
 一点だけ触れておくと、『仮名手本忠臣蔵』の前半が<非モテ忠臣蔵>で、『盟三五大切』も<非モテ忠臣蔵>であるなら、薩摩源五兵衛は不破数右衛門であるとともに高師直でもあって、最後は此方の高師直が彼方の高師直に討ち入りして倒すことによって、ふたつに裂けてしまった平行宇宙が融合し、<世界>の円環が緘ずることとなるのだ。ほかの作者ならこじつけとなるが、南北ならここまで計算してると断言できるのである。
 これを裏付けるように、前月の『忠臣蔵』では、源五兵衛の五代目幸四郎が師直役だったのだ。しかも、リンク先の論文や絵本番付にあるように、現在は台本が失われているが、『盟三五大切』には三幕目の討ち入り後の場面があった。そこでは、<非モテ忠臣蔵>の師直に重ねられた三五郎に扮していた七代目團十郎が大高源吾となって師直の首を抱えている。円環が何重にも絡み合って、とぐろを巻いているのである。

 どうも、こうして見ていくと、『盟三五大切』は『四谷怪談』の続編なぞではなさそうでもある。深川の五人殺しから一年後に『盟三五大切』を上演することが先に決まり、その<非モテ忠臣蔵>を成立させるための露払いとして『四谷怪談』が捻り出されたと見るのが妥当ではあるまいか。
 『四谷怪談』の主演だった三代目尾上菊五郎が太宰府参詣のため抜けてしまい、困って急遽『盟三五大切』を拵えたという逸話が伝わっているが、元々この話はおかしく、後付けと見る方がよいだろう。大人気だった『四谷怪談』を打切り、最初から予定していた『盟三五大切』に相応しい菊五郎抜きの座組をするために、なんらかの理由が必要だったとしたほうが筋が通っているのではないだろうか。
 <非モテ忠臣蔵>というキーワードから『盟三五大切』の謎が完璧に解けるだけではなく、『四谷怪談』の成立過程のみならず、これまでまったく見落とされていた『四谷怪談』の真の姿さえもが顕れ出でるのだ。

 さらにもう一歩遡り、『仮名手本忠臣蔵』に於ける<判官切腹>の存外に大きい意味をも、南北はここで再認識させようとしているのである。
 <判官切腹>の場面は、客席の出入りを禁止する<通さん場>となっていたのは何故なのか。<判官切腹>は神聖だからと云われることが多いが、それは必ずしも正しくはない。
 元々、『仮名手本忠臣蔵』は人形浄瑠璃(文楽)の作品である。つまり、大坂の町人が楽しむための芝居だった。
 大坂の町人は武士なんか小莫迦にしている。だからこそ、『仮名手本忠臣蔵』では武士は間抜けか卑怯者ばかりで、町人だけが「天河屋の義平は男でござるぞ」といった具合に義理に厚く勇気も持ち合わせた格好のいい役処で出てくることになる。武士の中では一番上等だと云われていた大星由良之助(大石内蔵助)以下の赤穂義士たちは畳に頭を擦りつけ、町人の義平に平伏するのである。
 ましてや、切腹なぞは間抜けな連中の奇怪なる風習でしかなく、大坂の町人は「オゥー!ハラキリ!クレージー!」と奇矯なる見せ物として愉しむだけだ。
 早野勘平切腹は、舅を殺してしまったと思い込んで必要のない死を自ら迎える、まさしくおっちょこちょいの間抜けさを笑う場面だろう。史実の萱野三平を早野勘平に改編して、作者はその名前の字面に「早合点の勘違い」という、いかにもの喜劇的意図をわざわざ出している。
 笑うだけではなくそこに人生の悲哀を感じることもあるだろうが、それはあくまでも武士という大坂の町人にとってなんとも珍妙なる連中の間抜けさがもたらすペーソスであって、荘厳なる悲劇ではない。
 さんざん阿呆をやって笑われてた藤山寛美が、最後にほろりと泣かせる松竹新喜劇みたいなもんだ。

