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9/28追記。
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あたくしが定期的に読んでいたページは2ちゃんねる研究とwad’sの本のほうくらいで、ふたつとも休止してしまってもう1年近くも読むものがない。2ちゃんも1ch祭が終熄してからはわざわざ読むようなスレはないし、 坂本正治氏がどうなってしまったのか誰も教えてくれんし、つくづくと読むものがない。もとより、雑誌や新刊本で読むほどのものはありゃせんし。
この渇き切った肉體をいったいどうしてくれるのよとひとり身悶えていたおりもおり、ひょんなことから未映子という歌手の方のサイト(※昔、ビクターにあったサイトで、今は閉鎖。フラッシュだけで構築されていたため、インターネットアーカイヴにも残されていない。)を識ったのでありました。
ここの日記はなんかちょっと凄いぞ。vol.0006の「曖昧な、あまりに曖昧な」だけでも黙って読んでみなはれ。
この人は『月刊ソングス』という雑誌に「第九感界彷徨」とかいう文章と詩を連載しているのだけど、これがまたたゆたう如きの妙ちきりんなリズムを刻んでいて凄いぞ。いや、詩がほんとうに凄い!
この雑誌はドレミ楽譜出版社の雑誌営業力の弱さなのかなんなのか、大きい本屋にもまったくはいっていない。毎月あちこち捜し歩いて読むはめになっている。どうも、本屋より本も置いてるレコード屋のほうが確実らしい。
さても、この期に及んで雑誌を探し求めてまでむさぼり読むことになるとはこの絶望書店主人、夢想だにしておらなかった。それも、十代向けの音楽誌を、よりによって詩を読むためにほうぼう訪ね歩くことになろうとは。
騙されたと想って諸氏も一回読んでみなさいな。ウェブ上からも買えるし、500円だから絶対に損はない。
絶望書店日記を読んでる編集者は多いみたいだけど、早い者勝ちですぞ。いま現在、これほどの文章の書き手はほかにはおるまい。おるなら教えてほしい。もっと適した場を得れば大評判になること請け合い。諸氏の眸がふしあなでなければ一読たちまち首肯する。
これで当面、読むもんには困らんな。果てしなき砂漠を彷徨い、やれやれと一息つく。
なんか歌も聴くようになったりしてるし。あたしが義太夫や長唄以外の音楽に接するなんてジッタリン・ジン以来か、何年ぶりだ。
ところで、この未映子オフィシャルサイトは日記の目次に日付とタイトルさえ入れていないようにほんとに酷い造りになってるけど、驚くべきことにすべてのページが検索拒否になっておる。それもロボット拒否の下にはグーグル用のロボット拒否も入れるという二重のブロックをかける念の入りよう。おまけにsnippet表示拒否までしている。
スニペットというのはグーグルの検索結果に表示される説明文のことですが、これの表示拒否をあたしは初めて見た。そもそも、これを拒否するというのはどういうことなのか。検索に引っかけるためだけにキーワードをずらずら並べたページならバレないように隠す必要もあるのやも知れんが。どういう場合に表示拒否をするものなのか、ご存じの方はご教示いただきたい。
いかにして検索に引っかかりやすくしようかと皆さん苦労している世智辛いこのご時世に宣伝サイトが検索拒否をするとは。リンク拒否はよく聞くけど、こんなのはほかにあるんでしょうか。
まあ、レコード会社はいまはどこも苦しくてサーバ代をケチるために売れてない歌手のページはできるだけアクセス数を抑えようとしているんだろうけど(いろいろ考えたがあたしにはほかに理由が想いつかない)、それなら表紙のアニメを飛ばして直接日記に誘導すればよさそうなもんで、どうもよく判らない。
もともと、ここの日記はフラッシュの外部ファイル表示なんて方式を取ってるから検索拒否なんかするまでもなくたぶん検索もできないし、直接リンクも張れないようになっている。最初から未映子を識ってる方しか辿り着けず、偶然読む可能性がゼロだ。
