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『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2004/8/29  恋するヘモグロビン

 『FEEL YOUNG(フィール・ヤング)』8月号から連載の始まった未映子のまんが「“キ”印のおんなたち」は1回だけで打ち切りとなってしまいました。
 出版関係から探りを入れてみたのですが、あの雑誌はシュークリームという有名な編集プロダクションが編集をしているけど、編集長だけは詳伝社の人らしく、この人が直接に未映子を担当していたらしい。タイトルについても当然編集長のOKをもらってなんの問題もなく掲載されたのに、販売後にかなり上のほうからクレームがついたらしい。
 連載を切るだけでなく、いま出ている次の号にもお詫びなどが載ってるわけでもなく、まったく無かったことにしたいらしい。どうも、対応を見るに、やっぱりコンビニに眼を付けられるのが怖かったのか。
 これは完全に出版社側の責任で未映子に落ち度があるわけではないのに、なんのフォローもないらしい。まったく仁義に反するな。

 腹が立ったので、全然関係ないけど、月刊ソングスに連載されている未映子の詩と絵をこちらのページにアップしてみました。
 未映子の詩は素晴らしいけど、このへんてこな絵が付いてないとやっぱりいかんな。みなさん玩味してみてください。「恋するヘモグロビン」とかたまりません。
 ドレミ楽譜出版社の月刊ソングスはあんないいかげんな編集の雑誌とは違って、こんないま最高に藝術的な連載があって、そのうえに未映子の文章がもう1ページ添えられていて、さらに素晴らしいですからみなさんでこぞって購入いたしましょう。500円ですから絶対に損はありません。
 アップしたバックナンバーはたぶんもう売り切れていると想います。一応はそのへんも気を遣っています。確かめたわけではありませんが。
 未映子日記のほうは目的を達成するまで何があっても続けますが、このソングスの詩と絵は申し入れがあれば速やかに撤収します。

 ついでに、未映子のライブ映像(公式サイト直リン。RealPlayer)。12分半もある!時間のない方は8分からの「悲しみを撃つ手」だけでも聴いてみましょう。
 日本のメジャーレーベルでこれだけまるまるウェブで流している例はほかにあるのでしょうか。じつにいいことです。


2004/7/7  未映子はじめました

 以前に未映子のことを記してから4ヶ月、いまだに未映子公式サイトは検索拒否をしておる。
 ずっと考え続けてきたのだが、どうにも理由が判らん。判るのはなんらかの意図を持って営業妨害工作をしている人物が内部にいるということだ。
 あれだけの力のある日記であれば、ただふつうに検索可能になるだけのことでファンは現状より最低でも1万人は増えて、CD売上げも少なくとも3千枚は加算されることであろう。つまり、この人物はわざわざ検索拒否をすることによって1千万円規模の損害をビクターエンタテインメントと未映子の事務所、並びに未映子に与えているわけである。
 いったい何者が何の目的でこのような犯罪行為を行っているのかはっきりさせるさせるために、そしてなによりも未映子の文章を検索可能にして大勢の方に読んでいただくために、無断で日記をコピーした未映子の日記をはじめてみました。※追記。公式ブログができたので閉鎖しました。

 公式サイトがウェブページ作成の初歩を理解していない素人がやっていることは明らかではあるが、いかに素人にしてもレベルがあまりに低すぎる。あいかわらず日記の目次に日付とタイトルさえ入れずに不便極まりないが、いまどき小学生でももうちっと考えてページを構築しておる。
 とくにニュースページを別に設けているのが莫迦の極みで、訪問者のうちあんなページに行くのは半分もいないであろうし、またあれだけ見にくいページであれば情報を的確に受け取ることのできるものはさらにその数割にしか過ぎないであろう。つーか、ライブやメディア登場の最新情報をトップページに掲げていないアーティストサイトなんてほかにあるのかね?
 己の仕事がなんであるのかまったく理解しておらず、とうてい金を取るような代物ではない。この程度の人と情報の流れくらいは学校なり職場なりで教えていると想うのだが、教わる以前にこんなことも判らん人はこの手のお仕事に向いてないので転職すべきである。
 はたまた、これはウェブ担当の責任なのかどうなのかはよく判らないが、このニュースページの内容が出鱈目極まる。
 テレビやラジオ出演情報を何故か載せないために何度も見逃したり、映画の主題歌になったことさえ一切載せていない。逆に大阪のラジオに出るというので東京で凄まじい雑音まじりの放送を2時間も聴いていたら結局出てこないなんてな酷い目にも遭わされた。あとから調べてみると確かに出演予定はあったものの、数日前には出ないことが決定していたことが判った。
 あたしはもう怒り心頭に発した。とにかく、検索拒否に関しては、いったいどういう輩がどのような目的でもってやっているのか明らかになり、なにより検索可能になるまではコピーページを続けるつもりであるので、よろしく。
 なんせ内部の者がやってるのだからグーグル八分どころの騒ぎではない。ビクターエンタテインメントもこんな輩を雇っているのは株主に対する背任行為に当たるはずである。はっきりさせてもらいたい。レコード会社が腐っているとは云っても、いくらなんでも限度というものがあるのではないのかね。