 さて、<判官切腹>にはそんなおかしみさえない。古来、この場面は人形もしどころがなく、文言も単調で、義太夫を語る太夫の側も詰まらない場だと認識していたようである。語るに力量のいる難曲だと云われるのはその裏返しである。中身がないのに盛り上げる名人の技量がないと、場が保たないのだ。
 大名人の豊竹山城少掾なぞは「バカな夫婦の軽率な行いから起きた自業自得に過ぎないのに、どうして客がこの四段目で泣くのか判らない」というようなことを云っている。
 『仮名手本忠臣蔵』はすぐに歌舞伎に取り入れられて、幕府のお膝元で武士だの切腹だのをありがたがる江戸でも盛んに上演されるようになったが、<通さん場>はそんな江戸の歌舞伎ではじまったものではなく、武士だの切腹だのを莫迦にする大坂の人形浄瑠璃のしきたりだったことは注目しておくべきポイントである。
 つまり、<通さん場>にして、客や売り子の出入りを禁じて無理やり静かに見物させたのは、そうしないと客がまともに観なかったからである。「<判官切腹>は神聖だから」などというのとは、まったく逆の理由から来たものなのだ。しかしまた、そうまでして、なにゆえこの場面を客に観せる必要があったのか。
 客側としても、その幕自体は詰まらなくとも、無いなら無いで前述のように気の抜けた贋物の『忠臣蔵』を観せられたような心持ちとなるのだ。
 この切腹がないと、芝居が、<世界>が成り立たないからだ。<判官切腹>が神聖なのではなく、<世界>を成り立たせる鍵そのものが神聖なのである。たとえ、チャリ場(笑わせる場)の莫迦莫迦しい段であっても、語る太夫は床本を掲げてその浄瑠璃の<世界>に敬意を示すが、同じく切腹その物は莫迦莫迦しくとも、<世界>成立の鍵には敬意を示すのである。

 翻って南北であるが、彼が生きた文化文政時代は幕藩体制も揺らいでいた退廃の世である。江戸の町民にとっても、もはや武士だの切腹だのは嘲笑の対象でしかない。『仮名手本忠臣蔵』や<判官切腹>もどこまで真面目に観られていたか、あやしいもんである。
 『四谷怪談』『盟三五大切』上演より30年ほど遡った寛政6年、江戸で忠臣蔵ブームが巻き起こったが、山東京伝の『忠臣蔵前世幕無』『忠臣蔵即席料理』(二作とも『山東京傳全集』第3巻収録)、東来三和の『忠臣蔵十一段続 大道具鯱幕無』だとかの、幕も無しに忠臣蔵を上演するために登場人物が入り乱れてドタバタになったり、フナ料理を貶された遺恨から討ち入りして無理やりご馳走を食べさせたりするパロディー黄表紙本の人気だった。「自腹を切って奢り、馳走をする」「これ自腹の切れる痛事なり」だとか、<判官切腹>もすでに茶化されている。
 そこからさらに世は爛熟、忠臣蔵パロディー本はますます数多く刊行され、エログロナンセンスに走った南北が人気を博する化政時代である。
 文化8年の式亭三馬『忠臣蔵偏痴気論』(『式亭三馬集』収録)では、<判官切腹>の評価がこんなことになっている。
「切腹の期に臨み、由良之助はまだかまだかと度々のよまいごと未練千万、灸すえながら乳母をたずぬる小児の心に等しく武士の恥ずべき所なり」
 <判官切腹>のそもそもの原因である松の廊下での刃傷に至っては、こうまで云われている。
「まことに酒狂か血迷うたるに相違はあるまじ」
 滑稽本のひねった文言ではあるが、当時の江戸町民の一般的見方もこんなものだっただろう。

