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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2007/1/31  新聞やニュース番組の捏造のほうが反社会的で悪質

 「発掘!あるある大事典」が捏造をやってたなんてことで大騒ぎをしているそうなんですが、バラエティー番組なんてのは頑張ってるほうで、ニュース番組や新聞報道のねつ造のほうがはるかに蔓延していてはるかに悪質です。
 納豆やレタスを食べても害にはなりませんが、テレビニュースや新聞は深刻な害毒を広範囲に撒き散らしておりますし。
 
 日本の新聞やテレビニュースは、役所か企業の発表、あるいは海外の報道をそのまま持ってきているだけの内容で99%が占められていますから、原典情報にあたればいかにひどい捏造が行われているか、一目瞭然です。
 意図してねじ曲げているもの、記者の知識不足と理解力不足で意図せずねじ曲がっているもの、あるいはその両方が混在しているもの、いろいろありますが、まずすべてが捏造と云ってもいいくらいひどいものです。
 まともな理解力を有する者がきちんと検証すれば、日本の新聞やテレビニュースなどというのは、なんの能力もない人々が適当に書き散らしている便所の落書きに過ぎないことはすぐに判ります。
 
 とくに赦されないのが、子供の殺人被害がバブルの頃と比較しても急激に減少しているのにあたかも激増しているように喧伝し、社会に深刻な不安感を広めていることです。
 ダイエットデータの捏造などとはくらべものにならない、天をも恐れぬ所業です。金儲けをするためにここまで酷い不正を働いているのです。
 これほどの反社会的なメディアは早急につぶしてしまうべきです。不二家や雪印どころの話ではありません。
 しかし、情けないことにウェブ上の個人もそんな捏造データをそのまま受け取って広める一翼を担っていたりします。
 嬰児殺統計は犯罪白書に掲載されたこともあって他でも見たことはあるのですが、警察の原典情報にあたった小学生の殺人被害統計などはこの子どもの犯罪被害データーベースのもの以外にはまだひとつもないのではないでしょうか。
 またこのサイトの事件データを読むと、単なる数だけではなく質の面でも、昔は頻発していた子供に対する想像を絶する残虐な事件が最近はほとんどなくなってしまったことも判ります。
 このサイトのデータは無断で自由に活用していいということですので、このグラフをコピペしてすべてのウェブサイトに貼りつけるべきです。
 そして、新聞やテレビニュースの犯罪的な捏造を暴いて、このような反社会的なメディアを世の中から抹殺すべきです。一日でも早く。
 それが良識ある人間としての責務です。
 

子供の殺人被害統計グラフ

警察庁「犯罪統計書」による。事件発生の認知数のため検挙率の変動とは関係ない。
1975年の出生数190万人、2005年の出生数106万人。
小学生数は、1975年1036万人、2005年720万人、72年以降のピークは81年の1193万人
小学生数は70年代の3割減、80年代の4割減ですが、殺される小学生数は7割減、6割減と大幅に減少しています。
幼稚園生以下が殺される事件は8割も減っています。1960年代以前はさらに多くの幼児が殺されていました。


2007/1/13  不二家は戦前のモラルを復活させた

 

昭和15年(1940)10月22日夕刊 東京朝日新聞引用

新宿の不二家営業停止
去る七日警視庁衛生監視隊の臨検で調理場の乱雑、不潔を発見された四谷区新宿三の四六株式会社不二家洋菓子舗新宿支店(社長藤井林右衛門氏)は廿一日飲食物営業取締規則により同日より一週間の営業停止処分に付された、同店は去る昭和九年には銅鍋の緑青から中毒事件を起し(一名死亡)同十三年十月には調理場の不潔で四谷署から科料処分に付され、本年三月、五月にも当局から注意を受けているにも拘らず反省の色がないので今回の処分となったもの

 あいかわらずも戦前の新聞ばかり読んでいる日々。
 不二家は戦後教育によって失われたかに見えた戦前のモラルをきちんと受け継いでいる。
 しかし、何度注意を受けても信念を貫いたのは、やっぱり創業者は気骨がありますね。すでに戦時体制下で官憲の締め付けは厳しかったはずですが、頑として権力に立ち向かっている。
 戦前は公共性など考えずに自分さえ儲かればいいという人ばかりだったとは云え、なんでそこまで頑張ったんでしょうか。
 うちの昭和30年代の不二家の包装紙や紙袋の値打ちが上がったりする事態になったりするんでありましょうか。
 
