絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2002/3/22  シンプルは醜い

 デザインが酷いのはロボットに限ったことではございません。現代日本に氾濫する工業製品のデザインはおよそ盡く酷いものばかりです。
 自動車のデザイナーが手がけたASIMOなんかを観ても、ああいうツルンとした取っ掛かりのないシンプルなデザインこそが上等なデザインであるという間違った考えをほとんどのデザイナーが共有しているようで、これがすべての元兇であるとあたくしは想っています。
 シンプルなデザインがいいデザインというのは寿司屋のアナゴの一種でありまして、美的感覚の欠如を顕す考え方に過ぎません。こんな妄想がはびこるのは現代のデザイナーがいかに無能になってしまったかということです。
 シンプルかどうかと優れたデザインかどうかにはまったくなんの関連性もありませんから、シンプルデザインの中にもいいものはあるはずですが、現代の日本に於いてシンプルは無能なデザイナーの隱れ蓑にしかなっておりませんから、シンプルデザインはすべて醜い!蟲酸が走る!

 もっとも、いまや最優先事項となってしまったコスト削減という要請からシンプルにせざる得ないという現実的な状況もあったりしますが、そもそもこれが間違っております。
 テレビでも冷蔵庫でもドリルや背ビレのひとつもつけて、3倍の値段で売らんかい!!せめて、無意味に廻る針のメーターくらいはつけんかい!!
 同じ醜悪ならまだしも過剰なほうが面白味がある。だいたい過剰を制御できてこそ眞のデザイナーというもので、ヲタク作家は優れた仕事をしているのに工業デザイナーはなにゆえこれほど低劣になってしまったのか。
 新しいデザインのモノづくりを標榜して違う分野のデザイナーを連れてきているらしい『空想家電』改め空想生活なんかもおよそ詰まらないデザインばかりで、工業だけでなくデザイン業界すべてが腐り切っているとしか想えません。ウェブサイトもプロのデザインは見るに耐えないものばかりですし。
 共通しているのはシンプルならいいデザインだろという、美的感覚の根本的欠如です。

 いつまで経っても未来にやってきたような気がしないのは、第一にこれらの無能なデザイナーたちのせいであります。
 家電のデザインなんかはすべてまんが家にやらせるべきです。それもメカが得意なまんが家よりも吾妻ひでおあたりにでもやらせたら、あたしは借金してでもすべて買い替えるんですが。まあ、人選はともかくとして日本の生き残る道はこっちのほうしかないでしょうに。
 ほんとは小松崎茂にやらせておけば、未来なんてすぐに手に入ったはずなんですが。なんで、こんな簡単なことが誰にもできなかったのか。現代のデザイナーに小松崎茂の半分の才能でもあればこんな繰り言も出ないのですが。
 iMac程度のデザインが評判になる21世紀というのは悲しすぎます。

 
 
   


2001/9/21  チューリングテスト被験者たち

 昨日ああ云ったものの、事件直後に書こうと想ってやめてしまった文章を、プレッシャーに負けてやっぱり記しておきます。
 妙なプレッシャーを受けるのが嫌で自分のメディアを持ったと云うに、やはりプレッシャーは受けることになる。諸氏にはここにはっきりと宣しておくが、絶望書店主人はプレッシャーに極めて弱い!!罵詈雜言なら心待ちにしているんですが、誰にも浴びせてもらえんし。あんまり妙な期待は掛けないでネ。絶望書店主人からよい子のちびっ子たちへのお願い。

○ ○○ ○○○ ○○○○ ○○○○○ ○○○○ ○○○ ○○ ○

 マンハッタンのテロ映像を観てほんとにショックを受けている方が大勢いるようで、あたくしはそちらのほうに驚きました。アメリカやイスラエルがアラブに対して行った爆撃や虐殺で殺された一般市民や壊された建築物は遥かに多いはずでから。
 ユダヤ系に支配された米国メディアはこれらのニュースをほとんど流していないらしいんですが(これが真実なのかどうかあたしはよく識らんのだけど、今回米国のテレビを観ているとニュースキャスターがパレスチナ人の専門家にどうして米国がここまで憎まれるのか判らないのですがとじつに素朴に訊いておりましたので、やっぱりほんとなんですかね)、日本ではそれなりに報道されていたはずなんですが。
 なにゆえ、一方の側だけに強く想い入れすることができるのか。知り合いが巻き込まれたとかいうのなら話は別なんですが。