 そうして、南北自身が文化5年(1808)に作劇した明智物の『時桔梗出世請状』(現行のタイトル『時今也桔梗旗揚』)では、忠臣蔵の<判官切腹>を明らかに摸して光秀が切腹せんとする場面がある。しかし、辞世の句で「時は今」と謀叛の意を示すや、介錯の上使を斬り殺し、主君信長を討つため立ち上がるのだ。早くもすでに、『四谷怪談』より17年前の<不忠臣蔵>である。<忠義>だけではなく、<判官切腹>も真っ向から否定し去っているのである。
 ここで三宝を踏み砕くのは、<忠義>とともに<判官切腹>の聖性をも踏みにじっているのだ。さらに云えば、『仮名手本忠臣蔵』九段目に於いて、加古川本蔵が三宝を踏み砕き、そののちに「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心」というセリフを吐くことにも呼応している。
 『盟三五大切』によって、『仮名手本忠臣蔵』とは<非モテ忠臣蔵>と通常の<忠臣蔵>を二重に重ねた『東海道四谷怪談』とよく似た構成の狂言だったことを看破して示した17年前、もっと直接的に『仮名手本忠臣蔵』とは通常の<忠臣蔵>と<不忠臣蔵>を二重に重ねた『東海道四谷怪談』とまったく同じ構成の狂言だったことを喝破して示していたのである。
 九段目の三宝は小浪が力弥に嫁入りするための目出度き引き出物であり、自死のための短刀を載せた光秀の三宝との対比が、結婚式と葬式を同じ舞台で展開させたりする南北らしい、いかにも皮肉に捻った趣向ではある。もっとも、姑のお石が要求した三宝に載せるべき引き出物とは本蔵の首であり、南北は忠臣蔵に学んだだけなのだろうが。
 ちなみに、この場面で本蔵は「かほどの家来を持ちながら、了見もあるべきに、浅きたくみの塩冶殿、口惜き振る舞いや」と浅野内匠頭の名を掛けながら塩冶判官の刃傷を浅はかなる行為だとなじっている。由良之助でさえ、この言葉に同調している。63年後の式亭三馬の滑稽本なぞ待つまでもない。
 忠義に殉ずる大星由良之助と、主君から去り、わたくし事で死すことによって忠義より大事なことがあることを顕わし三宝の如くに忠義を踏みにじる加古川本蔵との対比が、元々の『仮名手本忠臣蔵』の主題であったことを、南北は改めて示しただけだった。
 なお、『時桔梗出世請状』初演でも、17年後の『盟三五大切』の一番目として再演した『時桔梗小田豊作』でも、光秀として三宝を踏みつぶしたのは五代目幸四郎だった。幸四郎は前月の『四谷怪談』と交互に上演した『忠臣蔵』で、師直とともに本蔵にも扮して三宝を踏みつぶしているのである。