 未映子の以前の公式サイトの日記もあたしが保存していた分を合わせてアップしてみた。何故かいまのサイトには載せられてないのも面白いのばっかり。こっからもう全部順番に読みなさい。
 日付はかなり情報を集めてみたが、最終的にははっきりとは判らないので間違ってるかも知れません。なんで日付なんてな当たり前の情報で、こんな苦労をせんとならんのか。

 ついでに月刊ソングスに掲載された詩も載せてみた。もうほんとに詩は素晴らしい!
 月刊ソングスには未映子の摩訶不思議なる絵も添えられていて、さらに何倍も素晴らしさが増幅しておりますから、月刊ソングスサイトからバックナンバーもまとめて購入いたしましょう。1冊500円ですから絶対に損はありません。
 詩集を出したい出版社は早い者勝ちですぞ。


2004/2/16  幻想の徒、現実に溺れる

 絶望書店日記をはじめた時にせっかくだから宣伝でもしておこうかといまはなきとある日記系サイトに登録したのですが、そこには「メディア日記」という分類がありまして、あああたしがこれからやろうとしているのはメディア日記なのかとその時初めて気付いたような次第でありました。
 本の話だけではなく、遊女の話も少年犯罪の話もあくまで情報の流れ方の力学を問題としていて、対象そのものにはさしたる興味はなかったのでありますが、よそさまのサイトを手伝って深入りしているうちに少年犯罪の魅力に取り憑かれてしまいました。いまではあのリストが完成するまでほかのことは何も手に付かないようなところまで耽溺してしまっております。
 あたしには犯罪趣味はまったくなかったのですが。どうも現実に取り込まれておりますかな。小金治も殴ってくれそうにもないし。当面は眸が醒めることもないのか。ほかの何より面白いのだから困ったもんです。

 とにかく、掘っても掘っても次から次から訳の判らん事件が無尽蔵に湧き出してくるのでいつ終わるのか見当も付かなくなってきております。以前に『青少年非行・犯罪史資料1-3 』(赤塚行雄編 刊々堂出版社)には青少年の事件記事のほとんどが掲載されているなんてなことを書きましたが、そうとうに甘かったようで。
 昭和35年(1960)の少年犯罪は東京の記事だけではなく一部に大阪の新聞も参照したなかなかの自信作でありまして、すべての年をこのくらいのレベルにしたいと想っております。このくらい充実していると時代が立体的に把握できるようになる。少年犯罪データみたいなやっつけ仕事とは違って、かなりきっちりしたもんですので、できれば全部お読みいただきたい。
 もっとも、これも少年犯罪だけですから、ゆくゆくは成年犯罪もすべて取り込みたいのですが。できうればすべての地方の新聞を参照して。

 そうなると頼りは諸氏の協力だけであります。
 以前に集結していただけた方々は著作権を廻避するために根本的に違う文章に書き換えるというところになかなかてこずっておられまして、予想よりスピードが上がりませんでした。どうしても元の文章に引きずられるようで、すべてのデータに手を入れざるを得ませんでした。訴訟リスクがあるのでkangaeru2001氏が多少神経質になっていることもありますし、またチェックが追いつかないので募集人員を絞ったこともあるのですが、いまだ完成にはほど遠い状況です。
 すべてのデータに手を入れるといってもいちから書き起こすのと比べると1/10の労力で済みますし、つまり10年掛かるところが1年でできるわけで、諸氏の協力は不可能を可能へと変換するものであります。
 kangaeru2001氏は協力していただける方の募集を再開いたしました。今回はこちらですべてのデータに手を入れることを前提にハードルを低くするつもりでおりますので、お気軽に参加していただければ。
 訳の判らん事件の奔流に溺れることができます。そこには夢のような日々が。白昼夢にひたりたい方はぜひにも。


2003/5/31  間抜けなレッシグを黙らせろ!