 いや、今回のはそれほど大したことない失態で、間抜けなトップだけをすげ替えたら済むことだからそこまで行くことはないだろうと想ってたのですが、このスレに出てくる社員と称する輩の書き込みを読んでると、こりゃ末端まで腐り切ってるなと考えなおしました。(※2ちゃんスレが1000に行く前に落ちたみたいなので、下にまとめを置いてみました)
 まったくなにも判っていない人々の集まりなんでしょうか。なかなか凄いなこれは。こんな社員抱えていままでやってこれたのが信じられん。それだけ創業者の創り上げたブランド力が偉大だったということか。
 上記の昔の記事を出すことをちょっと躊躇していたんですが、この人の発言を読んで出す気になりました。
 これが他社の工作員なら高度すぎる。

 
 

【経済】不二家、営業停止の全国フランチャイズ店に休業補償
2ちゃんねるニュース速報+スレッドのまとめ

74 名前:あ メェル:sage 投稿日:2007/01/13(土) 03:59:04 ID:UtezCfqm0
不二家社員だけど、可能な限り質問に答えるよ
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2005/11/24  Sonyを讃えよ!いや、まじに。

 あたくしはiPodはおろかカセットテープのウォークマンさえ一度も使ったことがありません。外を歩いてるときはもっぱら本を読んでます。新宿なんかの雑踏を歩きながらも本を読んでます。携帯を読みながら歩いてる方は大勢いますから特別器用なことをしているわけではありません。BGMというのが苦手で、音楽を聴くときはじっくり聴きます。おもに義太夫や清元が中心ですけど。
 そんなあたしが生まれて初めてウォークマンに興味を抱いたのは例の社長自らの上下逆さ持ち発表会からで、歴史好き、殊に滅びの歴史が大好きなあたしには、これは何かが始まるなとみなさんと同じように感じたわけです。
 起死回生のために11/19に満を持して販売されたWALKMAN Aシリーズは期待にたがわぬ素晴らしい展開力を見せつけてくれました。

 発表をわざわざ2ヶ月も前のiPod nano発売にぶつけて自爆。これまでの製品よりでっかく重たくしたうえに売れてもないうちから自画自賛するデザイナーや企画担当者たち。80年代テイスト満載のチョイワル広告。いまどきわざわざiPodでなくウォークマンを買うようなソニー信者の方々も糞認定して泣いているiTunes対抗アプリ・コネクトプレーヤー。さらに泣いてる人の神経を逆なでする開発責任者のおもてなしの心。一般モニターを募って宣伝のために開設したのにあまりの製品のひどさから「Macだから使えなかった」「風邪で熱が出たから今日は試せない」と苦しい言い訳で時間稼ぎをしながらとうとうまともなレポートもしないままに炎上して閉鎖したブログ
 もうなんというかお腹いっぱいてんこ盛りで、あのジョブズでさえあたしをこれほどまでには愉しませてはくれません。
 あんまりおもろいので日頃行かない処まで廻っていたんですが、今回のウォークマンを開発したソニーコネクトカンパニーに関する2ちゃんのスレを見て、どうもこの展開は想ったより奥が深いと判って、あたしは見方を変えました。
 あのパソコン史上に残るようなあまりの糞っぷりに話題沸騰のコネクトプレーヤーは、JavaScriptで開発していると云うのです。

 

329 名前:It’s@名無しさん 投稿日:2005/09/21(水) 01:58:11
>>301
ふつうそう思うだろう。違うんだな。Ajaxでもないぞ。

単にアトラックのID3 V2をJavascriptで読み書きしたり、
新DRMマーリンの処理をJavascriptで計算したりする。
糞遅い。

偉いひと木村さん(文系)に使えと言われたので、
使わないと、辻野さん(一応理系)が偉くなれないんだ。

 日付やほかの人の書き込みを見るとたぶんほんとに中の人の証言なんでしょう。頻出する「ゑ苦魔」というのはECMAScriptのことですな。
 これだけでもそうとう驚いたんですが、なんとソニーはほかの製品でもこれをやるそうなんです。

 

