絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2002/11/17  しっぽは廻るか?

 しっぽを廻せ!の「船に渡された綱」「脚を滑らして落っこちる」「着地」なんてのは隱喩としていくらなんでも無理があって、書いてるときも通じないだろうなと想っておりました(ジュニア・チャンピオン・コースにこういうネズミのシッポについての記述があるのは事実ですのでその点は誤解なきよう)。肉付けしていく文章を何本かゆっくりと書くつもりだったのですが、すぐにあんな騒動がはじまって生煮えのまま出すことにいたしました。ネタをいくつか損したな。まあ、そんな具合でこっちが通じないのはしょうがない。
 しかし、それでしっぽを廻してるつもりか?!の「これだけよく映る鏡を見せつけられても己の醜い姿に気づかんおまえら」の「鏡」が通じないとは想っておりませんでした。
 この文章についての反応は「なんであんな莫迦な連中が俺たちの姿を映す鏡なんだ!」99.8%、「たしかにそうかも。ちょっといちから考えなおしてみようかしら」0.2%と予測していたのですが、どっちもないとはまったく通じていないということか。酔っぱらいお兄ちゃまの日々というのを読むとほんとに通じてない。あれっ、訂正が入ったか。でも通じてない。「読むにあたいするのは絶望書店と2ちゃんのごく一部だけ」と明記しているんですからその点くらいは読み取ってほしいものですが。
 blogのお莫迦な仲間たちがウェブ日記をやってる方たちの鏡像と考えるかどうかはさておいて、あくまでもこのあたくしの文章についてみなさまのご意見いただけないでしょうか。「鏡」の意味が通じたでしょうか。通じていなかったとすればどう書けばよかったのでしょうか。今後の参考にさせていただきます。

 さて、今回のしっぽ文に触れた方々の日記を見てまいりましょう。
 ひさしぶりに「すべからく」にツッコミが入りました。闇黒日記(11月15日)。絶望書店が開店してからそろそろ5年になりますから「すべからく」の間違いを指摘する方はこれまでも何人もおられます。まず、その点に想い至らないのはまともに思考していない證左です。そういえば最近はこういう指摘もなくなりましたけど、自分みたいなのが先に何人もいるんだろうなと気づくんでしょう。すぐ下に10万単位のカウンターもございますし。
 「すべからく」を「すべて」の意味で使うのは間違いと考える方は言葉に疎いということを自覚いたしましょう。そもそも言葉とは何かをよく考えてみることです。時代とともに変わるものとかそういった話ではなく言葉の本質です。
 語源は時代の変化、あるいは情報伝達の歴史的地理的系譜を探るには重要な要素ですが、現代の言葉を語るために使うにはいろいろ注意も必要です。そもそも、語源なんて云い出せば現代の言葉の半分は間違いで半分は詳細不明になるはずです。ただ、それだから間違えて使ってもいいと云っているのではありません。もっと本質的な問題です。
 言葉とは何なのか考えて考えて考え抜いてみましょう。呉智英みたいなのを持ち出して思考停止するのは感心しません。呑み屋での蘊蓄ならそれでいいですが、本気で言葉そのものについて興味があるのなら自分の頭でとことん追求してみましょう。しっぽを廻すとはそういうことです。
 絶望書店にはもっと明確に間違えた言葉がいっぱいあるのに、こういう指摘をする方が全員「すべからく」を持ち出すのは、やはり知性に問題があるとしか想えません。自分の頭で考えていないということです。

 じつは開店以来はじめて「すべからく」以外の言葉にツッコミが入りました。紀長日誌。こっちのほうが見所はあるな。しかし、五十歩百歩ってあなた、語源的にもそれはちょっと違うよ。『孟子』を読みましょう。あれっ、こっちも文章が書き足されて少し弱気になってるな。でも、それもちょっと違うよ。原典を読みましょう。もちろん、あたくしは孟子が勝手に誤用した意味ではなく、本来の意味で使ってます。だって50歩と100歩ですよ。算数できますか?孟子には算数ができなかったんでしょう。
 それで孟子も50歩のほうが駄目って云っていると想うんですけどね。あの話は相手を嘲笑うという処がポイントで、嗤った50歩のほうを諫めているんでしょ?うーん、まさしく今回の話そのまんまの図式だ。そういう意味ではあたしも気づいてなかったな。みなさんも『孟子』を読んで今回の騒動の教訓といたしましょう。鏡よりこっちのほうがよかったか。
 このポイントを欠いた記述をそのまま受け取って笑っている方だめだめ日記がいらっしゃいます。こういう情報の廻り方が「ウェブ日記文化」というものなんでしょう。いや、つまらない正解がぐるぐる廻ってるだけの現状よりはこっちのほうが文化としてふさわしいと想いますよ。いや、これほんと。孟子だって誤用してるから偉いんです。