 ローレンス・レッシグ『コモンズ』がようやく図書館でつかまったので読む。杉並図書館は数年前に予算を極端に削って新刊の入荷が眼に見えて悪くなり順番待ちの輩はいや増して、予約から何ヶ月も待たされた。これもコモンズの縮小の一端なのか、共有地の悲劇なのか。もとより買う金は持っとらんし、天下の廻りものが廻ってこない個人的な悲劇か。
 この書はwad’sも云ってるように、己の思想を正当化するために創作だのイノベーションだの持ち出してきているような気があたしもするし、メディアの進化一般の見地から批判するのは見当外れなような気がするが、どうも著作権の問題を妙な具合に歪めているような気もするので、時季外れにネタにマジレスしてみたい。

著作権はふたつに頒けろ
 日本には版権と著作権というふたつの言葉がある。版権というのは福沢諭吉によるコピーライトの訳語らしいが、もともとは板権から来ているのであろう。板権というのは活字ではなくページを彫り込んだ板木での出版を行っていた江戸時代のその板木に伴う出版社の権利のことである。板木を持っていない者は同じ内容を出版する「重板」も似たような内容を出版する「類板」も禁じられて、やるとしたら板木を買い取るしかない。板権はまさしく英語のコピーライトと重なる概念である。(江戸時代は「板株」という言葉が一般的。ひょっとすると「板権」というのは明治にできた言葉かも知れんが、概念は一緒で流れは板株→板権→版権で同じ)。
 この板権はなかなか強力なもので、『徒然草』だとか『伊勢物語』とかの古典でも最初に出版して板木を持っている出版社以外は本にすることができず、注釈書なども類板として取り締まられるので、江戸初期は無数にあった注釈書が法律と出版社組合が確立した元禄以降はほとんどなくなってしまう。また、同じ筆者が同じようなテーマの本を他社から出そうとする場合、必ずしもまったく同じ内容ではなくとも類板として差し止められるというようなことがあった。
 一方で弱いながらも著作者の権利はあり、江戸時代の日本には版権は著作権と対立する概念として明確にあった。明治時代に福沢諭吉が欧米の法律を持ち込んでから、ふたつの概念は曖昧になってしまったが。

 英語ではひとつの言葉しかないからなのか、著作者の人格と不可分と考える大陸法とは違って版木のように売買できる財産権である英米法のためなのか、ほんとうの自由な創作活動やほんとうの革命的イノベーションなど求めているわけではなく己の思想の方便として云っているだけだからなのか、『コモンズ』では版権と著作権を明確には区別していない。たぶん最後の理由が一番ありそうだが、これが一番肝心な問題を判りにくくしてしまう。
 著作権の話の本質は、創作に関わってないスーツ連中があたかも創り手のためであるのかの如くに主張しながら金とコントロール権を握っている点に尽きる。これは企業が芸術家を搾取しているなんて単純な図式ではなく、創作活動の本質に関わるなかなか厄介な問題ではある。
 スーツ連中が大金を取るために創り手の取り分が少なくなるという問題もあるし、無駄に多いスーツ連中を喰わせるためにより多くの部数を掃かなくてはならなくなり、そのためには最大公約数的な無難な内容に中身を薄めないといけないという問題もある。もともと、本などというのは1000部も売れれば採算が取れるはずなのだが無理を強いられることになるし、またいろいろ口出しをされることになる。<他者>の恐るべき脅威
である。
 版権と著作権は基本的に敵対関係にある概念として確立させるべきである。いま問題となっているのはこの版権(現在の著作権の一部と著作隣接権を含むスーツ権)であり、スーツ権は著作権を抑圧するものとしてきちんと捉えるべきである。このスーツ権問題を著作権問題として捉えているレッシグは、問題を隠蔽しようとするスーツの手先となっているに等しい。
 この点を明確にしてから次の段階に移らなければならない。