763 名前:It’s@名無しさん メェル:sage 投稿日:2005/11/22(火) 00:57:04
>>762
そう。デジカメもハンディカムも、全部もっさりするってこと。
全てはPにたぶらかされてKが立ち上げた愚策だよ。

 うーむ。こんなまとめをしている方がいます。

 

777 :It’s@名無しさん :2005/11/22(火) 02:36:38
どどどっとまとめるこんなとこかな。間違っていたら指摘世炉とかここの人には
あんまり言えないけどw。

・ CONNECT Playerの本体はtinyhttp.exe、CONNECT Playerは事実上、そのフロントエンド。
・ tinyhttp.exeの正体はFSKと呼ばれるSONY独自技術。
・ FSKとはある種の開発+実行環境。Javaの仮想マシンみたいなもの。
・ ただし、その言語はECMAScriptベース。

ECMAScriptでコンシューマ向けのアプリを書くこともなかなか厄介であるが、
仮想マシン一つこさえることは、もっと野心的な作業だ。
FSK一つで全てのモバイル機器とOSのプラットフォームにするのは、もはや偉業。
苦労するよね。そりゃ。

 これは乏しい情報からの推測ですからどこまで正しいかはよく判りませんが、少なくとも
1.JavaScript(ECMAScript)で開発している。 2.モバイル機器の共通プラットフォームにする計画。 3.偉業である。
この3点だけは揺るぎない事実のようです。
 仮想マシンだから糞重いという説が流布してるみたいですが、あそこまで極端に重いのはやっぱり中の人も云ってるようにJavaScriptの要因が大きいのではないでしょうか。

 Ajaxなんかとは比べものにならない驚天動地の革新です。グーグルなんかのやることをいちいち持ち上げてる方々は、ソニーの技術革命にもっと注目すべきではないかと想います。
 さても、グーグルにいちいち反応して騒いでいるのがどうもあたしにはよく判らないのですが、やってることはすでに以前からあるものだったりあるいは他社もすぐにマネできるものばかりで技術的にそれほど大したもんではありませんし、戦略も要するに人を集めて広告料金を稼ぐといった凡庸なもので、たとえばホリエモンが金融を中核として情報をたんなる人寄せだけではなく信用力にも変換するという情報とはなにかという核心に迫る展開を目指してるのと比べても退屈です。
 なにより、グーグルはベンチャーで資金も腐るほどあるというのにリスクを取って果敢に新しいものへと挑戦しているとはあたしには感じられません。ホリエモンみたいに失敗するとすべてを失うんだろうなあというものとはだいぶ違います。
 もちろん、誰がどんなリストを負うかは勝手なので、あくまでもいちいち騒いでいる側の評価のことをあたしは云っているんですが。いろんなサービスが無料で使えるのは便利なのであたしもありがたくグーグルを利用してますが、そんなに大騒ぎするほどのことなのか。
 もっとも、ホリエモンにしても失敗しても失うものなど大してないからああいうことができるんでしょう。それに引き替え、ソニーというのは歴史も名声も栄光もこれまで築き上げてきたものが膨大で失うものは計り知れないのに、ホリエモンの無茶に見える目標よりもさらに遥かに成功率の低い困難な挑戦にすべてを賭けて果敢にもいどんで、見事に玉砕しようとしている。
 これほど美しい姿はないと想います。これは皮肉なんかじゃなくて、ほんとにそう想います。
 目立たない実験的プロジェクトである程度成功してから本格採用するというのなら判るのですが、ソニーの代名詞であるウォークマンの復活を期した、つまりはソニーの命運のすべてを担った今回の新製品でいきなりぶつけてくるというのは誰にでもできることではありません。
 いったいどうしてこんなリスクを取れるのかよく判りませんが、外から見ている観客としてはこれを評価せずして何を評価するというのでしょうか。真面目な話、これは大いに賞賛すべきです。金を出して買ったりはもちろんしませんけど。
 せっかくなんとか使えるようになってきたSonicStageを捨ててどうしてわざわざこんな糞ソフトに乗り換えようとするのかとみなさん怒っておられますが、ソニーはそんな目先のちまちましたことではなく遥か遠くの壮大なるビジョンを抱いて邁進しているわけです。誰にも想いつかない誰にもマネできない真に革新的なビジョンを。
 いまどきわざわざiPodでなくウォークマンを買うようなソニー信者の方々もこの革新性に注目されてないのは惜しいことです。もっとも、ユーザーとは直接関係のない処での革新であるというのは痛いですが。