 こんな観方は深読みのこじつけに過ぎぬと嗤う諸氏もいることであろう。しかし、人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』は寛延元年(1748)8月14日の初演であり、『時桔梗出世請状』は文化5年(1808)7月25日の初演だが、おそらく日付もまったく同じ日、つまりちょうど干支がひと廻りした60年後にぴったり合わせる狙いの出し物だったことに気付けたとしたら、その皮肉なる笑みも消えるのではあるまいか。
 なんとなれば、市村座では前月に幕を開けた南北作『彩入御伽艸』が7月5日に辻堂の場と皿屋敷の場を追加するとますますの評判となって大当たりだったが、水中の早変わりを見せた幽霊役の尾上榮三郎が水気に当たる急病のため22日に打切りとなり、急遽7月25日に『時桔梗出世請状』が上演されることになったからだ。当初は8月の幕開きを目指して準備していたこと、これ疑いの余地が微塵もないのである。
 初演から200年以上、これまで誰ひとりとして見抜いていなかったと思われるが、『時桔梗出世請状』は、明らかに『仮名手本忠臣蔵』からサイクルが一巡りした60周年を狙った、そのアンサー狂言だったのだ!!!!!
 歌舞伎初の近代的史劇、南北にも似ぬリアリズムなどというよくある評が、いかに賢しらで浅はかな観方であるか判ろうというものである。南北がそんな捻りのない詰まらぬ史実の写しを披露するわけがないことくらい、まともな眸のある観者なら疑問を挟む余地もなく知り抜いているはずではなかったか。
 南北らしい、凝らしまくった趣向をひとつも感じ取ることなく、形を借りただけの光秀史劇にしか眸が行かぬ輩は、歌舞伎を観ている見物衆とはとても云えまい。
 さらに驚くべきことに、尾上榮三郎とはじつは後に三代目を襲名することになる尾上菊五郎その人であり、つまり『時桔梗出世請状』も『盟三五大切』も、同じく幽霊役の三代目菊五郎が抜けたために急遽幕を開いたということになっているだ!!!!!! この符合はいったいなんだ!!!!!!
 大当たりの『四谷怪談』が、お岩さん役の三代目菊五郎の太宰府参詣のために打切りとなったのは、最初から仕組まれた趣向だったのではないかという当方の推測を裏付ける、これこそ決定的な証左である。
 そもそも、菊五郎は9月15日の『四谷怪談』打切りのすぐあと、太宰府に向かったわけではない。何故か9月19日より隣りの河原崎座で、菊五郎が工夫をしたという怪談、しかも南北作の『舞扇千代松稚』に出演する。そうして、9月25日に中村座で『盟三五大切』が開幕するというおかしなことになっているのである。
 南北の張り巡らされた巧妙なる仕掛けは、舞台上だけに留まらなかったのだ。17年前に廻すことに失敗したグランドサイクルを取り戻すため、深川の5人殺しを奇貨として、一年後の<非モテ討ち入り>のみならず、あらゆる趣向を縦横に駆使して、天界から与えられた干支などには頼らぬ力尽くのサイクル廻し、まさしく壮大なる<王殺し>の仕掛けで、己の手腕のみの<世界>大回転をやらかしたのである。
 急遽幕が開いた『時桔梗出世請状』『盟三五大切』ともに不入りで早々に打ち切られたことは、さすがに仕組んだわけではなかろうが、これも客を置いてけぼりにするほど凝った結果のひとつの趣向ではあった。
 なお、「盟」というタイトルは「明血」を掛けていると述べたが、さらに「三五」を「みつ」と読み、「大切」を縦に並べると「秀」に見えなくもないことを踏まえれば、『盟三五大切』とはそのまま「明智光秀」を表わしていることになる。
 これまでの符牒を前提にすると、これは賢しらなるこじつけだとばかりも云えぬのではあるまいか。

 しかしながら、南北ほど冷徹な眼で『仮名手本忠臣蔵』を読み解く観巧者は存するはずもなく、江戸では単純に忠義の話として持て囃され、やがてパロディーのネタになるほど解体された。
 こんな時代の『仮名手本忠臣蔵』に対する観客の興味の持ちようも推して知るべし。<判官切腹>の受け取り方も想像できよう。それは<忠義>が廃れたからではなく、江戸ではあったであろう<判官切腹>の神聖さの崩壊、それに伴う『仮名手本忠臣蔵』<世界>の崩壊ゆえだ。

