未映子のマネをして、絶望書店日記もよりぬきをやってみます。まだ読んでない方はこちらから読んでいただけると幸い。
2001/2/25 ブラック・ジャックの素
2001/4/24 ブラック・ジャックの素2
これが当方の一押しで結構読まれてもいるのですが、何故か情報はあんまり広まってはいません。残念です。また再放送があったときに大々的に取り上げようと考えていたのですが、なかなか放映もありませんし。
『ジキルとハイド』は政治家やアイドルなど一見完璧な家庭に丹波哲郎が闖入することによって、家庭崩壊の実態や立派な肩書きを持つ者の偽善を暴き出してしまうという一話完結の話で、こんなところも『ブラック・ジャック』にモロに影響を与えています。つーか、そのまんま。
手塚治虫を語る方は必見です。これを踏まえてない方の手塚論はすべて偽物です。
キャラというものを考える方は上記の記事とともに2002/12/21 戦闘美少女・お園と次のキャラ萌え至上主義をぜひにも読んでいただきたいもの。
とくにツンデレを語るにはこのお園を識らないことには話になりません。萌え要素としてツンデレを意識的に前面に押し出したのは220年前のお園が最初でしょう。
ツンデレと云われて、こういうのがすっと出てこないところが、昨今のヲタクの教養のなさを顕しております。いまあるキャラ論などは歌舞伎論文楽論で何百年も前にすべて尽くされております。
歌舞伎・文楽関係は2001/5/4 中村歌右衛門とヲタク魂、2002/2/27 近松の逆説、2003/1/5 三島由紀夫の到達点と総じていい感じですな。
ただ、これらはあくまで異端的な観方ですので、識らない方がこれを基準に歌舞伎や文楽を受け留めると間違ってしまいます。
2003/3/8 遊女を虐待する人々1
2003/3/10 遊女を虐待する人々2
これも結構自信作でありまして、「平均寿命23歳」「小谷野敦氏からの電話」はあれからますます評判を呼んでもう10万人近くが読んでるんですが、肝心のこの論考へのリンクは1/10も飛ばないという嘆かわしい事態となっております。つーか、これを読んでないと長々となにについて対話をしているのか皆目判らないと想うのですが、みなさんいったいなにを読み取って面白がっているのでしょうか。
結局、2000/10/15 本と卷物と日記とで最初に説いたように内容なんてどうでもいいんでしょうなあ。
2000/11/24 小金治ドットコム、2001/1/28 寿司屋のアナゴ、2002/2/7 十二人の怒れる男の恐怖なんて小ネタもいい感じ。
改めて読み返してみると絶望書店日記は、現実に対していかに幻想で闘うかということを書いてたつもりなんですが、いつの間にか世間の幻想に対して現実を示すという真逆の方向になってしまいました。挙げ句の果てが少年犯罪データベースだったりするわけで。
ほんとに困ったもんです。これこそが現実の巧妙なる罠なんでありましょうか。うまうまと乗せられております。
最後に2002/11/21 惡質な筆者で述べている「すべからく」の話ですが、これを受けて闇黒日記さんでは
ちなみに、「反抗は奴隷の自由」とニーチェは言つた。言葉の決りに逆らつて威張つてゐる奴は例外ナシに馬鹿。
と返答されて、あたくしは唸りました。
いや、まさしくあたしが云いたかったのはこういうことで、言葉とは「奴隷の自由」なのです。だからこそ常に反抗を続けて混乱を起こしていかんといかんのです。
とくに日本語はいかに元の意味と違った意味に言葉を使うかということに命を賭けていて、言葉の最大の目的であったりすることが、歌舞伎や文楽などを観ているとよく判ります。言葉の値打ちが比喩にあって、現実から離れた思考の飛躍を導き出す源泉となっている限り世界中そうなんですが、やはり日本のヲタク文化は最初から現実にフィードバックすることなど微塵も考えずに言葉をただ自在に駆使して歪ませるということに徹底しているところがあります。
それにしても、ここまで完璧な言葉の定義をあたしはほかに識りません。「惡質な筆者」といい「反抗は奴隷の自由」といい、あたしがくどくどと廻りくどく云ってることを一言でまとめられてしまって、あたしはぐーの音も出ません。完敗です。
あそこで対話を打ち切ると云った手前もあって、またあんまり悔しいので今まで黙ってました。3年後に記しておきます。
まあ、絶望書店日記もこの「反抗は奴隷の自由」というやつを最初から何年も飽きずに続けていたわけです。
オマケ
日記ではありませんが、絶望書店で一番のお奨めは青い薔薇の刻印のページですので、ぜひご覧ください。