 わざわざJavaScriptということで、最近ちょくちょく話題に出るようになっているデスクトップアプリからウェブアプリへの移行、こちら側からあちら側への変革をいち早く見据えたビジョンと考えるのは、やはり見当外れなんでありましょうか。こうなるとユーザーにも関わる大きな変革となるんですが。
 なんか、高速で移植性も高いですよと技術の判らないトップがコンサルに騙くらかされたとかいう情報もずいぶん前から流れてたみたいですが、どう考えても逆に激しく重くなるだろうし、コンサルの営業テクニックとしては今時ウェブへの移行のほうが説得力はありそうなもんですが。
 最大の売りであるアーティストリンクとかいうがウェブ上のデータベースと繋ぎっぱなしにしないと使い物にならないのなら、CONNECT Playerはウェブ上に置いたほうが合理的でしょうし。いや、音楽データをローカルとウェブ上に同時に持ってないとこれは意味ないか。すると音楽をウェブ上からすべて買う時代を見越してとか。うーん、やっぱり見当違いだな。
 つーか、吹き込んだのはPeter Hoddieなのか?映像配信も絡むのか。PSPとどういう関係になるんだろ。

 ところで、件のスレではJavaScriptとECMAScriptは違うものみたいに云ってる方もおりますが、このふたつは同じものなんですよね?性能的に違いがあるもんなんでしょうか。
 実を云うと、この手のアプリをJavaScriptで開発するというのがどういうことなのか、あたしにはもひとつうまく飲み込めていないのですが、どなたか具体的に解説していただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
 一応メモ、ECMAScript デス 2

2007/10/31  おまえらはSONY以下なのか?も参照のこと。


2005/11/5  思考の塊を投げつけろ!

 いま出ている『ユリイカ 2005年11月号 特集・文化系女子カタログ』に、未映子のなんとも摩訶不思議な文章が掲載されている。
 「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」って、そりゃまたあんたえらいこっちゃな。すっごいなこっれ、なんじゃいな。

 ユリイカなんちゅうのは、あたしのなかで無いことになってる雑誌なんだが、この破天荒な狂い咲き文章を載せてしまったことだけですべてを赦そう。
 「音楽系?」なんてくくりにいれてるのは明らかになにも想い付かなかった編集の苦し紛れで、ほんとはこれこそ「詩と批評」と銘打ってユリイカ巻頭に据えるべきはずの代物なんだが、まあいい。さらに云うと、全編これ未映子の文章だけでもいいはずなんだが、文化系女子なんて範疇にはおさまるもんでもないし、ユリイカにはもったいなすぎるから、まあいい。
 さても、この特集全体はいやに古くさいな。どんなけ古いって、おやじ雑誌としても10年くらい古いのではないか。ヲタク系も学問系も表紙も、一昔前のおやじ雑誌のパロディーを読まされているような気がしてくるし、虐げられたワタシみたいなのばかりで10年どころか百年一日であいかわらずもこういうことになってんのか。

 なんだか、ひからびたカタログの解説文ばかりのなかで、唯一、賞味対象の天然モノがまぎれこんで、かろうじてカタログの面目を保っている。状況がいかに疲弊しようが、ひとつの才能が顕れればただそれだけでどんより重い海原が忽然と割れて地平が開闢するという歴史の円環を見事に示しておる。
 ウェブ上を見て廻っても、ほかの枯れた判りやすい文章にはいろいろ云ってる人がいるけど、この未映子のやつだけはみなさん見事にスルーしてるな。これほどの言葉と思考のうねりを噛み砕き消化するほどの牙を持った読み手はいまだ地上にはおるまい。
 つまりこれは先行するものへの注釈雑誌、常に数歩遅れることが使命のはずのユリイカが、図らずも時代の最先端に立ってしまったということですよ。ひょっとすると創刊以来初、かどうかはよく識らんが。
 想うに、雑誌なんてものがなにゆえか時間を均等に区切って定期的に刊行され、はたまたなにゆえかいろんな人に空間を均等に割り振って数多くの記事を載せるのは、まさしくこういう時代の転換点を断面として一冊に封じ込めて提示するためにあるのだった。ひさびさに雑誌の存在理由を見せつけられてしまった。あれだけ旧時代の遺物をこれでもかと並べたなかに先端を脈絡なく配置するとはなかなか心憎い。
 ユリイカは未映子の産み落とすものに注釈を付けていくだけで、これから10年はやっていけるだろう。まったく、そらええわ。ええネタを見つけはったわ。大いに誉めそやしておくわ。
 諸氏も立ち読みでもしてみて、歴史の大いなる結節点に立ち会ってみられるように。