既存の創り手などいらない
 より大きい問題は創り手の側がこのような体制に依存していることである。いまや物理的な流通基盤はいくつもあり、『コモンズ』で強調されているような妨害活動などないにも関わらず、旧体制のほうを選び取る創り手がほとんどなのである。レッシグが理想とするような自由な流通チャンネルやイノベーションだのをほんとうの意味で求めている創り手などいないのである。
 現在の日本の出版界はブックオフやマンガ喫茶という物理的なインフラがすでに整備されている。ブックオフやマンガ喫茶はいろんな批判に晒されているため、多少の金銭的損失があったとしても既成の本とは別ルートの新しい形態の新刊を扱ったり自ら出版を手がけたりする潜在的動機付けがされている。ここに附け込んで、出版社も取り次ぎも取っ払って自分の本を売り込もうとする書き手がひとりもいないことが、最大の問題なのである。創作者の権利を護りたいなら余計なスーツを排除して創作者の取り分を増やそうとするのが当然であるのに。
 こういうことも想い付かない輩の書いている文章が面白いはずがないし、読む価値などまったくない。貸本屋や古本屋が発達すると自ら出版をはじめるという歴史的事実や力学的必然について考えたこともないのであろう。
 反対にブックオフやマンガ喫茶を批判して旧来の流通チャンネルの独占を強化しようとする書き手がいたりもする。こういう輩は編集者の存在を何故か過大評価しウェブはチェックが働かないのでいいかげんなどと本気で考えていたりする。いまはまともに仕事をしている編集者などいない。数人はいるかも知れんがそれは編集というシステムとはまったく関係なくたまたま偶然そこにいるだけで、多少は働いているように見える連中もただ旧来の枠組みに当て嵌める機械作業をしているに過ぎない。編集者とは本来新しいメディア自体を創造する創り手のことを云うのだが。
 枠組みに疑問を抱かない者を創り手とは呼べない。<他者>のひとりである。創り手がスーツになってしまっているのだ。
 自ら束縛を求めている家畜でもある。家畜の書くものなど読んでも仕方がない。この連中の拠り所は自らが既成の枠に嵌っているということだけである。肩書きだけの編集者にチェックしてもらうことで責任を回避し安堵する甘えた無能者である。
 日本の著作権の源流である大陸法では著作権とは創作者が出版社から独立して対抗するために闘い取られたものであるのだが、それをいままた出版社の支配強化のために使わるとは皮肉な話ではある。ちなみに宮澤溥明『著作権の誕生 フランス著作権史』は有名な作家たちがいかにして出版社や劇場(現在の放送局や映画配給会社に相当する)と闘ってきたかがよく判り読み物として面白い。ジャスラックの理事がこういう本を書くこともまた、この問題の捻れ具合を表していると云えようか。
 過去の優れた創り手は枠組みそのものを変革してきている。眞の創り手はコンテンツではなくメディアを創造するのである。既存の枠組みに満足している者にものを創る資格などない。
 現在読む価値がある唯一の存在である絶望書店がメディアであるのは偶然ではない。メディアがメッセージとはよく云ったもんだ。

 おまえら!この妄想を買え2のリンク集なんかにあるような本の流通について記してきたのは、既存の本を流すためではなくまったく新しい本を生み出すために枠組みを変革しようとする試みで『コモンズ』の考えと多少似たところもあったが、とりあえず既成の書き手に関してはそんなものは欲してないし、新しいものを生み出す能力もないとの確信を数年間を経て持つに至った。
 もっとも、それは判っていたことで、あたしはいまある既成の本も映像も音楽もまったく面白くなくて心底困っている。それこそ根本的イノベーションが起こってもらわないと愉しみがなんにもない。そのためにこの『コモンズ』とかいう本はなんの役にも立たない。『だれが「本」を殺すのか』が出版界守旧派の意向を受けて問題を隠蔽するために書かれたように、むしろ問題から眼を逸らす役割を担っているように想える。
 レッシグも既成の書き手のひとりであるし、ディズニーだのなんだのを自由に使えるようにしろと云ってるくらいだから既成のものについて満足しているのであろう。それなら彼の云う「イノベーション」とはいったいなんなのであろうか。もうひとりのディズニーを生むだけのことなら「イノベーション」だのとご大層なことを云うほどのことなのか。
 少なくともあたしはそんなものでは困るし、せっかくメディアの転換期に立ち逢った甲斐がない。
 新しいメディアに流してもらいたくないと云ってる旧メディアの連中のものをわざわざ流してやる必要などない。向こうから頼んできても断るべきである。

