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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2001/9/3  名前の力

 ひさしぶりに日本のロケットが飛んだそうで、世界各国のロケット性能比較なんてことをあちこちでやっておりました。そんな一覧表を観るに、もっとも重要な機能である名前がない時点で最初からなんの勝負にもなっていないことが判ります。
 ロケットの名称については宇宙科学研究所のこのページがまとまっていて便利ですが、「ペンシルロケット」や「ベビーロケット」なんてのも<名前>とはとても云えないでしょうから、日本の歴代のロケットはすべて記号で呼ばれてきたことになります。そんななかでも「H-IIA」は検索はしずらいわ機種依存文字まで入っているわで、インターネットもパソコンも使ったことのない人々が開発をやっているのではないかしらんと疑ってしまいます。今の世の中、検索できないのは存在しないのとおんなじですから。
 そんな利便性の問題だけではなく、名前というものの絶大な力が判っていない。日本のロケットの慘憺たる失敗の歴史は、名前が無いせいだとあたくしは本気で考えております。名前には確固とした推力が備わっているのですから。コストを考え併せても最重要の機能なのです。

 いまだになんで名前をつけないのだろうかと調べてみたら、二年前に名前募集なんてことをしていたことを識りました。ところがこの宇宙開発事業団のサイトには結果がなんにもない。どうなったんだろといろいろ巡ってようやくこちらの日記に辿り着くと、なるほどそういうことだったようです。
 この部分を読む限り、名前の重要性は重々承知していて、そんな重いものを搭載するほどの段階にはとても至っていないと云っているように受け取れます。ひょっとするとまったく反対に<愛称>なんてお遊びをやっているような状況ではないと云っているのかも知れませんが、いずれにせよ困ったことではあります。
 付けた名前の善し悪しは多分に心理的影響力の問題(これはもちろん重要。それにしても「ホープ」ってのは酷いな。記号と換わらん。きちんと胸に響く日本語にせんかい!)でありますが、名前そのものを付けないというのは純粹にテクノロジーの問題です。この文章は「われわれはまだエンジンを搭載するような資格がない」と云っているにほとんど等しい。名前の推進力を理解できないというのは、人間の営みである技術というものが根本的に判っていないということだとあたくしは想います。コスト意識もない。これでは飛ぶものも飛ばなくなります。
 それ以前に名前が無いというのは存在しないということです。成功どころか失敗もない。あの文章は失敗を見越して極力目立たないように名前を付けなかったというふうにも読み取れますし、サイトに結果を掲げず応募者だけにこっそり連絡するというのもそんな心情からかも知れませんが、そうであるなら失敗の重要性も判っていない。もう一度云いますが、名前が無いというのは成功どころか失敗もないということになるのですからな。ロケットの失敗が大好きなあたくしもまったく興味を惹かれない由縁であります。
 もう、無理してロケット開発なんか続けるのは諦めて、やめてしまったほうがよろしいのではないでしょうか。なにより開発者自身が、そう願っているのではないでしょうか。
 もっとも、いまだに糸川英夫の亡靈が生き残っているといった、この手の組織にはありがちの詰まらない理由からだったりするのやも知れませんが。

 なんにせよ日本でロケットと呼べるのは<海オケラ号>だけだと云うことです。ほかは<無>なのです。開発者たちがそう望んでいるのです。
 名前の力とはそういうもんです。