レコード会社もプロのウェブページデザイナーも腐り切っているとは想っていたけど、しかしこりゃまたひどいもんだね。ここのページは絵も未映子が描いてるらしくていい感じだけど台無し。邪魔するためだけに給料もらってるのかね。世の中どうなってるの。
ほかの人が書いた詩を歌わしたりしてるし、まさしくふしあな。スーツ権とかコモンズとかそんな高尚なことをとやかく云う遙か以前の世界であります。たんにド素人が訳の判らんことをやってるだけのことで。
これだけの文章書きが読書系サイトでもまったく取り上げられていないのは奇蹟としか云いようがありませんが、ひとえにこの検索拒否によるものでありましょう。
そう云えば昔よく読んでいた硯海(けんかい)というサイトがありまして、ここは基本的に廻文のページなんですが、あたしには型にはまった廻文はつまんなくて、こっちにある散文が好きで、更新が停止されてからもときどき覗いては再開されないかともう4年も待ってるのですが。
この方の廻文は自費出版されてタコシェなんかで売ってるみたいですが、散文は載ってなくて残念であります。
なんか急に想い出した。やっぱり、読むべき書き手がひとりだけではまたいつ読めなくなるかはなはだこころもとないのでいろいろあちこちにいてほしいもんではあります。
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おとといBSでやってくれたおかげで、やっと記録映画『日本万国博』を観ることができました。これで何となく少しは全貌が判ったような気が。
大阪万博には『日本万国博覧会公式記録』という恐ろしく分厚い3巻の本が残っているのですが、これがほんとになぁあああぁんにも書いていない。太陽の塔の内部図解でさえ、アムロが水爆の弾頭を切り離すときに観せられた図以上に簡単な落書きみたいなのが一枚あるだけで、むしろこれほどの無内容でよくぞこれだけ膨大なページ数を埋めたもんだと編集者の力量に感心します。『公式記録写真集』もいったい何を写そうとしたのかよく判らない写真が並んでいて、とにかく記録としてはウェブ上に数多くアップされてる家族写真ほどにも役立ちません。
数あるほかの本をいろいろ読んでみても、どうももひとつ判らない。
山田洋次の『家族』とか『ガメラ対ジャイガー』とか、大阪万博が出てくる映画も観てみましたが、やっぱりどうもよく判らない。反対に「何でガメラはソ連館があんなに好きなんだろ」とか疑問が増えるばかりです。ふたつともむしろ万博を映さないように工夫しているような印象さえ持ちます。ソ連以外の許可が降りなかったのでしょうか。あんな公的な建物のデザインに個別の権利がやっぱりあるのでしょうか。
エキスポランドの横っちょにある記念館では記録映画の1/10ダイジェスト版が毎日上映されているのですが、どうも肝心な処が切られてるし、画面が暗くてよく判らない。なんだか皆さん正面から捉えることを避けているような気がしてきます。
そもそもは我が家が一家揃って根性なしで、万博は一回しか行かなかったし、日本館で3時間並んだのにほとほと懲りてあとは観光地のおみやげ屋と変わらないようなマイナーなパビリオンしか廻らずに、ほとんど万博を避けてしまったのが一番悪いのですが。
三十年目にして、これでようやく僅かながらも近づけたような心持ちです。
堺屋太一さんもインパクなんかやるくらいなら、その予算でウェブ上に大阪万博を完全再現!とかしてくれたらよさそうなものを。唯一のインパク成功のカギだったのに、誰も云い出さなかったのでしょうか。堺屋さんもほとんど記録を残していないのは、やっぱり避けているのでしょうか。
あんな記録本を残す政府に頼ってもしょうがないですが、やはり関係者が生き残っているいまのうちに完全な立体記録を残しておく必要はあるんではないかと愚考いたします。細部まで完璧なるバーチャルリアリティの大阪万博です。
万博の時代は終わったなんて云う方がいて、それはその通りでもあるんですが、違う使い道もあるんではないかと。少なくとも大阪万博には。