新しい創り手は顕れていない
 ディズニーにしろレコード会社にしろ既存の大手が自分たちの財産をウェブに無制限に流れるのを抑えようとするのは、メディアの進化にとってまことに結構なことである。ウェブ上ではそれらの既存の勢力とまともに競合せずに新興勢力が地歩を築けるからだ。
 問題はいまに至ってウェブ独自の映像や音楽などが生まれていないことのほうなのである。それをディズニーが著作権に煩さ過ぎるせいだと云うのは無理がある。
 新しいメディアにはそれに合った表現がそのたびに生み出されてきた。あたしは音楽には疎いのでよくは識らんのだけど、たとえば着メロのようなこれまでの音楽とはまったく違う概念のウェブ独自の音楽なんてのはあるのだろうか。ウェブで音楽を聴くとうざくてすぐに消してしまうが、うざくない新しい音楽の試みなんかを真面目にやってる者はいるのだろうか。
 あたしの識ってる範囲ではインパク音頭くらいしか想い付かん。インパクみたいなものを嗤うなんていう己が低脳であることを喧伝するようなことをやってる輩は一杯いたけど、インターネットの有り様を餘すことなく歌い上げたこんな素晴らしい歌はあんまり広がらなかったな。
 まあ、ほんとにこれがウェブ独自の音楽であるかは疑問のあるところで、フラッシュなんかも面白いものはあるもののほんとにウェブ独自の映像と云えるかは疑問ではあるが。
 せっかくの空白地帯になっている処でまったく新しい表現が生まれ、ディズニーや既存のレコード会社を衰退に追い込めば、レッシグなどに詰まらない理論を振りまわされてでかい顔をされなくとも済む。本やCDの売上げが落ちていることはコピーの問題だけではないだろうし、潜在的にそのような流れは望まれているはずで状況は有利なはずなのだが。
 やっているのは既存の表現の縮小再生産でしかない。自由は無限にあるのに。
 テレビやラジオや雑誌で流れてるようなものをウェブで流しても仕方がない。そもそも既成のものが「良い」という感性自体が劣っているので致し方ないが。とくにあたしが不思議なのは雑誌などといういまどきまったく売れていないもののデザインが「良い」ものとして、それをそのまま持ち込んだような醜悪なウェブページが多いことである。新しい創造などという遥か以前の状態ではある。
 『コモンズ』で謳い上げられているように自由な空間がイノベーションを生むというのはかなり怪しい話ではある。歴史を見るとメディアの転換期には新旧の苛烈な激突があり、そこからまったく新しい表現が生み出されている。旧体制があまりに強力なために擦り抜けるためにそうせざる得なかったという面もある。
 メディア進化の歴史についてはもう一度よく見ておく必要があるのではないか。一番美味しいところをわざわざ切り捨てるということにもなりかねん。

新しい受け手はいるのか?
 この書には何十年も前の本を舞台化しようとしたが著作権に阻まれてできないとかいう話が大問題として出てくる。しかし、例えば絶望書店は昔の本を使ってまったく新しい形の演劇をウェブを舞台に展開しているとも云える。
 この書では「イノベーション」とかいう言葉がやたらと出てくるが、こういうまったく新しい動きが視えないのなら「イノベーション」など意味はない。
 古本屋からも著作権者に対して金を払わそうという動きがあったりしてレッシグの心配する新たな規制ができるかも知れんが、そうなったらまたべつの面白い方法を編み出すだろうし、いざとなったら刑務所に入ったり破産すれば済む話である。
 そんなことよりも、まったく新しい表現を受け入れるだけの能力を持った受け手がいるのかどうかが大問題ではある。
 絶望書店のなかで唯一旧来のメディアの延長である絶望書店日記だけを読んでいる輩が大勢いて、せっかくの絶望書店の革新性を読み取っていない。
 そもそも受け手はイノベーションなど望んでいるのかどうか。

メディアの歴史を本当に識っているのか?
 国家だの市場だのの大きい単位の平均的な話ならレッシグの云ってることはもっともな面もあるが、創作活動などという突出した分野のさらに新機軸なんていう突出した部分に於いて規制がどうだなどということはおよそ関係がない。『CODE』と違って『コモンズ』にあまり説得力がないのはこの点で、思想をもっともらしくするためのダシにしか見えない由縁である。
 新旧のメディアが激突する時期の鬩ぎ合いこそがメディアの本質であるとも云える。現代はそれが起こっていないことのほうが問題なのである。

 ほんとうの創り手はどんな妨害があろうとも己の創りたいものを創ってしまうものだ。いざとなれば刑務所に入ったり破産すれば済む話で、ほんとうのイノベーションを打ち立ててきた先人達は皆そうやってきている。
 新しい表現を生み出した創り手がいよいよ困っていたらそのとき初めてレッシグのような法律家が助けてやればよいのであって、法律家が先回りして予想できるはずもない新しい創造物についてあれこれ考えるのは莫迦げているし、ましてや法によってそれが生まれるなどと間抜けなことを云うもんではない。
 しかし、これはレッシグが悪いのではない。この期に及んで未だにまったく新しい創造を打ち出せないでいる創り手のせいで、頭の回転の速い者が辛抱たまらずつい先走りしてしまっただけのことだ。
 早いとこ旧メディアと激突せざる得ない新しいものを見せつけて、法律家本来の仕事をやらせてやれ!!