 上記以外に今回のしっぽ文に触れた方々のリンクを張っておきます。読み比べてみればなかなかおもしろいかと。リンク元の表示ってのはそれなりに意味があるな。これはあたしの認識不足でありました。

赤尾晃一の知的排泄物処理場
ひとりごちる
ぷろじぇくと、みすじら。
山形浩生勝手に広報部:部 室
The title of my diary is undetermined.  11/18追加
mesh watch!! ←シャリア・ブルという形容はあまりにも哀しく、そして切ない。無名の戦士に黙祷。 11/18追加
WikiLikeDev  11/18追加
千熊屋ウラ blog  11/18追加

 ひとつ気になる日記があったんですが見失ってしまいました。しっぽ文の反響を見護っていた方なんですが。ほかにも漏れているものがあれば教えてください。コメントのないものは外してます。
 blogを嗤ってる方々のいくつかがblogmapというのに捕捉されていることに気づきました。あなたがたのやってるのはblogらしいですよ。少なくとも絶望書店日記よりはみんな高機能ではあるな。あたしはアップルスクリプトでしこしこ書いた自分用のツールに愛着があって、機能を足す能力も気力もなくてこのままいきそうですが。むしろ機能のない取り残されたグループに新しい名称を付けるほうが早そうだ。
 今回の反応で一番感心したのが2ちゃんのblogスレのこれです。

    290 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/11/14 14:57 ID:UwGlgQVs

一言でまとめると
絶望書店>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>blog>>>>>>>>>>Web日記
ということが言いたいらしい。
評価の基準は主観のようです。


 なんと的確な要約か。だらだらやらないでこう書けばよかったのか。しかし、正確を期すると

絶望書店>>>|越えられない壁|>>>2ちゃんの極めてごく一部>絶望書店日記>>>>>blogスレ>blog>Web日記

となります。blogはなんも始まってないんだから可能性がないわけでもないこともないかもということです。もちろんあのグループ以外のこれからの人たちのことですよ。ウェブ日記はすべてカスということがすでに確定いたしました。絶望書店日記は絶望書店主人がわざわざ書くほどの内容でもないような気がしています。あたしの云う一瞬の2ちゃんの輝きというのがお判りいただけないみたいなので、比較のために上記のblogスレを入れてみました。評価の基準は世界の果てからの使者が齎した啓示です。
 なんか釣りをするためにわざと無茶なことを云ってるというような反応もあるのですが、あの文章は虚心坦懷に想うままに綴ったもので、さらなるツッコミをいただけると幸いです。できれば言葉遣いのこと以外で。
 半端な知識で詰まらない言葉のほうにツッコミを入れるだけでまともな反論はひとつもなく、大学の先生は早々に白旗掲げるって、まったくお莫迦blogグループと同じではないか!やっぱり鏡なのか!?とくにあたしが気に入らんのが赤尾晃一の反応で、おまえらが嗤った武邑光裕以下だぞ!そこに気づかんだけでもほんとに恥ずかしい連中だ!莫迦者どもが!!!!!!

 まだら牛にはお答えしたい。あたしはあなたと同じことを云っているのです。いまはまだウェブ上に無いものが多すぎる。呑気に同んなじようなくだらないクズ文を綴っている場合ではない。たとえばまともな少年犯罪データは絶望書店のこれしかない。あなたが当店をよくご存じならあたしが何度もデータ作成を呼びかけているのは識っているはずです。あなたがやってみればいかがですか。こんなのは能なしでもできる。ネズミのシッポの観測も港で何週間か野宿すれば誰でもできる。いまは手分けして基礎的な情報を積み重ねていくべき時期です。青薔薇ほどおもしろい文章なら内容などいらないのでそれでもいいですが。あなたは何をやってますか?口を開けて待ってるだけですか?

 今回はあちこちのリンクからざっと2000人ほどの方々がやってこられましたが、そのうち青い薔薇の刻印のページまで辿り着いた方は5人だけでした。1%はいると予測しておりましたが、まあこんなものか。こういう方々が情報をあつかおうというのですから、期待するほうがどうかしています。絶望書店を初めて識った方も多いみたいで、能力のある人だけに視えるインターネットというのはやっぱりあるわけです。
 しかし、悲観はしておりません。しっぽを廻そうとしている方はこんな騒動など眼中になく、青薔薇などすでに何度も観ているでしょうから。青薔薇を越えた文章を毎日読みたいし書きたいものですなあ、御同輩よ。
 みたび命令を伝える。しっぽを廻せ!以上である。

11/18附記 冬眠日記。に一言。たとえば五十歩百歩の原典を載せてるページにリンクを張るだけでも、ただ同んなじ情報がぐるぐる廻る情けなさから簡単に解脱できるのになにゆえそこに気づかないか。編集という概念をつねに胸に抱いてはいないのか。
 リンク集など情報の遣い廻しをする方は贔屓本の世界にある<摺物>の貼込帖についてお勉強して、江戸時代のご先祖様を越えるように精進いたしましょう。