梅棹忠夫や小松左京の影響なのか、はたまたいろんな流れが交差して均衡してしまった時代に偶々巡り逢わせてしまったからなのか、歴代の万博のなかでも大阪万博はバランスが非常によく取れています。なんだか科学や未来のイメージが突出していたように記憶されていますが、実際には宇宙を含めたあらゆる地域、古代から未来までのあらゆる時代、科学から美術からスポーツから宗教まであらゆる文化、明らかに<綜合>ということが目標になっています。お祭り広場では連日世界各国の歌や民族舞踊が繰り広げられておりましたし。
それらを再現しただけでもあらゆる情報を集めた、優れた百科事典になります。
あらゆる情報を総合した完全な百科事典を創ろうという企ては古代からあり、最近では荒俣宏や高山宏なんかが盛り上げておりましたが、そこに出てくるメタファーは本であったり図書館や博物館であったりしました。いや、万博であったりしても、大阪万博の話は出てこないのです。ダブル宏の世代は大阪万博を無視したいという心情が働くようです。
あたしは本や図書館や博物館や歴代の万博よりも、大阪万博こそが完全百科事典を体現するに相応しいと考えます。前年のアポロ月着陸で頂点を極めた科学と、公害などによって出てきた科学崇拝への反省が対峙し、未来への興味と伝統文化見直しが対峙した綜合的な万博、とくにメディアという面で究極に達しており、ウェブのあるはずの現代はむしろ後退しているのではないかとさえ想います。来場客さえも、70年ファッションのモデルとなりますし。
最近はバーチャル博物館なんてものがいろいろあるようですが、展示物だけではなく建物や会場そのものが興味の対象となり、イベント性があって180日の会期という時系列順にも体験することができ、何よりも人々を惹き附ける力が違い過ぎ、比較にもなりません。端的に云うとヲタク心があるのです。メディアとして優れている最大の要因であります。太陽の塔の目玉に居座った親父がいるだけでも、ほかの薄っぺらなバーチャル博物館はまったく勝負になりませんな。
できればウェブ上で皆で協力しながらCGで再現し、映像なんかも当時のものをそのまま流すのではなくCGで再現し、個々の展示物すべてに詳細な説明文やリンクをつけたりしたら、Britannicaなんかよりそうとう結構なものになります。学校なんかに通うよりはこんな場で競い合うほうが身に付くんではありますまいか。ウェブ大学のモデルともなりますな。
想うにCGなんかをやってる方で、絵は描きたくてしょうがないけど自分のテーマが見つからないのでしかたなく美少女キャラなんかを描いてる人は多いんじゃないかと愚考いたしますがいかがなもんでしょうか。また、ありあまる知識を無駄に持て余している人も多いかと存じます。
これらの方々をバザール方式で結集したら面白くなると想うんですが。日本型のオープンソース運動としてはこういう方向のほうが向いているんじゃないかと想います。それともOSなんかを創るほうが面白いんでしょうか。立体的な完全百科事典を、つまりは宇宙を創るほうが面白いんではないでしょうか。
PS2なんかもゲームではなくてこんなソフトのほうが向いてるように想います。時代そのものが、もうゲームでもないような気もしますが。ウェブ上の商売も、ネット対戦ゲームやタダでウェブスペースを貸してコミュニティづくりをしたりするより、こんなやり方で集客するほうがいいような気もします。少なくとも昨今のインチキ臭いベンチャーよりは、まだしも何とかなりそうなビジネスモデルではないかと愚考いたします。パビリオンを主催した企業や各国観光局なんかから金も引き出しやすいでしょうし。べつにビジネスにすることもないのですが、権利関係に金が掛かりますかな。わざと外した形にする手もありますが。
誰かやりなさい。小松左京さんなんかいかがですか。誰も全体を体験できなかった大阪万博をそういう形象に結晶させるのは、たんなる再現ではなく完成と云えるのではないでしょうか。
絶望書店とは独りでゼロからこんなことをやろうとしている試みであったのですよ。識ってましたか?