ジョブズの追悼番組で茂木健一郎がウィンドウズを腐したことを追悼に相応しくないと云ってる人が多いことに驚いた。ジョブズは常にウィンドウズを貶してきたし、自分の追悼の場に出ても貶していただろう。これほどジョブズ追悼に相応しい言葉はない。
またそれに対して西和彦がムキになってケンカするのも、まことに子供っぽく激情家だったジョブズの追悼に相応しい光景だが、しかし「そんなこと云うな」という西さんの姿勢はいただけない。「Winは糞」と云われたら「Macのほうがもっと糞」と云い返せばいいのであって、ビル・ゲイツがこの場に出ていたらそう云ったのではあるまいか。言葉は選んで、もっと皮肉な、ライバルへの愛憎の籠もった云い廻しにはなっただろうけども。
西さんは自分で創った者でなければそんなこと云うべきではないとほんとに思っているのだろうか。ウィンドウズがマトモになったのも、創りもせずに「Winは糞」と云い続けた人々のおかげで、その筆頭であり最大の貢献者はジョブズだったのだが。そして、アップルの数々の傑作に対するジョブズの関わり方もそれとまったく同様だったのだが。この最も肝心な勘処が判っていないようでは、それこそジョブズ追悼に相応しくない。
私のような古参のジョブズ信奉者は、この番組への反応だけではなく、世間のジョブズへの賞賛の仕方にあまりにも深い違和感を覚えている。異次元空間に填り込んだかの如くの戸惑いだ。同じ時代のスティーブン・ジョブスを見てきて、そのジョブスに振り回されることで得も云われぬ快美感に貫かれてきたであろう小田嶋隆の追悼文には罵詈雑言の言葉が並んでいて、見知らぬ惑星から母なる故郷に帰ってきたようになんだかとってもほっとする。スティーブン・ジョブスからスティーブ・ジョブズへと名前が変容するとともに、現実空間が歪曲してしまったのだろうか。
彼にまつわるCrazyだとかfoolishだとかいう言葉を、古い常識に囚われた人々からはそのように見えるというような意味に好意的に解釈している人もいるようだが、実際はそうではなく、スティーブ・ジョブズは文字通りの気違いで愚か者で性格破綻者だった。自らが創業したアップルを追い出されたのも、経営の問題より彼の人間性の問題のほうが大きかっただろう。
AppleIIの産みの親、ウォズの手柄を横取りし、いまとなってはウォズに対する仕打ちがどの程度のものだったのかは情報が錯綜していてはっきりしないが、当時は利用価値がなくなるとゴミくずのように捨て去ったとアップルファンには信じられていた。娘リサは認知もせず養育費も払わず顔も見ず捨て去り、その娘の名をつけたLisaの開発を迷走させプロジェクトから追放されるとLisaをつぶそうと画策した。ジェフ・ラスキンがやっていたマッキントッシュ・プロジェクトを乗っ取り、天才的な開発者たちをぼろぼろになるまでこき使ったあげくに大した報酬も与えず手柄は横取りした。あげくに会社を追い出される。正確には自ら去ったのだが、すべての権限と仕事を取り上げられ、この先に何をすることも禁じられたので、クビと同じだ。
私がマックにほんとに注目したのはHyperCardが登場した1987年でジョブズはすでにアップルを去っていたが、ハイパーテキストだのザナドゥーだのメメックスだの初めて目にする概念に夢中になっていた翌年に、完全に終った人だと思っていたジョブズがNeXTコンピューターを引っさげて颯爽と再登場したときは無茶苦茶興奮したもんだ。これが莫迦莫迦しいばかりの美学の塊だったからだ。
なんせ形が一辺が1フィートの正立方体だとか、正確な角度28°にこだわったロゴに10万ドル掛けたり、当時は最先端だけどスピードが壊滅的に遅い光磁気ディスクをメインの記憶媒体にしたりと、実際の使い勝手とまったく関係のないところばかりに凝りまくったジョブズの美意識の結晶だった。
恰好よろしいけど、値段も莫迦高いし、ネタとしてはおもろいけど売れんだろなあと思ってたらやっぱりまったく売れなかった。美学の清々しさと莫迦莫迦しさで大笑いしたもんだ。
ところがまったく売れないOSが何故か生き延びて、洗練されて、とうとうアップルがジョブズごと買い取ることになってしまった。いまのマックの中身はNeXTそのまんまだ。
まさかこんなことになるとは想像だにしなかった。ジョブズの云う、点があとから線として繋がってくるというやつだ。ハイパーリンク的とも云える。
アップルを追放されてからは人間が丸くなったと私も思ってたし、西さんも追悼番組でそんな話をしているけど、またアップルに舞い戻ってきたときに社員だった人の話を読むとあんまり変わっていなかったようだ。実際にiPodとiPhoneの産みの親だったトニー・ファデルを追放して自分の手柄にするという、相変わらずのことをやってるし。