 そこであえて、<判官切腹>によって<世界>を成立させることにより、詰まらない<判官切腹>の場でさえ語りで客を感動させる名人と呼ばれる太夫の力量と同じく、作者の力量を示すために『盟三五大切』は創作されたと私は視ている。少なくとも、<判官切腹>が<世界>成立にどれほどの大きな力を及ぼしているかを、ぎりぎりの処を狙って逆照射することにより示そうとしたのは、これまで考察してきた如くに間違いがない。
 そのためにも、前月に改めて原点の『仮名手本忠臣蔵』を上演しておく必要があったのだ。しかし、いまさら『仮名手本忠臣蔵』をやっても真面目に観てくれる人もいないので、仕方なく当世風の<不忠臣蔵>を「書添」えることにしたのではあるまいか。<不忠臣蔵>を外部に添えたことによって、『仮名手本忠臣蔵』自体は観客の脳内で茶化されることもなく確実に<忠臣蔵>として真面目に観てもらえるのである。『四谷怪談』に、雑音を排して静粛に観させる、<通さん場>の効果を期待したわけだ。
 つまり、『盟三五大切』は『東海道四谷怪談』の続編であるどころか、まったく逆に『四谷怪談』こそが『盟三五大切』を成り立たせるための添え物の、そのまた添え物だったわけである。『四谷怪談』ではなく、『仮名手本忠臣蔵』が前月に必須だったのだ。
 ところがその添え物としてでっち上げて完成度も低い『四谷怪談』が大ヒットして二ヶ月のロングランとなってしまったために、『盟三五大切』の上演は9月末にずれ込んだ。『四谷怪談』を無理やり打ち切らなかったら、10月以降になっていただろう。ひょっとすると、足軽野村三次郎の処刑は9月で、その一周忌を当て込んで、どうしても9月中に初日を開けたかったのかも知れない。このあたりに、三代目尾上菊五郎退座の秘密を解く鍵があるだろう。

 歌舞伎史の、あるいは南北創作史上の『東海道四谷怪談』の位置づけは再検討が必要だろう。最初から『盟三五大切』をメインとした三点セット、あるいは南北自身の『時桔梗出世請状』からサブストーリーを削って現行通りの台本に書き替えた『時桔梗小田豊作』を含めた四点セット作だったのだ。あくまでも中心は『盟三五大切』で、他の三作はそれを成り立たせるための露払いに過ぎない。
 どれほど莫迦らしいものであっても<判官切腹>がなければ『仮名手本忠臣蔵』は成り立たないことをまず示し、そこから『四谷怪談』と『時桔梗』で当世風に<忠臣蔵>を徹底的に茶番にしておいてから、その最も難しい処に再度あえて、まごうかたなき<忠臣蔵>を厳然と屹立させようというのである。
 『四谷怪談』で<忠臣蔵>を<不忠臣蔵>にひねったことが退廃の時代を描いた南北の奇想の手柄のように云われていたが、まったくそうではなく、すでに<忠臣蔵>なぞお笑い草で、<不忠臣蔵>が当たり前の世の中に、<判官切腹>の聖性を、鼻先を引きづり廻すかの如き強引なるまでの作劇手腕で取り戻し、<忠臣蔵>の<世界>を成り立たせてしまうという驚天動地の奇想こそが、現実歪曲空間の遣い手、鶴屋南北の面目躍如であったわけだ。
 それは趣向を凝らしただけの、いかにも南北らしい小手先のテクニックのようでいて、しかし、<忠臣蔵>の<世界>を成り立たせる<判官切腹>の失われた聖性を確かに舞台上に取り戻すのである。かつては<判官切腹>の聖性によって<世界>が屹立したのが、<判官切腹>によって無理やり<世界>を屹立させることによって、反対にそこに聖性を取り戻すという逆説手法だ。まさしく、『金枝篇』の如き<世界>回復である。
 その刹那に発せられる「こりゃこうのうてはかなうまい」という言葉は、単なる芝居の段取りを取り戻しただけのセリフのようでいて、やはりこの芝居の<聖性>、<忠臣蔵>の<聖性>、あるいは歌舞伎全体の<聖性>復活を宣言する言祝ぎでもあったのだ!
 この世のすべてを引っ繰り返して笑いのめす茶番に人生を賭けた南北の、しかし己がやるまでもなくすでに世の中すべてが茶番になってしまった時代に、さらに茶番を突き進めることにより、宇宙の根源的<絶対性>を取り戻してしまう、その勝利宣言であったのだ!
 バフチン云うところのカーニバルのさらに何層も上位の難関を、しかも観念ではなく現実に打ち立てようとしたのである。茶番がすべての世の中では、究極の<聖性>を取り戻すことこそが最大の茶番となるのだ!
 究極の茶番と究極の歌舞伎を一度に顕現させる。それは齢七十に達していた南北にとって、己の集大成である意識もあっただろう。そのための二ヶ月がかりで三作品もの先駆けを準備し、満を持して打ち出した『盟三五大切』である。「こりゃこうのうてはかなうまい」とは、人生を極めた刹那の絶頂感を表わす快美の吐息でもあったのだ。
 その裏返しのそのまた裏返しである捻れ具合そのものが、南北の神髄であった。ところが、当世風などと澄ましていた愚鈍な世間の見物衆は、せいぜい一重の裏返しである<不忠臣蔵>なぞで充足し、その皮を剥いだ裡側に、てらてら蠢く真に香しい贓物を垣間見ようともしなかった。
 歌舞伎その物を「これ切り」にするほどの究極の作劇でも、まともに読み取る観客がひとりもおらぬでは成り立たぬのだ。
 それが神ならぬ身、捻れた脳髄の南北ならぬ我が身の浅ましさでもあっただろうが、豈図らんや、なんたる恩寵か、はたまた阿鼻地獄へと誘う天魔の囁きか、ここに<非モテ忠臣蔵>なる言霊が忽然として降り来たることにより、なんびとにも視ること能わなかった補助線が一閃と引かれ、鶴屋南北の極北、歌舞伎その物の真の<聖性>を担う『盟三五大切』の真実の姿に180年目にして我々は否応なしに目醒めてしまうこととなったのだ。
 南北でさえ180年前に<聖性>復活に失敗したその秘鑰を、いま我々はこの手に握り、あとは扉に差し込み廻すだけなのである。南北の、歌舞伎の、最終到達点は、扉を開け放たれ、我々見物の眸が一斉に照射されることを、生娘の肌を護り抜いたまま、静かに待ち受けているのである。