 未映子自身はこの文章を「絶叫詩」「散文詩」と呼んでいるのだけど、これを「詩」と云い切ってしまってはおもしろくないな。なんちゅうか、思考がそのまま形象を爲して投げつけた塊と云おうか。カタログ注釈雑誌のユリイカではなく、ポーのほうの『ユリイカ』と同じ範疇の「詩と批評」ではある。
 人の脳内に入り込むような空想物語では、超能力か未来的先端技術が必要とされるけど、じつは言葉というものがなによりもすごい超能力であって、電子機械などおよびもつかない最先端のハイテクであって、言葉のみで脳内宇宙をそのままぶつけることが出来るということを証明してしまっている。それも、意識の流れと云った線状のものではなく、立体的な塊として思考が切り頒けられることなしに一気にぶつけられる。さらにそれがそんじょそこらのあたりまえの脳味噌ではないから、ほとんど異星人接触テーマさえ内在されておる。詩などというレベルのもんではない。
 吾妻ひでおで、訳の判らん脳内妄想を塊にして投げつけるようなのがあった気がするけど、それを現実にやってしまっている。
 もっとも、詩というものはもともとそういうもんなんではあるが。現代に於いて言葉がいかに本来の姿を見失われて、すでに出来上がってひからびた意味だけを伝える道具に堕してしまっているかということか。

 そう云えば、7日に未映子ライブがあるけど、未映子のライブも歌というより思考と感覚の塊を形象爲して投げつけられたような妙に具体的な物質感がある。未映子の頭の中をジオラマにして直接その空間に放り込まれるような。
 『頭の中と世界の結婚』とはよくぞ云ったもんだ。
 未映子サイトにアップされているライブ映像を観て、そのごくごく一端を感じてみられては。まあ、映像では限界がありすぎるけど。
 あらためて言葉ってゆうのはすんごいな。往くとして可ならざるは無しの魔法だな。


2005/3/22  虚業の矜持

 ライブドアの傘下に入った場合は、スポンサーが降りて、フジサンケイグループとの関係も絶たれて経営が立ち行かなくなるとニッポン放送自身が発表しているわけですが、これはつまり、自分たちのやってる番組そのものに商品価値なんてもんはこれっぽっちもなくて、ただ古くからのお友達関係のお情けでお金を恵んでもらってやっているに過ぎませんと公的に認めたということなんですが、そこんとこを誰もつっこまないのは、すでにラジオなんてのはそういうもんだろうと皆さんが考えているということなんでしょうか。
 産経新聞がホリエモンに説教するなんてこともありましたが、毎年何十億も赤字を垂れ流しながら親会社に養ってもらってる本来存在できるはずのない方々が、いかにインチキ商売とは云え自分たちで自立してお金を稼いでいるライブドアに偉そうなことを云うのはいかにもおかしな話だと想います。
 そもそも、ライブドアを非難する人々があれは<虚業>に過ぎないと云ってるのがどうにも違和感があるのですが、放送だとか出版だとかジャーナリズムだとかコンテンツだとかウェブだとか、これは全部<虚業>ではないのか?
 そんなことを考えながら鹿内信隆の本を読んでたら、この人が産経新聞の社長に就任した昭和43年に「新聞社というものは虚業の最たるものだ」と発言していて、笑ってしまいました。
 当時も産経新聞は気の遠くなるような赤字を垂れ流していて、それまでグループで稼いでこの赤字を埋める側だった鹿内としてはこう云いたくなるのも判ります。しかし、じつはこの頃は産経新聞の輝やける赤歴史のなかでも比較的マシだったのであって、このあと石油ショックでいよいよえらいことになって社員の半数の首を切るという滅茶苦茶なリストラを断行する。最近では右路線の好調で多少楽になったとは云え案外部数は延びておらず、苦しさは鹿内が虚業と云った頃とたぶん変わらん。ただ、グループ全体が当時より巨大になったので多少の赤は養えるようになっているのですが、これとてテレビがコケればどうしようもなくなる。そして、テレビはもうもたないでしょう。
 すべては蜃気楼の上にあります。
 
