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1964年にフジテレビで放映されていた白黒ドラマ『第7の男』のフィルムが発見されたということで、46年ぶりの再放送をファミリー劇場でいまやってるんですが、そのオープニングの最後に、「こゝに登場する物語 場所 並びに人物はすべて創作である」という断り書きが出てくるのを観て、あれっ?と思いました。
ファミ劇が入れるのなら番組の一番最後でしょうし、画像の具合からも当時のテロップなんでしょう。
ちなみにうちはテレビキャブチャーなんかないですし、この画像はアナログブラウン管テレビをデジカメで直撮りしたものであんまし鮮明ではありませんが、実際の画面はHDリマスターなので無茶苦茶奇麗です。
この手の「このドラマはフィクションです」系テロップは1972年の『超人バロム・1』放映時に、ドルゲ少年が学校でいじめられたから悪役の名前を変えてと訴えたときからはじまったと当時も云われていたし、いまもあちこちで云われていて、私もそうだと信じてたんですが、すでにその8年前にはあったのですな。
テレビに関する蘊蓄話は昔から溢れかえってるのに、なんでこんな基本的なことが何十年も解明されてこなかったのでしょうかね。
ちょっとだけ調べてみましたが、『超人バロム・1』からこのテロップがはじまったなんて云い出したのが誰なのかはどうもはっきりしませんな。当事者である平山亨さんの『東映ヒーロー名人列伝』なんかを読んでみても、確かにドルゲ少年の訴訟のためにテロップを入れるようになったと書かれてますが、それがテレビドラマ初なんてことは云ってませんし。
ドルゲ少年側が番組終了を求めたみたいな話も広まってますが、1972年8月25日と9月26日の朝日新聞を読むとあくまでも名前の問題で番組終了など願っていないとドルゲ少年のお父さんは明言しています。和解の内容もテロップを出すことと、再放送以外は12月1日以降にドルゲという名前を出さないということで、番組打切りが条件になっているわけではありません。読売テレビの制作部長は「当初から11月いっぱいで打ち切る予定だった」と語ってまして、和解をした9月25日にはすでに番組終了を決定していたみたいではありますが。
改めて記事を読んで、ドルゲ家の母国西ドイツでは「氏名権」が民法に明記されていて、それを根拠に訴訟が起されていたことを知りました。ヨーロッパでは氏名権が確立されていて、この手の訴訟はわりとあるようです。氏名権は日本の民法には明記されていないものの、民法第710条「財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない」に含まれるという学説が有力なんだそうで。
ついこの間もフランスでこんなニュースがあって無茶な話だなと思ったんですが、それなりに正当性はあるみたいです。
「娘の名前を車ブランドに使うな」、仏ルノーに差し止め訴訟
【10月22日 AFP】仏自動車大手ルノー(Renault)の新型電気自動車「Zoe」(ゾエ)の名称のせいで、わが子がイジメにあうかもしれない――。このような理由で、「ゾエちゃん」を娘にもつフランスの2家族がルノーに対し、名称の使用差し止めを求める訴えを起こした。
「そろそろオイル交換の頃じゃないか、とか、エアバッグを見せてみろ、などと(子どもたちが)言われるのを聞きたくはない」 |
ルノーを訴えた親の想像力はなかなかぶっ飛んでようにも思えますし、裁判所は訴えを却下したようですが、ドルゲ少年に関しては共感できます。ドルゲ少年側を理不尽なクレーマーみたいに云ってる人もいますけど、現実にあのドルゲに自分の名前を付けられたらそれは目茶苦茶キツイですよ。
ドルゲだけでも嫌ですが、毎回出てくるドルゲ魔人は仮面ライダーの怪人のような格好良さなど微塵もなく、ただただグロい異様さだけを追求したいまだに強烈なインパクトを残すネタとして熱く語られるウデゲルゲやクチビルゲなんですから。ヤゴゲルゲの子守歌も、自分の名前とセットなら笑ってばかりもいられません。オープニングでは毎回「ドルゲとは地球の平和を乱す悪を云う」とか思いっ切り宣言されてますし、ほかのヒーロー物の悪役とはいろんな意味でちょっと違うだろうと思います。子供の頃観てドルゲがトラウマになってる人は、他の番組の悪役より遥かに多いでしょう。しかも、賠償金を払えとか訴えてるのではなくて、とにかく名前をなんとかしてほしいと云ってるだけなんですから。
なお、「ドルゲ」というのは意味のない言葉だとドルゲ少年のお父さんは語ってまして、それもまた凄い話ではあります。世界的に意味のない姓なんてそんなにいくつもあるもんなんでしょうか。下の名前なら最近の日本では音の響きだけで名付けたりしてるようなのも多いですが、日本で意味のない姓なんてありますかね。
今回ウェブもいろいろ経巡ってみて、何年かのちにテレビ番組でこのドルゲ一家を探したけど見つからずに実在しないことが判明した、「このドラマはフィクションです」系テロップは誰かのいたずらから始まったという、「噂からできた放送業界のルール」なる話が広まっていることを知りました。
これは『やりすぎコージー』というテレビ番組で3年前にやった「やりすぎ未公開都市伝説」で伊集院光が語ったものらしい。