 ディックの小説では生き物に対して感情移入をできるかどうかが、人間と機械人間を見分ける唯一の機能として扱われておりました。あたくしも感情移入というのが人間の深淵を探索するにもっとも重要なる鍵を握る不思議な能力だと考えております。
 ディックの小説では生き物に対しての感情移入だけが問題とされ、たとえ感情移入できたとしても電気羊と羊とは違うんだと書かれていたような。この十年以上読んでいないので、あんまり覚えておらんな。全然違うかも知れん。まあ、いいや。
 ところが実際には人間というのはどんなものにも感情移入ができてしまう。たとえ二次元美少女だろうが、活字の連なりでできあがった登場人物だろうが、ほんものの人間に対するのと寸分換わらぬ、いや身近な人間に対する以上の感情を抱くことができてしまうのです。そこにキャラさえきっちり立っているのなら。
 ここで想い出すのがかのチューリングテストというやつでして、人工知能がほんとに&lt;智能&gt;を持っているかどうかを人間に判定させるというのはじつに正しい。&lt;智能&gt;あるいは&lt;意識&gt;というのはシステムの中枢にあるのではなく、人間に対するインターフェイス部分に宿るものだとあたくしは想っております。もうちょっと穏当な云い廻しをするのなら、人間の感情移入を喚起せしむる能力が&lt;智能&gt;であると考えています。チューリングテストは間接的な判定法ではなく、直接&lt;智能&gt;を検出するための最適な方法であると。検出どころか、受け手との共犯関係がないとインターフェイスである&lt;智能&gt;そのものが発生しないのです。むしろ、受け手の比重のほうが大きい。
 つまりは&lt;キャラ立ち&gt;の問題なわけです。ためにいまAIの研究にもっとも必要とされる人材は技術者ではなく萌えキャラ造型能力のあるヲタク作家であるとあたしは真剣に考えます。人工知能研究の現状について詳しくはないのですが、キャラ造型研究(とりあえず表情をつけたとかいうレベルではなく、最高度に感情移入を喚起せしむる、つまりヲタク萌えキャラレベル)が中心になったとはあまり聴かない。商品であるはずのロボットでさえあの酷さで、またあんなものに悦んでいる受け手までいる始末で、推して知るべしでありますが。相澤次郎博士の時代から確実に退化しております。
 これは絶対的に間違っている。&lt;キャラ立ち&gt;はたんなる実用的な人工知能に必須な機能であるだけでなく、人間の認知を解き明かす鍵が感情移入にあることを理解していない研究者がコンピューターの研究をしても人間の認知の研究をしても無意味なんですから。&lt;キャラ立ち&gt;というのは認識を誤魔化すための小手先の技術ではなく、人間の根幹に触れる何かであるのです。
 はたまた、感情移入が人間の根源的な能力とするなら、チューリングテストで判定されているのは壁の向こうのコンピューターであるのか、それともこちらに座っている自分であるのか、なかなか微妙な問題ではあります。
 さらにチューリングテストの面白いところは人間とコンピューターが1対1で對峙するのではなく、壁の向こうに人間とコンピューターがいて、壁のこちら側の人間が二者の優劣を見極めるということです。これはやっぱりコンピューターではなく、ふたりの人間が試されている。
 判定者がコンピューターを人間と感じて、人間をコンピューターと感じたとすれば、そこにいるふたりの人間の&lt;人間性&gt;はどう判定されたことになるのか。おまけにチューリングのルールでは壁の向こうの人間にコンピューターのモノマネ(非人間化)が要請されていて、この演技にも関わらず人間と見なされたらこの人の&lt;智能&gt;はどう判定されたことになるのか。まったく、どう転んでも皮肉なようにできています。
 チューリングさんよ!あんたはなんちゅー恐ろしいテストを考え出したんだい!!そこまで人間に絶望していたのか。それとも、そこまでして深淵を探索、あるいはどうしても機械で甦らせたい人間がいたということか。いずれにせよ人間の根幹を完璧に見抜いていたのではないかと想わされます。

