あたくしが定期的に読んでいたページは2ちゃんねる研究とwad’sの本のほうくらいで、ふたつとも休止してしまってもう1年近くも読むものがない。2ちゃんも1ch祭が終熄してからはわざわざ読むようなスレはないし、 坂本正治氏がどうなってしまったのか誰も教えてくれんし、つくづくと読むものがない。もとより、雑誌や新刊本で読むほどのものはありゃせんし。
この渇き切った肉體をいったいどうしてくれるのよとひとり身悶えていたおりもおり、ひょんなことから未映子という歌手の方のサイト(※昔、ビクターにあったサイトで、今は閉鎖。フラッシュだけで構築されていたため、インターネットアーカイヴにも残されていない。)を識ったのでありました。
ここの日記はなんかちょっと凄いぞ。vol.0006の「曖昧な、あまりに曖昧な」だけでも黙って読んでみなはれ。
この人は『月刊ソングス』という雑誌に「第九感界彷徨」とかいう文章と詩を連載しているのだけど、これがまたたゆたう如きの妙ちきりんなリズムを刻んでいて凄いぞ。いや、詩がほんとうに凄い!
この雑誌はドレミ楽譜出版社の雑誌営業力の弱さなのかなんなのか、大きい本屋にもまったくはいっていない。毎月あちこち捜し歩いて読むはめになっている。どうも、本屋より本も置いてるレコード屋のほうが確実らしい。
さても、この期に及んで雑誌を探し求めてまでむさぼり読むことになるとはこの絶望書店主人、夢想だにしておらなかった。それも、十代向けの音楽誌を、よりによって詩を読むためにほうぼう訪ね歩くことになろうとは。
騙されたと想って諸氏も一回読んでみなさいな。ウェブ上からも買えるし、500円だから絶対に損はない。
絶望書店日記を読んでる編集者は多いみたいだけど、早い者勝ちですぞ。いま現在、これほどの文章の書き手はほかにはおるまい。おるなら教えてほしい。もっと適した場を得れば大評判になること請け合い。諸氏の眸がふしあなでなければ一読たちまち首肯する。
これで当面、読むもんには困らんな。果てしなき砂漠を彷徨い、やれやれと一息つく。
なんか歌も聴くようになったりしてるし。あたしが義太夫や長唄以外の音楽に接するなんてジッタリン・ジン以来か、何年ぶりだ。
ところで、この未映子オフィシャルサイトは日記の目次に日付とタイトルさえ入れていないようにほんとに酷い造りになってるけど、驚くべきことにすべてのページが検索拒否になっておる。それもロボット拒否の下にはグーグル用のロボット拒否も入れるという二重のブロックをかける念の入りよう。おまけにsnippet表示拒否までしている。
スニペットというのはグーグルの検索結果に表示される説明文のことですが、これの表示拒否をあたしは初めて見た。そもそも、これを拒否するというのはどういうことなのか。検索に引っかけるためだけにキーワードをずらずら並べたページならバレないように隠す必要もあるのやも知れんが。どういう場合に表示拒否をするものなのか、ご存じの方はご教示いただきたい。
いかにして検索に引っかかりやすくしようかと皆さん苦労している世智辛いこのご時世に宣伝サイトが検索拒否をするとは。リンク拒否はよく聞くけど、こんなのはほかにあるんでしょうか。
まあ、レコード会社はいまはどこも苦しくてサーバ代をケチるために売れてない歌手のページはできるだけアクセス数を抑えようとしているんだろうけど(いろいろ考えたがあたしにはほかに理由が想いつかない)、それなら表紙のアニメを飛ばして直接日記に誘導すればよさそうなもんで、どうもよく判らない。
もともと、ここの日記はフラッシュの外部ファイル表示なんて方式を取ってるから検索拒否なんかするまでもなくたぶん検索もできないし、直接リンクも張れないようになっている。最初から未映子を識ってる方しか辿り着けず、偶然読む可能性がゼロだ。
レコード会社もプロのウェブページデザイナーも腐り切っているとは想っていたけど、しかしこりゃまたひどいもんだね。ここのページは絵も未映子が描いてるらしくていい感じだけど台無し。邪魔するためだけに給料もらってるのかね。世の中どうなってるの。
ほかの人が書いた詩を歌わしたりしてるし、まさしくふしあな。スーツ権とかコモンズとかそんな高尚なことをとやかく云う遙か以前の世界であります。たんにド素人が訳の判らんことをやってるだけのことで。
これだけの文章書きが読書系サイトでもまったく取り上げられていないのは奇蹟としか云いようがありませんが、ひとえにこの検索拒否によるものでありましょう。
そう云えば昔よく読んでいた硯海(けんかい)というサイトがありまして、ここは基本的に廻文のページなんですが、あたしには型にはまった廻文はつまんなくて、こっちにある散文が好きで、更新が停止されてからもときどき覗いては再開されないかともう4年も待ってるのですが。
この方の廻文は自費出版されてタコシェなんかで売ってるみたいですが、散文は載ってなくて残念であります。
なんか急に想い出した。やっぱり、読むべき書き手がひとりだけではまたいつ読めなくなるかはなはだこころもとないのでいろいろあちこちにいてほしいもんではあります。