 ところで「コモンズ」なんていう聞き慣れない言葉よりも「楽市楽座」なんてな邦題にしておいたらITバブルの頃によくあったインターネット論と本質的に同じだと判ってよかったのではないのかね。楽市楽座も為政者の保護によって自由が護られてたんだろうから。こっちのほうがイノベーションはともかく発展とか繁栄とかのベクトルが明確に含まれた概念であるし。聞き慣れない横文字のほうが好きなITバブルのオヤジなら「コモンズ」なんてなほうが良いのだろうが。
 ITバブルの頃によくあった脳天気インターネット論を嗤う輩は多いが、あたしはそんなに間違ってなかったと想っている。実体は伴わなかったがそれは実体のほうが悪いのであって、絶望書店のような立派な成功例もあることだし。結局は演じ手の能力がすべてではある。

 コモンズというのは「入会地」という名で日本にも古くからある。裏山を村の共有地として薪などを取り過ぎて荒廃させないように共同管理したりする、主に現状維持のためのシステムである。
 ディズニーの作品がただで無制限に流れるようになると新しい勢力が入り込む隙がなくなり、それこそ現状維持が続くことにもなる。旧メディアの強力過ぎる保護は諸刃の剣で、旧メディアを衰微させ新メディアの勃興を促する原動力ともなる。囲い込みと隔離は表裏一体で、既成の体制に関係なく自由に暴れる新興勢力が顕れるといつでも逆転することになる。
 メディアの進化にはいつもあったこういう関係から見ても、レッシグのやってることはズレている。彼の思想にとって美しい体系であれば、メディアの進化が現実に起きるかどうかなどどうでもいいのであろう。本当のイノベーションなど望んでいないのである。

 平均値の話としてはアーキテクチャーが人の行動を左右するなんてこともあるのだろうが、創作活動やイノベーションなんて世界では莫迦や気狂いの突出した行動がアーキテクチャーのほうを規定するのである。
 早いとこあっと驚く新機軸を打ち出して、法律学者先生に世の中のダイナミズムというものを教えてやれ!
 江戸時代の出版界では小難しい「物の本」を出すご立派な出版社は上記のような自らの既得権益を護るための法律に雁字搦めになって衰退していった。一方で出版社組合にさえ属さない新興の出版社が非合法のゲリラ的手法でもってまったく新しい世界を切り開いていった。
 ほんとうのイノベーションとはこういう<メディア循環>によって起こるのである。もっとも難しい物理的基盤は必要ではあるが、ウェブだのなんだのですでに条件は整っている。

結論
 あたしは新しいメディアと云えた黒薔薇は時々読み返して自分でも笑ったりしているのだが、旧来のメディアである絶望書店日記はどうにも面白くなくて絶望書店主人がわざわざ書くほどのことはないと常々考えていて、この4月にはやめてしまうつもりであった。日記の代わりとなる今日の一冊の準備に手間取ったのと、旧メディアからの想わぬ接触に応対するため図らずも延命してしまった。
 どこも本の画像はおんなじのばかりで今日の一冊みたいなやり方があるんではないかと絶望書店開店当初から想っていたのだが、デジカメが手に入らないので6年も遅れてしまった。どこの家にも古いデジカメの一個や二個は転がっているだろうに何故ただで寄越さないのか。麗しい共有の精神を持ってはおらんのか。
 ディスクスペースがもっとあればさらに面白いことができるのだが、誰かコモンズとして絶望書店だけに解放せんか。レッシグの云うように物理的基盤はまことに重要である。

 てなことで、結論としてはおまえら<絶望石>を買え!
 根源的再編成が迫られているあらゆる分野のコンテンツ事業の将来は、まさしく絶望書店と<絶望石>の行方如何に掛かっておる。諸氏の心がレシイバアとすれば<絶望石>は萬人に向かって放送せらるゝ大マイクロホンである!メディアの未来を見たくはないのか!絶望書店に物理的基盤を与えてみよ。
 たとい諸氏らの想うようなものが出てこなかったとして、握り締めながら一心に祈れば向こう三軒両隣り孫子の代まで深い絶望を得ることができるのであるからして、論理的必然として絶対に損にはならぬこと科学的頭脳を備えし貴君には説明の要もない。買え!