 これからはまったく新しい戦争がはじまります。参戦者だけではなく判定者さえもがつねに判定に晒される&lt;チューリングテスト戦争&gt;です。武力や情報戦の勝敗は項目のひとつに過ぎない、人間の本質自体を試す設問の絶え間なき応酬となる&lt;無限チューリングテスト回路&gt;形成です。
 欧米とアラブの各国首脳はある程度理解していて、慎重にテスト準備を進めています。いまさら軍艦を出せばいいと考えている日本政府だけが判っていない。ここで求められる戦力はたんなる情報操作のエキスパートではなく、萌えキャラと萌えストーリー造型能力のあるヲタク作家なんですが。判定者として求められる能力もヲタク魂であるのです。なんせ、アラブ人以外からイスラム原理主義に染まる輩が出てきたり、さらには新たなるインターフェイスを搭載した新たなる勢力が現れても不思議ではないわけですから。
 いや、戦争だけではなく、いまの世界は経済も技術もすべてチューリングテストで成り立ってきています。絶望書店日記でも繰り返し説いているヲタク心が問われる世界です。人間の歴史は情報化時代からさらに人間の本質に関わる次の段階に入ろうとしております。
 絶望書店主人が正しきヲタク魂にこだわる由縁であります。

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 ・・・・・・てなことを書こうかと想っていたわけですが、あらためてウェブ上を観て廻るとむしろアラブ側に同情的な人のほうが多かったりする。話の前提が崩れてしまったのでやめたわけです。まあ、それはそれでチューリングテストに絡められるわけですが、流れがぐちゃぐちゃしてきますからな。
 ウェブによっていろんな意見が視えるようになったのは結構なことですが、どうもすっきりした物云いがやりにくくなったという弊害もあるような。いや、上の文章だって充分ぐちゃぐちゃしておりますが。やっぱり、書かないと判断したのにはそれなりの理由というものがございますな。
 ほれ見ろ!プレッシャーなんぞに屈するとろくなことにならんではないか。
 「だって、地球は絶望的に丸いんだもん」というのは結構いい豫言の言葉でありました。これだけでやめておくんだった。


2001/6/29  絶望石はじめました

 坂本正治氏のウェブ店舖では石も売り出すそうです。それを識って、あたくしも石を売り出すことを想いつきました。
 坂本氏の店は厳しく吟味した美術品としての美石をあつかうようですが、当店ではそのへんで適当に拾ってきたなんの変哲もなき小石に&lt;絶望石&gt;と命名して販売いたします。
 注文を出されてから、100円以上のお好きな金額をお振り込みください。できるだけ面白味のない形象の石ころを調達して発送いたします。なお、定形外郵便は最低120円掛かるため、それ以下の金額をお振り込みになられた場合は、砂粒のようなものになりますので豫めご諒承ください。
 この&lt;絶望石&gt;を手に邪心無く不乱に願えば、たちまちにしてどなたでも深き絶望が味わえるという效能が込められてございます。
 この手の代物はより多くの金額を払い込むほど、より多くの效能が顕れることが心理学上も証明されておりますが、ひとたび夢から醒めるや效能は雲散、倍する反動さえ生ずることもまた宇宙の摂理でございます。&lt;絶望石&gt;の優れているところは、冷静に考えるようになる刹那、さらに深い絶望が襲ってくるところにございます。
 つまり、皆様方の期待を絶対に裏切らない商品であると、絶望書店が自信を持ってお贈りいたします。

