絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2007/12/31  高山宏が川上未映子を語る

 絶望書店日記は、ひとさまが書くようなことは面倒なので書かないという方針でやってきておりまして、芥川賞候補になってから川上未映子も世間に注目されるようになって、あたし風情がわざわざ取り上げることもないだろう、もうあとはたとえノーベル賞を取ったとしても川上未映子賞が世界最高の芸術賞として制定されたとしても二度と再び未映子については書くまいと硬く心に誓っておったのですが、あっさりと書かねばならぬ事態が生じてしまいました。
 なにかというと、高山宏が未映子をべた褒めという事態です。高山宏が現代日本の作家を誉めてるだけでも意外の感に撃たれたのですが、まあ一時期はカヒミ・カリィなんかに入れあげてたりしていたこともあるらしいからそんなような流れであるかなとも想うのではありますが、問題はここの下のほうにある坪内逍遙大賞奨励賞の銓衡理由でありまして、これが高山宏の文章であることの裏が取れましたので皆様方にご報告しておかねばならぬとかように存じました次第であります。
 つーか、だいぶ前に裏は取っていたのですが、なんでほかの誰もきちんとウェブ上で記録を残しておかんかね。あの授賞式に出席した人は識ってるはずだし、村上春樹については緘口令が敷かれたらしいけど、こっちのほうは問題ないはずなのに。緘口令にも関わらず授賞式のことをミクシィあたりで書いてる者も結構いるというのに、肝心なことを記していない。こういうことは情報の結節点のひとつとして、きちんと報告してくれんと困るよ。
 先日出たフリーペーパーのほうの早稲田文学で記述があるだろうと想っていたら、表紙は未映子なのに逍遥賞についてなんも書いてないではないの。この雑誌にとっても寿ぐべきことのはずなんだろうに。これでしかたなくあたしがまた書くことになりました。
 ひとりだけ2ちゃんに書き込んだ者がいるけど、2ちゃんのななしの一言だけの短い書き込みよりは、この絶望書店主人の云うことのほうがいくらかは信憑性もあることでしょう。

 たんに高山宏が未映子を絶賛しているだけならこのあとに高山宏の読んで生き、書いて死ぬでもやってることだから、ことさら逍遥賞のあの文章にこだわることもないのだけど、唯一逍遥賞のほうにしかないのがラブレーの話で、絶望書店日記の前回の川上未映子なんて剣玉でラブレーについて記したけど、ほかにも未映子とラブレーを結び附ける者がこの世にいるとは想ってもみなかったので、これにはたいそう驚いた。
 この時には「町田康というのは古今の文学史のなかでもあれほど破綻のない展開と均質な文章を駆使する作家は他に例がないのでないか」と云ってるけど、考えてみれば渡辺一夫・翻訳のラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』もまさしくそれであって、云い廻しが難解だとか駄洒落のレベルがどうとかいうことではなく、平板で一本調子だから読んでも読んでもいっこうに面白くなってこないのだった。あの味気なさは町田康と双璧だ。こんなのが文学史上にふたりもいるなんて改めて驚いた。
 この際、未映子にラブレーの翻訳をやらせてみたらおもろくなるんではないかと、高山も掲げている未映子日記の「フラニーとゾーイーでんがな」を読んでいて想う。ガルガンチュアみたいな話は文章に抑揚がなければどうしようもない。
 ラブレーの原語もあんなに味気なく平板なんですかねえ。他の人が訳した『ガルガンチュアとパンタグリュエル』なんてのが出ていることにいま初めて気づいたけど、これでも読んでみますか。未映子に翻訳やらせるほどのガッツのある編集者はおらんかね。

 未映子のほうは『わたくし率 イン 歯ー、または世界』と、次の芥川賞候補になるであろう『乳と卵』のような一見判りやすいがゆえに極めて判りにくい作品が続いたけど、ようやく『先端で、さすわさされるわそらええわ』が本になって、この極めて難解であるゆえに判りやすい一連の驚愕作品群によって未だ懐疑的だった諸氏にも未映子の力量が正しく広まることになるでしょう。絶望書店主人の数年間に渡ったくどい未映子キャンペーンもここでようやく安らかなる終焉を迎えることができるわけです。絶望書店主人のあまりの正しさにはもう註釋が必要なくなった。
 しかし、この新しい本のカバーはせっかくの目立つはずの表紙絵を見難くしているうえに、一番肝心な絶妙のタイトルまで読み難くしていて、どうも心底心穏やかとは云えんところがなんともはやでもあるのですが。そもそもの最初からもっと判りやすく出ていればあたしも苦労することもなかったのに。ってべつにあたしがなにをやったというわけでもないんですが、最後だから想ったりして。