しかし、ドルゲ少年のお父さんが兵庫県在住の音楽家であることは当時の新聞を見ればすぐに判ることなのに、伊集院は「八王子在住の医者」とか云ってたみたいだし、これは都市伝説と云いつつネタを披露する番組なんですかね。観たことがないので私にはよく判りませんが。この番組のDVDではバロム1の映像が使えなかったからなのか、伊集院は削られているようですし。
ドルゲは姓なのでお父さんもドルゲさんですが、この人は音楽大学教授で、訴えを起す何年も前にピアノリサイタルを開いていたことが新聞広告でも確認できますから、実在の人物であることは間違いありません。朝日の大阪版には両親の写真も出ています。探そうと思えば、大学なり教え子なりから辿ってそれほど難しくはないでしょう。つーか、伊集院がこんなことを語ったちょっと前に神戸生まれのドルゲというバイオリニストの方がコンサートを開いてますが、この人は年齢から見てドルゲ少年の弟さんではないですかね。
伊集院の話をほんとのことだと信じてる人もいるみたいで、意図的に都市伝説を創ってしまってもあんましおもしろくもないと思うのですが。まあ、そうでもないか。おもしろけばいいんだけど、これはどのへんが笑い処になるんかね。
意図せず実在の人物の名前を悪役につけてしまったことよりも、意図的に、いや意図的じゃなくても、実在の人物を実在しないと云うほうがよっぽどひどいような。それこそ氏名権や人格権の問題ともなってきます。
番組を観てないのでよく判らないのですが、名前を偽ってテレビ局に抗議したなんてことまで云ってたとしたらますますひどい。ウェブ上の書き込みではこういう具合に受け取っている人もいますが、「噂からできた」というタイトルから考えると、ここの部分は違うかも。しかし、直接抗議されたのではなく噂だけでテロップを付けるようになったというのもよく判らんな。
まさか、伊集院光がこんなことを語ったなんてことまで含めた都市伝説ではないでしょうな。この番組の他の部分の映像はウェブ上に結構アップされてるのにこれはないし、DVDに収録されてないこともあって、八王子在住の医者にわざわざ変えるとか、なにもかもみな嘘に見えてくる。ウェブのあちこちに違う角度からの証言を残してここまで都市伝説として仕立て上げてるのなら、それはそれで多少はおもろいけど。あちこちと云っても、ウィキペディアとアマゾンの書評といくつかのブログだけで充分成立してしまうものではありますけどね。
ウェブ上では1970年放映の『アテンションプリーズ』でも「このドラマはフィクションです」系テロップが出てくると云ってる人がいました。
つい最近『アテンションプリーズ』も再放送をしてたけど池田秀一が出てくる場面くらいしか観てなかったし、これならウェブ上に映像がアップされてるだろうと思ったら、上戸彩のやつばかりがやたら出てきて辿り着けん。しょうがないからDVDで確認すると、「このドラマは日本航空の協力により制作しました。登場人物、物語等全て架空のものです。」というテロップが1話から出てました。
バロム1のわずか2年前のこんな人気番組にあったとしたら気づきそうなもんですけど、世に数多くいるテレビ蘊蓄家も大したことはありませんな。かく云う私も気づいていませんでしたが。テロップは番組の一番最後に出るので、地上波の再放送では切られることが多かったのかもしれません。
『第7の男』は悪役で有名な今井健二が主役の二枚目で、2年後に『マグマ大使』のモルとなる三瀬滋子がヒロインという、キャスティングの妙がなかなか。話はゆるいけど。
テロップは初回から出てましたので、これよりも前に付けていた番組があるような気もします。1961年放映開始の『七人の刑事』がそれだと云う人もいるみたいですが、1967年以前のフィルムは残っていないそうなので、1964年の『第7の男』より早いかどうかは確定しようがありません。台本や企画書なんかで判りますかね。とりあえず、1967年のものは放送ライブラリーで観れるそうなので、どなたかこれだけでも確認してウェブ上にきちんと記述しておいてくださいよ。
元々は米国ドラマのマネのような気もしますが、そっちのほうの研究は進んでるんでしょうか。
魔人ヤゴゲルゲが子守唄で呪う
初音ミクがヤゴゲルゲの子守唄を歌う
絶望書店日記は、手塚治虫とブラック・ジャックの秘密を悉くあばきたててしまった「ブラック・ジャックの素」と「ブラック・ジャックの素2」を世に問うためにのみ存在したと云っても過言ではなく、この一押しの記事は結構読まれているのですが、残念ながらまったく話題にもならず情報も広まってはおりません。
これはひとえに肝心の丹波哲郎主演ドラマ『ジキルとハイド』を見てる人が極端に少なく、画像さえない当方の記述ではあんまり皆さんピンと来ていないということがあるのでしょう。
あまりの凄まじさに地上波では30年間二度と再放送されず、CSでさえ滅多に拝むことのならぬ幻のドラマが、丹波さんがめでたく大霊界へと旅立たれたおかげで、丹波哲郎追悼特別企画としてファミリー劇場で5年ぶりに再放送されることになりました。
12月27日(水)の深夜0時から2日間で全13話一挙放映というなかなかの暴挙です。ファミリー劇場やりよるなあ。あのドラマは週に一本でもかなり体力気力を消耗するのですが、年末にこれでは躯がもつかどうか。脳味噌爆裂するかも知れん。
とにかく見れ!!!!女房を売り飛ばしてでも観るべし!!!!