 本とは何ぞ?! 最終章に記したような塩梅で世界最初にして唯一の採算の取れているウェブマガジンとして皆さまにご愛顧いただいている絶望書店といたしましては、コンテンツ事業の新たなる道を開闢することこそ第一人者としての使命ではないかと、ここに想い到った次第でございます。
 ウェブ上に限らずコンテンツ事業の現在急務の難題は、形無きものでいかに銭をふんだくるかという点に集約されております。
 皆様方は必ずしも物質以外に金を払うのを惜しんでいるわけではなく、なんらかの物質交換儀式を欠いたまま料金だけを払う行爲に照れておられるだけであると、絶望書店主人の卓絶した理論に裏附けされしあまりに鋭い洞察力は絶望書店開店以前より喝破いたしておりました。
 この素晴らしき炯眼は、たびたびお布施をうながす文言を繰り返し発してきたにも関わらず、実際にお布施を施した方がたったおひとりしかいなかったという事実で証明されております。&lt;絶望石&gt;を介在することによって、爾後皆様方もなにほどの憂いなく気持ちよくお金を払うことができるようになるわけです。
 もとより、絶望書店に於きましては本にその媒介の役を担わせてきたわけですが、本はやはり好みということもございますし、また種々の制約もございます。&lt;絶望石&gt;であるならば一切の制約なく、いくつでも購入することができることでしょう。なにせ、諸氏が野外に放置すれば瞬時にして自然石へと還る、地球環境を100%損なうことのなき比類なき完全商品でございますので。
 根源的再編成が迫られているあらゆる分野のコンテンツ事業の将来は、まさしくこの&lt;絶望石&gt;の行方如何に掛かっていると申せましょう。

 もちろん、介在物なき交換を爲さんとす勇気ある諸氏のお布施もこれまで同様にしてお受けいたします。お布施をした上で絶望書店の画面を一心不乱に拝めば、深き絶望を味わうことができるでしょう。
 また、&lt;絶望石&gt;を握り締めながら絶望書店の画面を拝めば、さらに格別の味わいもあるはずです。
 其の時こそ、本を買って読むとはどういうことなのか、内容と物体にはいかなる相関が存すのか、畢竟、本とはいったい何であるのかを読み解くことが能うと、本の悉くを考えに考え尽くした絶望書店主人はここに宣するものであります。


2001/6/27  坂本正治を読みたまへ

 ウェブと印刷媒体とを問わず、現在もっとも優れたる文章であると絶望書店主人が認むるところの『屑籠通信』が、ようやくまとめてアップされました。なかなか広く皆さまの眸に触れるようにならないので、よっぽどあたしが勝手にアップしてやろうかしらんと想い詰めておりましたところでもあり、まことに結構なことではあります。
 本とは何ぞ?!に記したような塩梅で一年以上前に発見してからずっと感心させられてばかりで、「悔しいな何とか見返してやりたいな」とあたくしも対抗して日記などしたためはじめたのですが、どうもなかなかにしてあそこまでの境地には達せませぬ。敵はきちんと毎日書いてるのですから、最初から勝負にも何にもなってないわけではありますが。
 諸氏も絶望書店日記なぞ読んでいる暇があるのなら、あっちを全部読みなさい。

 坂本正治最初の著作である『ニューヨーク武芸帳』も読んでみることです。
 あたしも一年間探索してようやく先日一冊掘り出したところで、あんまり売れなかったのだろうと推察いたしますが、却っていまのお若い方のほうが読んでピンと胸に来るものがあるのではないかと愚考いたします。前途渺茫たる学生さんには殊に強く推奨いたします。
 いずれかの棚に並べましたので探してみてください。まあ、絶望書店のお客であればどこにあるかはすぐお判りのことと存じます。図書館に行ってもありますし。

 なにやら、お店もはじめられるようで、ほんとは開店してからリンクを張ろうと想っていたのですが、なかなか幕が上がらないので痺れを切らしたような次第です。
 ワントウワン・マーケティング協議会とかいうののスペシャルレポートでも、あたしが識る限り唯一読むに値する瞠目すべきメディア論やマーケティング論を展開されているのに、実践となるこの店舖はずいぶんとまたギャップがあるのが逆に興味を掻き立てるところです。
 いや、まだ準備段階のこととて評価は早いのですが。この店の挫折とその後の成長具合も、メディアと情報の流れに格別の執着を持つ絶望書店主人の大いに注視するところであります。
 文章はあちらのほうが優れていても、メディアとしてはまだまだ絶望書店のほうが上という余裕であります。もっとも、絶望書店以上のメディアなどというものをあたしくはついぞ観たことがないのですが。
 そろそろ顕れてくれてもよさそうなもんだとは想っております。