  2003/6/30 絶望の来し方行く末も参照のこと


2003/3/8  遊女を虐待する人々1

 平均寿命23歳のやり取りに於いて、小谷野敦氏は遊女の平均寿命についてのご自身の誤りに確信を抱いておられたようである。あれだけ歴史資料の扱いについてやかましく申し上げたのだから、まさか根拠も無しにそんなことを仰るはずもなく、あのわずかな期間で浄閑寺の過去帳なりの一次資料をきちんと精査された上での確信であるのだろう。研究者としてまことにご立派な姿勢で、頭が下がる想いがする。
 あたしのほうは依然として確信を持てなかったので過去帳の内容を細かくお訊きしたかったのだが、当方なぞのお相手に貴重なお時間をこれ以上割いていただくのも申し訳ないし、当方の欲している情報が得られるような気もしなかったし、これからも大いに活躍してくれる金の卵を産むガチョウの息の根を止めるような野暮はするなよという囁きも脳内に聞こえてきたので、自分で調べてみることにした。
 かと云って一次資料を直接見るのも面倒なので、とりあえず「平均寿命23歳」の大元である西山松之助『くるわ』(昭和38年 至文堂)を読んでみた。そうしてみると、あたしが想像していたよりもかなり問題は深刻であることが識れた。

期間 年数 女(信女) 女(信女)*0.9 年平均
第1号 寛保3~安永8(1743-1779) 37年 510人 459人 12人
第2号 安永9~享和1(1780-1801) 22年 563人 507人 23人
第3号 享和2~文政7(1802-1824) 23年 117人 105人 5人
第4号 文政8~嘉永6(1825-1853) 29年 312人 281人 10人
第5号 安政1~元治1(1854-1864) 11年 497人 447人 41人
第6号 慶応1~慶応3(1865-1867) 3年 157人 141人 47人
合計 1743-1867 125年 2156人 1940人 15.52人

 上に掲げたのは『くるわ』に掲載されている表をあたしが再構成したものである。浄閑寺の過去帳は明治以降も続くのだが、江戸時代に限ると寛保3年以降の125年分、6冊が途中欠けることなく残されている。これ以外にも安政の大地震の犠牲者だけのものが1冊あるのだが、地震は当然、遊女以外にも江戸中に多くの死者が出ているので、とりあえず外してよいだろう。
 これは戒名が「信女」の数である。現代の慣習では満15歳以上の女性は「信女」、それ以下は「童女」の戒名を附ける。江戸時代はどうなるのか調べても判らなかったが、「信女」=大人になる=禿(かむろ)から遊女になるというのはおそらく連動しているだろうから遊女のデータとしては問題ないであろう。なんでこんなことを云うかというと、浄閑寺には吉原とは関係のない一般の女性も葬られており、遊女との区別がはっきりしないのである。
 過去帳の記述は、1.抱えている楼主の名と遊女という表記があるもの。2.楼主の名はあるが遊女の表記は無いもの。3.楼主の名も遊女の表記も無いが、俗名が明らかに素人ではないもの。4.上記いずれにも属さないものがある。
 西山松之助は1-3の全部と4の一部が遊女であるとして、上記人数の1割が一般女性、9割が遊女と推測している。江戸時代の過去帳の記述は3のように不備が多いので4の一部が遊女である可能性はある。しかし、この推測には驚くべき欠陥がある。下女についての考慮がまったくないのだ!
 吉原には掃除洗濯や配膳をする下女たちが遊女の7割くらいの人数いた。遊女と違って下女は身請けされる可能性も金持ちになる可能性もなかったし、定年がなかったであろうから遊女よりも平均年齢が高かったはずで、死ぬ可能性も高かったはずである。投げ込み寺に無縁仏として葬られる人数は遊女に匹敵するくらいあったのでなかろうか。
 2はすべて下女であった可能性がある。また、3は売春をしない芸者であった可能性がある。西山博士は芸者も考慮しておらず、あたしは唖然とする。
 さらには浄閑寺には岡場所の遊女も葬られており、吉原の遊女の死者数は上記の半分以下だったのではないかとあたしは推測する。西山松之助の文章を引用したのでお読みいただきたいが、岡場所の遊女も葬られていることはきちんと記述されているのだが、何故か途中からすべて吉原の遊女の数ということに擦り変わっている!こんな出鱈目なものを根拠に研究者の全員が吉原の遊女を語っているのだ!