すんごいよ。とくにブラック・ジャックのアニメやドラマを制作するスタッフは刮目して観るように!!!出崎統さんなんかにもちゃんと観てほしい。
ブラック・ジャック云々は関係なしに、これは史上最高のTVドラマ・・・っと云えば異論は出るかもしれんが、史上最高のカルトドラマ、それもさらに極北と云っても絶対に異論は出ない。いや、たぶん。
事前にこれだけ煽っておいても、実際に観れば、諸氏の想像を遥かに超えた異様なものをそこに視ることになります。半端ではありません。衝撃的です。呆れます。
丹波哲郎の凄さをすでに十二分に識ってると想ってる方も、これを観ると丹波の真の凄さに打ちのめされます。
手塚治虫やブラック・ジャックに対する世間に流布する言説がいかに見当外れなものであるか、ヲタク評論のたぐいがいかに情報収集力が低く洞察力を欠いているかも判ります。
とにかく、丹波さんがこの世への置き土産に数日遅れのクリスマスプレゼントをしてくれた今回を逃すと、次は丹波さんが天界から帰ってくるまで観ること能わざるなんてことになるやも知れません。ゆめゆめ見逃すことなきように。
これを観ないまま死んでは、わざわざ地上界に生まれてきた甲斐がありませんよ。
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このあいだまで日本映画専門チャンネルで『快獣ブースカ』をやっていて、何十年ぶりかに観た。
白黒番組のためほとんど再放送されておらず、最後に観たのはいつなのかも忘れているくらいで見事に頭からすべて消え去っていたが、とにかくあの最終回にぼろぼろ泣いたことだけははっきりと覚えている。世界三大涙の最終回は『ジャイアント・ロボ』『ハクション大魔王』『快獣ブースカ』でありサリーちゃんやらなんちゃらの犬やらは含まれないことに議論の余地はないが、そのなかでも特にブースカは悲しかったという記憶がある。
たぶん小学校低学年以来に最終回をきちんと観て、じつはあまりぴんとこなかった。それからビデオで3回くらい観返していてこれは想ったより深い構造であることがようよう知れた。
ブースカと弟のチャメゴンは10光年離れた星に光速ロケットで探検に出掛ける。2匹の快獣や見送る子供たちは20日で帰ってくると想っているが、相対性理論の浦島効果により帰ってくるのはじつは20年後であることに主人公でブースカの生みの親である大作少年だけが気付いてしまう。
『ハクション大魔王』の最終回も魔王やアクビとの別れが悲しかったわけだが、別れの悲しさは主人公のカンちゃんだけではなく魔王もまわりの子供たちも共有している。同じ別れでも『ブースカ』最終回の悲しさは大作少年だけが真実を識っていることにあるのだと想っていたのだが、どうもちょっと違ったようだ。
ストーリーを覚えていないのにこんな風に考えていたのは、1967年の最終回から20年を経ていよいよブースカが帰ってくるぞといった特集が16年前からいろいろあって最終回のダイジェスト版をテレビで観たりしていたからだが、今回よくよく観てみるとそうではない。
そもそも、由利徹博士が開発した光速ロケットにブースカが乗る理由がかなり稀薄なんであった。
人口爆発によって地球がパンクするので別の惑星に移住するための植民地を築かねばならず、人間が光速ロケットに耐えられるように訓練するには3年も掛かるからという一応の話はあるのだが、明日すぐに地球が破滅するというわけでもないし、どうしてもブースカでなければならないという決定的な外的要因がない。由利徹博士はかなり嫌らしい大人の論理で大作少年を説得しているが、ブースカに一言真実を告げればロケットなんかに乗らないだろうから最終決定はあくまで大作少年の意志に任されている。
みんなが20日だと想っていてじつは20年掛かるという浦島効果の話としてはかなり無理のある逆転の説明(子供のときはもちろん判ってなかっただろうし、今回も一度観ただけではおかしさに気付かなかったくらい大胆にうまく処理している)は、大作少年だけが悲しい真実を識るためではなく、彼自身にブースカと別れるという決断をさせるためにあったのだ!