 鹿内一族というか初代の鹿内信隆のいかがわしさえげつなさはホリエモンの何百倍の威力で、ムチャクチャおもろいので皆さんもうちっと研究されてみることをお奨めします。
 ウェブ上では本所次郎『閨閥 マスコミを支配しようとした男』が話題となってますが、これは「文藝春秋」などのいくつかの記事を無断でそのままコピペしただけのしろものですから、元の記事を読んだほうがいいです。中心となった記事は佐野眞一『あぶく銭師たちよ! 昭和虚人伝』に納められていますので読み比べてみたらいいですが、『閨閥』はほんとにそのまんま。あわてて絶版にしたのもむべなるかな。それでいて最後に「本作はフィクションであり、実在の個人・団体などとは一切関係ありません」とか断り書きがあっておかしいのですが、これはこれでメタ小説としてなかなか興味深い。<虚業>とはなにかを探る上での彩りにもなって、ヤフオクで値が上がっているのもゆえなしとはしません。
 
 さて、世間では鹿内信隆が創業者として紹介されることが多いですが、実際にはニッポン放送やフジテレビというのは植村甲午郎や水野成夫などの財界の大物が日経連をバックに創業したもので、鹿内は彼らに雇われた番頭に過ぎません。それが創業者が死んだ後に抜打ちで株を買い占めて創業者一族を追い出してグループ全体を乗っ取ってしまう。世話になった相手を騙しながら乗っ取るのですからえげつなさはホリエモンどころではない。
 さらには公共の電波をなんの経験も能力もない息子に継がせて(結果的に成功したので能力はあったのでしょうが、その時点ではなんの能力も示しておらず、信隆も春雄には能力がないと考えていた)、これがまたライブドア的な軽い文化祭のりだけでなぜか成功するが、女帝のいかがわしい宗教によって息子の病気は手遅れとなって若死にし、またこの宗教が元となった女帝の怒りからクーデターが起こって婿養子ともども鹿内一族は放逐される。
 果ては幻の王権復興のために小学校にも行かせず庭にも出さずに彫刻の森美術館に何年も幽閉されている、鉄仮面や謎のカスパール・ハウザーもかくやという幼き総領孫までいます。※宗教や幽閉については三代目・宏明の嫁さん(信隆の末娘)が書いた「文藝春秋」1993年4月号の記事参照。
 なんとも、ライブドアはオウムに似ているとか云ってる場合ではありませんぞ。
 
 最大の問題は一介のサラリーマンに過ぎない鹿内がどうやって莫大な株購入資金を個人で得たかというところにありますが、これについては開局当時の総務局長という人が実名を出しながら「ニッポン放送の運転資金を流用していたフシがある」という驚くべき証言をしています。ほかに財界筋のなにか不正があったという証言もあります。※「文藝春秋」では「フシがある」なのに『あぶく銭師たちよ! 』では「流用していたとしか考えられない」と書き換えられています。
 ここで上記の「新聞社は虚業の最たるもの」発言ですが、これは田中角栄に云った言葉です。池田勇人政権の財界四天王と呼ばれた創業者の水野成夫が、成り上がり者で自分にたてつく田中角栄を嫌って、莫大な金を注いでスキャンダルを暴き、産経新聞の経営とともに資料を鹿内信隆に託したのですが、鹿内はこれを持って何故かのこのこ田中に逢いにゆき、田中の人間性に打たれて資料を灼いてしまいます。
 さらに、資料を捨てると約束したあとというのがミソなんでしょうが、田中が産経新聞再建のための資金提供を申し出、鹿内はこれをきっぱりと断ります。しかし、断りながらも何故か必要な額を提示します。この文脈で出てきたのが上記の言葉で「新聞社というものは虚業の最たるものだ。かりに百億や二百億のカネでもすぐ消える」というわけです。※鹿内信隆『指導者・カリスマの秘密』で本人が書いてます。
 資料とバーターに田中経由で資金が出てきたと考えたほうが自然ではないかとあたしは考えます。いくら当時のニッポン放送の景気がよかったとは云え、何十パーセントもの株を押さえるだけの額を流用はできんでしょう。開局から10年以上掛かってこつこつと流用したということなのやもしれませんが。
 田中角栄本人が出すはずはなく、実際の資金の出処と鹿内がはじめた正論路線とのつながりとかいろいろ勘繰りはできます。
 もっとも、このあたりは株取得の時系列を調べて、この年より前だったらすぐに否定される推測です。一応、創業者が弱ってからやったという前提で考えてますが、ニッポン放送には水野の眼が届かないので、もっと早くにやってることかも知れません。
 
