絶望書店日記

メールアドレス
zetu●zetubou.com
●を@にして送信してください

絶望書店日記を検索


絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



フィード
 rss2.0




過去


最近記事


カテゴリー


























2003/3/10  遊女を虐待する人々2

 遊女を虐待する人々1より続く。

 さて、そもそもの最初の問題である平均寿命であるが、江戸時代125年分2156人の女性の死者のうち、死亡年齢が記載されているのはなんと64名しかいないのである!しかも、そのすべてが1冊目の過去帳であるという無茶苦茶偏ったデータから平均寿命なるものはひねくり出されているのだ!
 しかも、しかもだよ!64名の年齢分布を見るとかなりが岡場所の遊女であることは間違いがない。なんせ、40歳がひとり、30代が4人含まれている。その文章を読めば判るが、西山松之助は何故か自分で混乱してこれを吉原の遊女と勘違いして、27歳の定年が必ずしも守られていなかったようなことまで書いているが噴飯物である。
 もう一冊、浄閑寺の過去帳データが掲載されている北小路健『遊女 その歴史と哀歓』(昭和39 人物往来社)に引用されている死亡年齢が判る2人の記載を見ると2人とも岡場所の遊女で、この2人のデータは1冊目の記載であるし、まず間違いがない。
 つまり、「吉原の遊女の平均寿命23歳」というのは以前にあたしが述べたような一見もっともらしい「数字のトリック」ではなく、どこから見ても正真正銘の出鱈目なのである。ここまで酷いと64名のなかには一般女性や下女も含まれているのではないかと疑わざるを得ない。もっとも、一次資料を見ているわけではないので、これもあくまで推測である。
 ひょっとすると28歳以上の者すべてに吉原の遊女と判る記載があるのやも知れぬが、その場合は岡場所の手入れで捕まって吉原に罰として送られてきた定年が関係ない奴女郎とまず考えるべきなのにまったく考慮していない。
 だいたい、吉原というのは岡場所とはまったく違う美女中の美女を寄り選った超高級店で、定年間近の27歳くらいでも客が着かずに困るというような話があるくらいで、40歳で勤まるわけがない。刑罰として岡場所から送られてきた者を吉原の楼主たちがセリあった記録が一部残されているのだが、それを見ると40歳代の女は極端に低い額で、あたしは遊女ではなく下女として買われたのだと推測している。それが正しいかはともかく、可能性の高い順番に考察していないでいきなり定年のほうを疑うというのは困ったことである。
 いずれにせよ、平均寿命はデータの偏りだけ考えても出鱈目なんである。

 この西山松之助『くるわ』は悲惨派特有の嫌らしい表現が頻発するものの、それまで誰もきちんと調べなかった浄閑寺の過去帳を調査しているように実証的で全体としてとても優れている。時としてたんなる階級闘争的江戸暗黒史観を踏み外す悲惨な遊女を憂える蕩々たる描写は胸を打つ一遍の詩にまで昇華されており、名著と云ってよい。肝心のデータの解釋はこれまで述べたようにおかしな点はあるものの、平均寿命は偏ったデータで目安でしかないことをきちんと断っていたり、最低限の手順は踏まえられている。
 問題は一次データを精査するどころかこの書さえまともに読まずに、もともとおかしなデータをさらに歪ませて孫引きしている輩である。この連中は平均寿命があたかも過去帳に記されているすべての遊女のデータをもとにしているように見せかけたり、過去帳には少なくとも1割の一般女性が含まれていることも考慮することなくその数の多さだけを強調する。
 そしてほとんどの遊女が若くして死んでしまうと己でも想い込み、その原因として折檻や過労死などという何の根拠もない幻想を生み出し、さらにその幻想が23歳でほとんどの遊女が死んでしまうという幻想の根拠となるという、変態の妄想に基づいた歪なる円環を形成している。
 浄閑寺は俗に「二万五千の墓どころ」と云われるが、それは寺の開創から寛保3年まで88年間の過去帳の失われた部分を後の数字から類推し、安政地震や関東大震災で人体不詳のまま葬られた人々の数を適当に出して加算した、一般の男女や子供まですべて合わせた仮の数字に過ぎない。実際にこの寺に眠っている江戸時代の遊女は安政地震の犠牲者を含めた西山推測の最大値でも2300人である。明治以降を合わせても2倍程度であろう。しかし、浄閑寺は訪れる観光客に二万五千人の遊女が葬られていると説明しているようで、それをそのまま信じている者がウェブ上を見渡しただけでも無数にいる。
 悲惨な遊女などというのはこういう輩の商売の道具にされているのだ!死んだあとまで嫌らしい欲望の対象として搾取しつづけるとはなんと恥知らずで恐ろしい連中であろうか。西山博士の嘆きをそのままぶつけてやりたい。
 遊女を虐待しているのは江戸時代の吉原の楼主ではなく、遊女を悲惨などと云って悦んでいる連中のほうなのである。一大悲惨産業を形成しているので、歴史をねじ曲げてでも遊女は悲惨であってもらわないと困るらしいのである。

 ウェブ上には安政の大地震のときに遊女の逃亡を恐れて楼主が大門を閉めたために逃げ場を失って多くが焼け死んだという話を載せているページが信じられないくらい数多くある。ウェブ上の素人だけではなく、本に書いている学者も信じられないくらい数多くいる。
 安政の大地震が起こったのは夜の10時であり、客の一番多い時間帯にそんなことがあり得るはずがないことはまともな思考力があればすぐに判ることである。実際に客も数多く死んでいる。
 吉原は幅9メートルの堀で囲まれていて出入り口は大門の一カ所しかない。しかし、非常時には6カ所の橋が堀に掛かるようになっていた。ところが地震でこの橋が壊れてしまい、ひとつの出口に何千人もが殺到したために被害が大きくなったらしい。
 驚くのは吉原には遊女のほかに客もいるという当たり前のことを想い付かないその頭のおそまつさである。多くの男女従業員がいたことさえ想い付かない想像力の無さである。悲惨派が未だに遊女を虐待しつづけ、しかもそれが正しいことのように考えているのは、まさしくこの想像力の欠如によるものである。下女など虫けらほどにも気に掛けていないのであろう。
 そもそも、阪神大震災の映像を観たことがあるのなら、大地震のときに門などというものが物理的に使い物になるのかどうか疑問が湧くはずなのだが、この連中は何百年前のことどころか眼の前で起こっていることさえ視えないのだ。
 それでいて、縛られて鞭打たれる遊女や炎に灼かれて逃げ惑う遊女だけはよく視えるらしい。こんな嫌らしい連中が歴史に口出しして、またそんなものが大手を振って罷り通っているのである。
 賢しらに江戸時代の現実を見ろなどと云っているしたり顔の連中の、これが正体なのだ!

 呆れるのは現在に至るまで一次資料である三カ所の寺の過去帳をほんとうの意味で精査した者がひとりもいないということである。つまり基礎情報が何もないまま遊女に関する無数の本と無数のウェブページだけが積み上がっている。評価以前の無意味な想い付きだけが垂れ流されている。これが学者の世界や本の世界の実体である。その荒涼たるありさまに、ただただ茫然とするよりほかに術がない。
 電車に乗って寺に行けば過去帳は置いてある。痛んで判読の難しいものもあるようだが、古文書読みの達人と云われた北小路健の写しがどこかに残っているはずだ。それらを読めば、前回あたしが云ったような推定は盡く確定する。
 誰かやりなさい。イデオロギーのためなのか、学者同士の権力争いのためなのか、商売のためなのか、変態性欲のためなのか、遊女を虐待しつづけたことへの、せめてもの償いとして。