IT革命とは何かに於いて、江戸時代は歌舞伎に付随して役者評判記、辻番付、役割番付、絵本番付、絵入狂言本、絵尽、役者絵、役者本なんかが大量に流布してたなんてことを申しました。
役者本というのは文字通り特定の役者のことを採り上げた本で、ミーハーなタレント本から芸道を賞賛する堅めのものからゴシップまでいろいろ幅広い種類があったのは現代と同じです。そんな役者本の一種として<贔屓本>というものがございました。役者の贔屓(ファン)が自ら出版した本です。
あたしは漠然と現代の同人誌やファンクラブ会報みたいなもんだと考えていたのですが、おそらく初めて贔屓本をきちんと論じた本であろう神楽岡幼子の『歌舞伎文化の享受と展開?観客と劇場の内外?』を読んで、少し違うような気がしてきました。
<贔屓本>を識るには、まず前段階として<摺物>について識っておく必要があります。
<摺物>とはこちらのデービッド・ブルさんのページが判りやすいですが、冊子などではない一枚物の版画のことでして、浮世絵などのような商品ではなく個人が知り合いに配るために制作する物を云います。俳諧や狂歌なんかをやってる人が自分の作品に挿絵を入れて仲間なんかと交換するわけです。なんせ儲けなんか考えてませんから採算度外視で、また浮世絵なんかはカラフル嫌いの幕府の弾圧を受けることがありましたが、私的な<摺物>は規制を受けなかったようで贅沢の限りが尽くされたみたいです。絵はプロの絵師に指定して描かせることが普通でした。
この<摺物>を役者の贔屓連中も制作するようになるわけです。当然、役者の芸を讃えたり、芝居や役者の私生活の情報を報告した内容になります。
とくに文化文政の大坂で絶大なる人気を誇った三世中村歌右衛門の贔屓が量質ともに他を圧倒しておりまして、この本でもその周辺のことが論じられてます。
歌右衛門の贔屓たちは大量の<摺物>を競って制作してお互いに配り合っていただけではなく、貼込帖に貼り附けて蒐集していたわけですが、これは個人のコレクションとしてではなく貼込帖自体をかなり広範囲の人々に回覧して愉しんでいたようです。ファンクラブの仲間内以外にも広く<摺物>を流布させていたようで、現代のウェブページ制作や、ほかの面白いページを紹介するリンク集づくりとあんまり変わりません。
ちょっと違うのは一流の絵師や職人に金を払ってとことんイメージ通りに仕上げることでして、現代のウェブページ制作で知り合いにちょっと絵を描いてもらうことはあっても何度も駄目出しをして想い通りにするなんて方は個人ではいないと想います。同人誌なんかもあくまで自分の作品を発表するためのもので、能力のある人を集めて細かく指図して想い通りの作品にするなんてのはあんまりない。
さて、<贔屓本>はそんな背景のもとに出版されたわけですが、<摺物>を集めてそのまま一冊の本にしたものや、出版社が贔屓から狂歌を募集して一冊にしたもの、あるいは贔屓そのものを役者評判記風に何百人も紹介したものなどいろんな内容の本がいろんな関わり合いのもとで紡ぎ上げられていきました。歌右衛門の芝居の作者が編集に加わったりして、こうなると現代の芸能事務所や出版社がファンを利用してビジネスをしているのと同じだと感じるやも知れませんが、贔屓のほうには<摺物>以上に広範囲に歌右衛門の素晴らしさを伝えたいという戦略があり、芝居にさえ介入するくらいですから当然想い通りの本造りを貫くはずで、また出版社社長や芝居の作者も歌右衛門ファンクラブの仲間だったりで、なかなか簡単には説明できません。
神楽岡幼子も贔屓と出版社のどちらが主導権を握っていたかは判らないと書いてるし(若い世代の女性で歌舞伎好きとなると同人誌を識らぬはずもなく、含みのある表現はしているけど)、あたしの貧弱な知識で歯が立つような問題ではないので以下で述べることは妄想としか云いようがありませんが、あたしがひつこく説いてるコミケなんかの自分が描きたい本の出版ではなく、自分が読みたい本の出版活動として理想的なものがすでにここにあるんではないかと想っています。
少なくとも贔屓の制作する<摺物>は、俳諧や狂歌連中なんかのそれとも違ってずいぶんあたしの考えてることに近い。また、歌右衛門の<贔屓本>を一手に引き受けていた出版社・河内屋太助の「印刷、版下、文章までご希望しだいの内容で引き受けます」という同人誌制作広告が載ってるんですがなかなか面白い。あたしの云う自分が読みたい本の出版活動というのは出版社を排除することではなく、出版社なんかは道具として読者が使いこなしてやればいいという意味であるのですから。
なんにせよ、こんなことを仰々しくぶち上げるにはあたしの江戸文化に関する知識はおそまつ過ぎるな。そもそも<贔屓本>や贔屓連中の制作するたぐいの<摺物>を実際に見たことがないんではお話にならないとウェブ上を探していて、早稲田大学がいつの間にかエライことになっているのに初めて気が付いた。
演劇博物館所藏の4万7千枚に及ぶ浮世絵のすべてが、去年の末からウェブ上で実物大で公開されていたのか!全然識らんかったよ。たとえば三代目歌右衛門だけでこんな具合に687枚(※2015年追記。いま見ると何故か536枚に減ってますな)も出てくる。また、文学部には俳諧摺物データベース(何にも入力しないで「Search」を押すと順番に出てくる)なんてのもある。
なんかウェブもやっと理想的な姿になってきたようですな。大学なんてのはくだらない感想文みたいなのばかり大量生産する前にこういうことをやってくれんとな。あとは個人の活動が江戸時代の連中に負けないくらいになればいいんですが。
ところで神楽岡幼子のこの本は1万2000円もするんですな。堅くて内容のよく判らんタイトルを附けねばならぬ事情とともに、江戸時代から後退しているような2002年のわけの判らん出版状況を顕す事例として後世に残るでしょうか。せめて『贔屓本の世界』くらいにするか、想い切って副題に「江戸時代の同人誌」とか「江戸時代のウェブ」とかハッタリをかましておけば多少は話題にもなったのでしょうが。
玄人スジの書評さえもウェブ上にはひとつもないのはどういうことか。あたしの知識が足りないだけでなにか問題含みの本でもあるのか。いろいろいっぱい傷ついて、現代の本には無闇と疑心を抱く哀しきあたくし。
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