 いずれにせよ、サラリーマンには絶対無理な資金がどこからか湧いてきて、5億円の自宅だとか、時間外の相対取引だとかなんてのとは比較にならない巨大な不正を基盤としてフジサンケイグループが成り立っていることだけは間違いないのに、いまに至るまで誰も追及してないというのは、この国にジャーナリズムなんてものが果たして存在しているんでしょうか。
 まだ鹿内信隆がトップに君臨していたときにこれだけの証言を得て活字化しているのに、それ以上なんも掘り下げてない「文藝春秋」や佐野眞一というのはいったいなにもんなんでしょうか。
 ライブドアに対してジャーナリズムとは云々とか偉そうに語ってる輩は恥ずかしくはないのでしょうか。
 
 一方で、ネットジャーナリズムとか云ってる輩やジャーナリスト志望の学生さんなんかが、日枝会長の自宅前インタビューを撮影してきてそのままウェブで流すくらいのことを何故やらないのかも不思議でしようがない。
 それどころか、ここで掲げた資料程度を元にして書いてる人もほとんどいないようですし。
 亀渕社長は数少ない鹿内宏明の側近だったのにクーデターで大将が失脚するとあっさり見捨てて日枝派に寝返り、それ以降、異様なまでに日枝に忠誠を尽くすのはこの経緯があるかららしいとかいろいろ掘り下げ方はあるはずなんですが、表面に流れている情報だけを元にみなさん語っている。
 『閨閥』でひとつ判らんのは、日枝会長はもともと組合の委員長だったのに、組合潰しのプロである鹿内信隆に懐柔されて反対に鹿内秘書になって取り入って出世したということになっていて、これがほんとなら鹿内の不正な株取得に関わっていたということになるんですが、嘘ならなんでわざわざこんなストーリーにしたのか、少なくともなんかの典拠があってコピペしただけだと想うのですが。通常流布されてる話では、組合活動のため干されて、二代目の社長就任とともに編成局長に抜擢されたことになってるけど、これもいろいろ辻褄の合わんことがあって、ここんところを誰か掘り下げてもらいたいもの。
 はたまた、ホリエモンも3/11に『閨閥』を読んで感心したみたいで、つーことはここに掲げた情報なんかも調べてないということでいかにも泥縄。
 まあ、<虚業>というのはきちんと金を得ることと、おもろいかどうかということが重要で、あたしにはいろいろ疑問もあるもののライブドアに関してはみなさん愉しんでいるようだから充分成り立っているのではないでしょうか。
 
 それにしても鹿内信隆の<虚業力>は素晴らしい。流用にせよ角栄スキャンダルにせよ、乗っ取る相手の金をそのまま使って乗っ取ってるんだからLBOどころじゃない。
 産経新聞の再建も、もっとも金の掛かる流通をなくすというウェブ的というか、より<虚業化>を押し進めることによってるし、フリーペーパーを成功させたのもその延長線上にある。はたまた、社員の半分を首切りしたのも、米国の新聞を手本として通信社を活用して、もらってきた発表をそのまま記事にするだけの記者クラブにも人員を張り附けないという理論に裏付けされたもので、取材なんか必要ないというホリエモンの発想と通ずる<虚業>精神がある。
 放送だとか出版だとかジャーナリズムだとかコンテンツだとかウェブだとかを考える者は、鹿内信隆を見習っていかに<虚業化>を押し進めるかということをもう一度考えてみるべきではありますまいか。
 その前に必要なのが、自分たちがやっているのは立派な<虚業>であるという矜持です。
 
 ※本所次郎『閨閥 マスコミを支配しようとした男』入荷しました。

 
 
     



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