 あたしは半分以下ではないかと想うが、とりあえず西山博士に従って上記の9割が吉原の遊女の死者数としてみよう。
 125年で1940人だから、1年平均は15.5人である。吉原の遊女の数は時代とともに大きく上下するが過去帳が残っている江戸後期に限ると、禿をのぞいた遊女だけで、1770年(明和7)2130人余、1799年(寛政11)3780人余、1819年(文政2)3870人余、1849年(嘉永2)4680人余ということなので、とりあえず平均3500人とすると年間の死亡率は1000人に5人以下、0.44%ということになる。これは江戸時代の死亡率として果たして高い数字と云えるだろうか?
 上記の表を見ると大地震の犠牲者を外しているのに安政期の死者が多い。これは明らかに「ころり」(コレラ)の犠牲者だろうが、ころりでは人口100万人の江戸だけでも死者10万とも20万とも云われていて、遊女がとくに多いわけではない。慶応はさらに死者が多くてこれは原因がよく判らないが、6冊目は明治と一緒になっているので何か間違いがあるのではないかとあたしは疑っている。とにかく安政以降の異常事態14年分を外すと、111年で1352人だから、1年平均は12.2人で死亡率0.35%となる。安政地震も考慮せずに済み、こっちのほうがデータとしては妥当であろう。
 ここでややこしいのは、吉原の遊女が葬られた投げ込み寺は浄閑寺のほかに、西方寺、正憶院と合わせて三カ所あったということである。しかし、西山博士は大部分は浄閑寺としているので、この数字の2倍になるということはないであろう。つまり、西山推測で0.7%、絶望書店主人推測で0.4%程度が吉原の遊女の死亡率となる。
 これは果たして高い数字と云えるであろうか?西山博士は「一般社会では、ほとんど死ぬことのない年齢層」という奇怪なることを述べているが、若い女性も当然死ぬことはある。

 日本政府は明治24年から生命表を作成しているらしいのだが、政府発行の統計では年齢別の死亡率は何故か明治36年以降しか判らない。これによると満年齢15-29歳の女性の死亡率は明治36年から昭和16年まで0.9%-1%程度で安定していて、スペイン風邪が流行った大正8年前後は1.6%まで跳ね上がっている。なんと!昭和の一般女性よりも江戸時代の吉原の遊女の死亡率のほうが低いのだよ!!!!!死んでも投げ込み寺に葬られなかった遊女がかなりいたとしても、死亡率が高かったとはまったく云えない。
 考えてみれば吉原の遊女は衣食住が保証されていて労働も楽だった。よく遊女の労働は苛酷で過労死が多かったなどと云う輩がいるが、吉原に限れば遊女の仕事の半分は酒の相手で、必ずしもすべての客に肉体的サービスを施したわけではないので現代の風俗嬢と比べれば少なくとも肉体的には楽だった。女工哀史や畑仕事と比べてもどれほど重労働と云えたであろうか。昭和前期までは現実の問題としてあった飢餓の心配がなかっただけでも死亡率が低かったのは当然とは云える。結核が深刻になるのは産業革命が起ってからという事実も関係があるだろうが。遊女だけではなく江戸時代全体がよい時代だったという裏附けにもなるのやも知れん。
 吉原は10年に一度は全焼していてそのたびに多くの犠牲者を出している。心中も多い。また結核などの病気が死因のかなりの割合を占めるだろうから、悲惨派が云う折檻や過労で死ぬ遊女が仮にいたとしても極めて例外的な少数だったことが判る。性病で死ぬ数でさえそれほどには多くなかったということになる。
 ちなみにこの年齢層の死亡率は戦後急激に下がり昭和37年(『くるわ』執筆の頃)には1/10の0.1%を割る。抗生物質の驚異的な威力が判る。現在は0.02%程度で、この10年ほどでもまだ下がっているのは驚く。同年齢の男は倍の死亡率で男は女の2倍悲惨だと云える。
 戦前は若い女性の100人にひとりが死んでいたわけで、美人薄命のお涙頂戴物にリアリティがあったわけだ。

 繰り返すが、あたしは一次資料を見ているわけではないので、上記はあくまで悲惨派の側が唱えている主張を元にした推計値である。一次資料をこの眼で見ないことには断定的なことは何も云えない。過去帳のなかで岡場所の遊女や下女がゼロということがあり得ないのは確実だが。悲惨派が浄閑寺の過去帳だけで死者がとんでもなく多いと主張していることには注意するように。
 悲惨派の主張にはさらに驚くべき事実がある。次回に続く!!



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