改めて調べてみると「アップルを追放されてから人間が丸くなった」というのは、NeXT社の広報が意図的に流していた形跡がある。あの頃のNeXT社は資金が乏しいのにコストが莫迦高いマシンを開発していて、ロス・ペローが2000万ドル出資するまで、いやそのあともキヤノンが1億ドルを出資するまでは、投資を呼び込むために彼は生まれ変わったというこんなイメージが必要だったのではあるまいか。ロス・ペローがテレビ番組でNeXT社のことを知って投資したいと電話してきたときに、余裕を見せるためわざと一週間後に返事したというくらい、いまから考えるとわずか2000万ドルに切羽詰まっていた。こんな商売上のイメージ戦略に私なんかもあっけなく騙されていたわけだ。
キヤノンはペローなんかと違ってアップル時代から付き合いも長く、NeXTに搭載した光磁気ディスクをあり得ないほど無茶苦茶に値切られて、キヤノン販売がセッティングしたNeXT発表会では例の生け花のエピソードもある。ジョブズの人間性は思い知っていただろうし、NeXTはもう駄目だということもさすがに判っていたんじゃないかと思うが、それでも彼の人物に惚れ込んで売れないOSに法外な出資をして救ってしまった。商売ではなく、ここでジョブズを終らせてはいけないという意志が働いたのだと思う。気違いで愚か者で性格破綻者だということを思い知ったうえでなおかつジョブズに填ったのなら、もう逃れようはない。
最初に記したように、ジョブズは自分では何も創らずに「こんなものは糞だ」と喚いて癇癪を起すか、なんだか訳の判らない美学に則って我が儘一杯の注文を付けるだけだ。しかしまた、その偏屈な完璧主義が役に立つこともある。
有名なところでは、AppleIIのプリント基板にまで口を出し、見た目も美しくしろと注文したことだ。芸術作品を創っているつもりだったんだろう。しかし、このすっきりとした配線で、AppleIIは製造しやすくなって歩留りが上がり、故障も少なくなった。
この手のおかしなこだわりの押しつけが、アルテアだとかなんだとかのそれまでの単なる小型のコンピューターを、<パーソナルコンピューター>というまったく別なものに変えてしまったのだ。禅の修行をやっていたのにエゴの塊だったスティーブ・ジョブズという男が、矛盾した性格の強烈な個人主義者であるジョブズが、ある意味で機械に反するはずの、その新しい概念を産んでしまったのだ。マシンを創ったのはすべてウォズひとりの力だったにも関わらずである。
そのスティーブ・ウォズニアックがブルームバーグのインタビューで
「ただただ驚いている。予想もしていなかった。ジョン・レノンやJFK、マーティン・ルーサー・キング牧師が撃たれたと聞いた時のような気持ちだ」
と語っているのには、いろいろ驚いた。
ウォズにとってはもう友人ではなく、私らがジョブズを見るのとあまり変わらない距離感を持ってしまっていること、また実際に創ったウォズが、創りもしないジョブズをこんな風に尊敬しているということだ。お人好しのウォズがいまでもジョブズに変わらぬ友情を感じているようなことはあったとしても、こんな具合の尊敬をしているとは想いも寄らなかった。
CNNのインタビューではもっと具体的に話している。
「ジョブズ氏は様々なものを発明した。エジソンと比較する声もありますが」
「それはどうでしょう。エジソンは、研究者というか、ラボの中にいる人物だと思います。スティーブはそこを飛び出し、実現する人。人と人の間をつなげて、なにかを作る人。技術的ななにかを理解し、モノを作る人です。そういう意味では、エジソンより上の人物ではないでしょうか」
(ジョブズが残した「ほんとうにスゴイ」ものより引用) |
ウォズは自分こそがエジソンだと自覚しているのだろうか。しかし、その天才ウォズも結局はAppleII以降、何ひとつ産み出せないまま消えてしまった。マッキントッシュを開発したアンディ・ハーツフェルドやビル・アトキンソンなんて超絶天才たちも、その後はまったく何もできなかった。
ジェフ・ラスキン以外はいまも健在のようだが、友だちでもない私らからしたら死んだも同然だ。まるでその溢れ返っていたはずの才能を、歴史に関わる力の全てを、ジョブズに吸い尽されて枯れ果ててしまったかのようだ。ジョブズだけは彼らを使い捨てにしたあとも次々と世界を変革し続けたというのに。