2001/5/29  ツタンカーメン王のマメ

 あたしはヒストリーチャンネルが好きでよく観ています。伝記物も戦記物も、もちろん歴史物もじつによくできてておもしろい。ただ、歴史物の最期に吉村作治が顔を出してきて、学者でなくとも云えるようなどうでもいい感想を述べるのだけはいかがなものかと想っておりました。
 先日そんな吉村作治の話をぼーと聞いてると、ツタンカーメンの墓から見つかり発芽に成功、栽培されたと称され広まっているエンドウ豆はまったくの出鱈目であると云っておりまして、おっと想いました。あたしもあのツタンカーメンのエンドウ豆の話は胡散臭いと常々感じていたのですが、はっきり嘘だという説明を聞くのはこれが初めてのことでした。
 吉村作治によるとこの豆を増やして配り始めたアメリカのおばちゃんが冗談を云っただけのことで、日本では弥生時代の遺跡から出たハスの種の発芽に成功した実例があるため広まったのだろうということです。
 ほんとだとしたら、このアメリカのおばちゃんは大したハッカーで、このツタンカーメンのエンドウ豆は見事なバイオウイルス(変かい?)となるわけです。
 もっとも、吉村作治が嘘を云っている可能性もありますが。この人は「ブードゥー教がどうして蛇と虹を結びつけるのか判らない」とか、あんたほんとに考古学者かいと首を傾げるような発言が多いのですが、これが嘘だったらなかなかやるなとあたしは見直すんですが。
 また、あたくしが嘘を云っている可能性も大いにあります。この人の記憶はまことにあてにならず、いま聴いたことも忘れていて、あたしはまったく信用しておりません。そもそもツタンカーメンの墓からエンドウ豆なんて出ていないとかいう話も云ってたような気もしますが、どうにも自信がありません。
 ウェブで検索してみると500ほどのページが出てきて、皆さん何故が素直に信じて一様に歴史の雄大さに感激し、あるいは一生懸命栽培して配ったりしています。嘘だと云う方はひとりも見つけられませんでした。とにかく豆は順調に増殖しております。
 ためしに英語で検索すると日本人が書いたページばかりで、日本だけで広まっていることだけは確かなようです。

 出鱈目な話に騙されてる莫迦な人たちであることだなあということを云いたいのではございません。その逆です。
 ウェブを観て廻ると、日々のくだらない事件や政治なんかにくだらない感想を綴ったようなものばかりでして、愚息もげんなりしてきます。それに比べるとツタンカーメンのエンドウ豆の話は遥かに上等であると想います。あたしはと申しますと、林檎の新製品情報に一喜一憂する情けない状態に十年ぶりにハマっておりまして、とても他人樣のことをとやかく云えた身ではございません。
 いくら何でももうちっと大きい物語が欲しいものです。こりゃ不況にもなりますわな。
 ツタンカーメンのエンドウ豆は、喰えば普通のエンドウ豆よりうまいに違いありません。たぶん、あたしも喰うとそう感じると想います。よくよく考えてみますと普通のエンドウ豆だって古代から綿々と連なっているはずで、いや、何千年も墓の中でただ惰眠を貪ってただけのツタンカーメンのエンドウ豆なんかより遥かに悠久の歴史を伝えるもののはずなんですが、やっぱりツタンカーメンのエンドウ豆のほうがうまいと感じると想います。
 これが商売の基本というものでありますな。メディアの基本でもありましょうか。とくに本なんかはこういう力がすべてのはずなんですが。

 噫、ツタンカーメン王よ。畢竟、希望のともしびは過去と死者の国にしか存しないのでしょう哉?答え賜え。ツタンカーメン王よ・・・・

  2003/1/28  ツタンカーメン王のマメ2も参照のこと。

 
 
   



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