『ジャイアント・ロボ』の最終回ではギロチン帝王の躯が水爆何百個分の核エネルギーの固まりであるため地球が吹き飛んでしまうという絶体絶命のピンチに追いつめられる。そのとき、大作少年の命令に絶対逆らうことのなかったロボが命令を無視してギロチン帝王を抱えたまま飛び立って隕石へ体当たりをしてもろとも爆発する。
これもぼろぼろ泣ける悲しい別れの最終回だったが、それは主人公の意志を無視する形の別れだったのだ。同じ大作という名前を持ちながら、なんたる対称性かっ!
仮にこの大作少年が決定を下していたとしても、なんせ地球がいますぐ爆発するのだからロボを犠牲にするしかほかに選択肢がない。彼が命令したとしてもそれは形式上のことで彼の決断とは云えない。自らブースカとの別れを選び取ったもうひとりの大作少年とは根本的に違うし、それは別れのあとの少年の内面をも規定するはずである。
また、刹那の出来事であるロボとの別れとは違って、ブースカとの別れは決断から丸1日もある漸進的な別れ、まさしく身を割くような別れでもある。
『ハクション大魔王』も別れまでに時間はあったが、そのあいだカンちゃんは魔王となんとか別れないようにと一生懸命頑張る。大作少年はなんにも識らずにニコニコ笑っているブースカや子供たちと涙を隠して遊びながら、秘密をひとりで背負い込んでなんとか別れようと一生懸命頑張る。もう、泣ける泣ける。
こんな試煉を少年に課して自らの意志で成長を選び取らせるなんてのは、最終回は市川森一との共作ながら上原正三のいかにもやりそうなことだ。金城くさいところもちょっとだけあるが。
念のため市川森一のインタビューを読んでみたが、あくまで別れの物語として、少年自身の「意志」としては捉えてなかったし。もっとも、夢に拘る市川森一らしく登場人物同士の別れではなく「夢物語はいつかは醒めなくてはならない」というような表現ではあったけれど。合わせて考えてみると、エヴァ的ではある。
20年という歳月は子供にとっては永遠に等しくだから悲しいんだと想っていたが、自ら選び取ったとなると20年という歳月はまさしく再会のための現実の積み重ねであり、大作少年の最後の言葉にはたんなる別れの挨拶以上の重みがある。
「行ってこいブースカ。おまえが今度帰る日はぼくたちも立派な大人だ。この地球でぼくたちは戦争をしない。誰とでも仲良くして助け合い、平和な素晴らしい星にするのだ」
「ブースカ、おまえの行く手には新しい時代が待っている。それはぼくたちの時代だ。先に行けブースカ!」
このブースカの最終回に対する言論界の言説はどのようなことになっているのかあたしはまったく識らんのだけど、外的要因によってもたらされたたんなる悲しい別れの話ではなく、自ら選び取った「意志」の物語としてきちんと受け留められているのだろうか。
いつまでたっても未来がやってこないなと想っていたが、<未来>というのが時間の経過のことではなく、人が意志を込めて創造する<物語>であるとするなら、あのころの子供たちがブースカの最終回をきちんと受け留めて自ら実現していないから未来に到達していないのではないか。未来に到達していないからこそ、未だにブースカは先に行ったまま地球に着地できないのではあるまいか。あれだけ泣いた子供のころには判っていたのに決断した意志を忘れてしまったのか。年月だけが過ぎ去って、我々はまだブースカに追いついていない。
何年か前にBSでブースカとの感動の再会とかいう企画があったらしいが、大作少年役の子役の消息はつかめなかったそうだ。あのころの子供たちはほんとに立派な大人になったと云えるのか。ブースカに顔向けできないような気もするな。
ところで、ひとの記憶力というのはじつにいいかげんなもんですね。ブースカというと毎回ラーメンを何十杯も食べてたというイメージがあったんだけど、じつは全47話中3回くらいしかラーメンは出てこないんですな。
いや、5回くらいあったかな?このあいだ観たのにもう忘れてる。あたしの記憶がいいかげんなだけか。
しかし、ブースカが帰ってくるのは30年後だと間違えて覚えている人がウェブ上だけでもたくさんいて、市川森一もインタビューで間違えてたし。じつはあたしもそう想ってたし。高尚な解釋以前の問題か。
ブースカーっ!帰ってきてくれーっ!バラサバラサ!