ジョブズが若くして死んでしまったことを嘆く人もいるようだが、どう考えてもアップルを追放されたときに終って復活などあり得ないはずだったのだから、それから四半世紀も生き延びたのは奇蹟としか云いようがない。ジョブズと違って自ら創ることができる能力を有し、まさかそのまま消えるなんて想像もしていなかった他の天才たちのその後を見ると、あり得ない僥倖だったことが判ろうと云うもんだ。
いや、それ以前のAppleIIによって、<パーソナルコンピューター>などというまったくおかしなものを産み出しただけでも充分だったのだから。
そのパーソナル・コンピューターのパーソナルというのは抽象的な個人ではなく、スティーブ・ジョブズその人のことだという基本的なことが、いまだにあまり理解されていないようではある。こんな矛盾だらけで史上初めて人間以上に不合理な道具が生まれたのは、ジョブスという支離滅裂で矛盾だらけのおかしな人物のパーソナリティが憑依しているからに他ならないのだが。自分では何も創らずに、天才たちをこき使って文句を云ってただけでこんなとんでもないことをやらかしてしまったのだ。
マックのものまねからはじまり、ジョブズに糞だと云われ続けて成長したウィンドウズもまた然り。むしろ、ジョブズの現実歪曲空間が直接発動することができなかった分だけ、ナマの形で反映されているような処さえある。
こんなことを私は世界の片隅でかれこれ四半世紀近く提唱しているのだが、同じようなことを云ってる人もちょっとはおりますかね。もうずいぶんと長いこと、ジョブズ関係の書物も読まなくなってしまったので昨今のことはよく判らない。
明日販売される、初めてジョブズが公認したとかいう評伝には、上記のような性格破綻者ぶりがどの程度描かれているのかとともに、この最も重要な点に触れられているのかどうかが気に掛る。つまり、ジョブズ本人にパーソナル・コンピューターのパーソナルというのは己のことだという自覚がどの程度あったのかが気に掛る。
大型コンピューターとも、ゼロックス・パロアルト研究所のアルトやスターともまったく違う、この奇妙な相手と当面は、あるいは未来永劫、我々は時にはうんざりしながらも付き合っていくことになるのである。
日本にジョブズは生まれないのかなんて話もあるけど、十年近く前に2002/3/22 シンプルは醜いを書いたときには、これからの家電は表面的なデザインだけではなくコンセプトその物からヲタク作家がデザインするようになって、あるいはジョブズを凌駕することもあるのではないかと考えていた。その頃すでにジョブズは昔の莫迦莫迦しいまでの美意識を制御するようになってしまって、割合と実用的な製品を出していたので、私なんかは喰い足りなくなっていたということもある。
また、これを書いたときには、日本の家電メーカーはこれから次々淘汰されていくだろうから、その断末魔には必ずこういう路線も試すだろうと見通していたんだが、まさか三洋電機なんかでも手をこまねいたまま為す術もなく潰れるとは思ってもみなかった。私が想像したよりも、日本の物創りの状況は悪いのかも知れぬ。
しかし、かつてキヤノンはどう見ても終っていたジョブズに140億円を出して救ったんである。これからもどんどん倒産していくだろうから、日本のメーカーの中にも、さすがに自分が破滅するとなるとこのくらいの冒険を試してみる処も出てくるだろう。
漫画家だとかのヲタク作家に自分の欲しい物をまったくゼロから考えさせて、メーカーはそのコンセプト通り忠実に再現することのみ貫き、ウォズと同じように職人に徹して、宣伝から何からヲタク作家に任せてしまうしかもう生き残りの方策はない。ジョブズに匹敵する現実歪曲能力を持っているのは日本のヲタク作家しかいないのだから。具体的な物質の製造よりも、世界観と物語の構築こそがこれからの家電に限らずあらゆる製品に必須となるので、たんなる技術者やデザイナー、広告屋では追っつかないのだ。十年前にはピンと来なかった人々も、ジョブズの成功でいい加減その程度のことは理解できるようになったのではないかと思われる。この先、生き残ることができるのであれば、ヲタク作家ひとりにつき140億円くらい掛けても安いもんだ。ゲーム会社なんかも本業が儲からないなら、家電の企画開発から宣伝までを請け負う方向に行くべきだ。海外メーカーにもできることではあり、先を越されては眼も当てられぬ。
ジョブズも最近はますます実用的なものばかりを出していて、デザインも少しだけ<シンプルは醜い>に堕していた処があって、じつは私なんかはひとつも手に取らなくなってしまっていた。また、莫迦莫迦しいまでの、大笑いできるような、意識を変容させる、新しい地平を見てみたいもんではある。
「Stay hungry, Stay foolish」とは何かの比喩ではなく、字義通りの意味でしかありえないはずなんである。