 一番肝心な要をしっかりと据え、もう一度、忠臣蔵の取り込み方などを検討してから『盟三五大切』は味わうべきだ。そうして初めて、南北の<世界>の<綯い交ぜ>の真の恐ろしさ、まさしく反対物の合一、それも単にふたつの両極があるのではなく、その極そのものが常に動的に変転して最大限に振幅するそのありように腦髓を掻き廻され宇宙が捩じ切れるが如き眩暈を覚え、宇宙に罅が入る超越的快美感に身体を貫かれることになるのだ。




※前回の書き替え直後に、『仮名手本忠臣蔵』と『時桔梗出世請状』の初演年月日の還暦符合、『時桔梗出世請状』と『盟三五大切』の急なる幕開きに関する三代目菊五郎の符合、さらに『四谷怪談』を含めた四部作の配役の符合をそれぞれ発見、材料も揃えながら、雑事にかまけて放置していた。歌舞伎座での再演に向けてアクセス数が増えていたのを後押しに、2018/8/1にそれらを追記した。
鶴屋南北の恐るべき<世界>回復計画は、二百年目にして概ね解明できたのではないかと考えている。賢明なる諸姉諸兄の御批判を請い願う次第である。

※この考察を書いた直後からいろいろに想う処が積もり重なってきたので、2012/9/16に大幅に書き替えた。
 書き替えを終えようとした頃に、ウィキペディアの『時今也桔梗旗揚』の項目で、愛宕山の光秀切腹は
「『仮名手本忠臣蔵四段目』を下敷きとしている。大南北のすぐれた改作の手腕を見て取れる」
という記述を読んで、「なるほどねえ」と感心した。これはいままで私は気づいていなかった。そもそも、切腹しようとする場面があったことさえ忘れてた。
 気になって『時桔梗出世請状』関連の文献をいくつか読んでみたが、「忠四」と関係づける見解は見つけられなかった。ウィキペディアの項目を書いた方のオリジナルの読み解きですかね。原典があるなら、ご教示をいただけると幸い。
 ちなみに、最初は
「この場面は『仮名手本忠臣蔵・四段目』のパロデイとなっている。南北のすぐれたアレンジぶりがうかがわれる」
と記述されていたのが、編集されて現行の表現になっているようである。



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