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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2001/3/5  君よ!少年犯罪を識っているのか!?

 少年犯罪のデータベースを構築せよと呼びかけても誰もやらぬようであるし、もっともしっかりしたデータを載せて唯一の頼りとなっていた松江警察署の「少年犯罪を考える」のページまでいつの間にか無くなってしまい(どうなったのかご存じの方はご教示を)、しようがないので当方が新聞記事をもとに1964年分だけ纏めてみました。こちらです。
 たとえば「杉並切り裂きジャック」は性器を切断するなどの小学生男児だけを狙った犯行を11件起こしたうえに警察や被害者宅につぎつぎと挑戦状を送りつけ、また少年の模倣犯と想われる子供へのいたずら暴力事件が同時期に10件以上起きたのですが、このリストではひとつにしています。また、ひとつの事件にひとつの記事だけということはありませんから、いまほど扇情的な報道ではないにも関わらず、少年犯罪がほんとに連日紙面を賑わしていたわけです。
 よくもまあ、これだけのことを忘却することができるもんです。

 リストの「中学生風」などという表記は結局捕まってないからはっきりとは断定できないわけですが、目撃者がいれば概ね少年かどうかくらいは判断できますな。しかし、都立大学法学部教授の前田雅英という方は法律の研究者なのに非常にさばけておられるらしく、そんな目撃証言をひとつひとつ精査などしないで、最近は検挙率が半分に減っているので統計を2倍に&lt;補正&gt;すればいいじゃないかと、小学生にも判り易い画期的な理論を提唱され、その2倍にした数字をもとに現在の少年犯罪数は戦後最高と仰っておられます。
 きっと前田先生の天才的な頭脳は事例のひとつひとつに当たることなく数字だけで少年犯罪を研究する画期的なメソッドを編み出されたのだろうと愚考いたします。でも、凡夫がこのリストを見ると、どうしても2倍じゃ足りないような気がするんです。先生!素晴らしい理論によってもっともっと&lt;補正&gt;してえ!!

 そんな前田先生の&lt;補正&gt;がない統計では、この1964年から現在は凶悪事件で5分の1くらいに減ってしまったことになっております。確かに数はそうなんですが、すべての記事に眼を通した実感といたしましては、やはり&lt;補正&gt;を入れたほうがいいような気がいたします。なにせ、あまりに残虐あまりに訳の判らん事件が昔は多く、いまの若いもんには少なくとも10倍以上は頑張ってもらわないととても追いつきません。まあ、リストを見てください。
 現在の50代60代はもっとも数多くの殘忍極まる少年犯罪を犯してきた世代なんですが、いまでも重大な犯罪はだいたいこの世代が請け負っています。犯罪だけではなく、世の中を滅茶苦茶にして責任も取らず、問題をすべて先送りにして若い世代に押しつけ、しかも、何か若い者のほうが悪いと本気で信じているらしい。
 この世代はいまと違ってまともな躾を受けておらずきちんとした社会的規範を身に着けていないということがあるのですが、どうもそれだけじゃなく、これだけ切れやすいのは脳になんらかの障碍が生じているのではないでしょうか。
 DDTなんかをまともに頭からかぶっていますし、その他もろもろの有害物質を大量に体内に取り込んでいる人類史上例を見ない大規模な人体実験を施された世代です。何の変異も生じないなんてことがあるはずないのです。学者の皆様にはぜひとも研究していただきたい課題です。世界的に注目されますよ。

 また、この1964年をピークとして少年犯罪は急激に減少していくわけですが、最近ジェイコム君のおかげで昔のテレビ番組を観る機会の増えた当方には、どうも子供向けのメディアに残虐シーンや性的シーンが増えるに従って子供の暴力性が減っているように感じられます。『カムイ外伝』なんかいま観ても凄まじいですからな。
 増加する一方だった米国の少年犯罪も5年ほど前から減少に転じたのですが、ゲームや日本のアニメによって子供たちが暴力シーンに触れる機会が増えたことと関連があるのかも知れません。
 少なくとも、残虐シーンによって子供の暴力性が増すなどという説よりは、こちらのほうが統計に合致しております。なぜ、こんな判りやすいことに誰も疑問を持たぬのでしょうか。学者の皆様にはぜひとも研究していただきたい課題です。世界的に注目されますよ。

 それにいたしましても、なにゆえ当方のような者がこんなリストを作成しなくてはならぬのでありましょうかな。
 新聞社はもうそろそろいいかげん&lt;便所の落書き&gt;を刷り続けることはやめて、過去のデータをきっちり整理してもらいたいもんです。同じ落書きでも昔のほうが幾らかマシで、ネットのない時代のものはなんせ代わりがありませんから、こうして役にも立ちますからな。
 もっとも、このリストにあるような内容は全部よそからもらってきたもので、昔の事件さえも識らずにジャーナリストとか名乗っている&lt;便所の落書き&gt;書き屋さんの低脳さが反映されていないからでもあるんですが。
 とりあえず、自分とこの社員には自分とこのバックナンバーくらい全部読ませる教育はやりなさい。判りましたネ。

 附記
 サルベージされた「少年犯罪を考える」のミラーサイト!!とくに時代順のデータは順番に読むように!!昔は酷い事件がじつに多い!!
 また消滅するやも知れぬので、いまのうちにデータを保存し、受け継いでいくように!!


2001/1/28  寿司屋のアナゴ

 近頃は回転寿司が主流になったせいかあまり聞かなくなりましたが、「寿司屋のアナゴ」なんて云い廻しがありました。手間が掛かっていて味の違いのはっきりするアナゴなんかの煮物を食べると、その店の良し悪しが判るとかいう蘊蓄です。なんでも昔は玉子だったのが、よその業者から仕入れるようになったためアナゴに変わったのだそうで。
 あたしが不思議だったのは、店の良し悪しなんてのは普通のスシを食べれば判るはずで、普通のスシを食べても味の違いが判らない味音痴の方が、その店の腕を識ることにどのような意味があるのだろうかということでした。

 こういうよく判らないモノサシを持ち出す方は、本の世界にも結構います。
 「句読点が多いと悪文」だとか「漢字が多いと悪文」なんて云う方もいます。文章の良し悪しなんてものはその文章を読めば判るはずで、句読点や漢字の数なんていう学者犬でも判るような問題に還元する必要はないはずです。読んでも判らない文章音痴の方には、そもそも文章の良し悪しなんて関係がないはずなんですが。

 「オリジナリティー」なんてことを云う方もいます。
 作品の良し悪しはその作品を観れば判ることで、どれとどれが似ているかなんて警察犬にでも判る問題をわざわざ出してくるのは、つまり読んでも判らない味音痴だという告白なんでしょう。
 「リアリティー」なんてのも似たようなもんだと想います。作品の良し悪しが判らない味音痴の方が、しょうがないからすぐに観ることのできる身の回りの<現実>とかいうのと照らし合わせて似てるか似てないかという吟味をするのでしょう。警察犬並みの頭でも、いや、近所を散歩していて<現実>に通じているつもりのそこらの飼い犬でもできることですから。
 そもそも、こういう味音痴の方々は本なんて読む必要がないはずなんですが。

 しかし、寿司屋というのは味音痴なのに味を語りたがる不思議な方々で保っているところもあります。
 こういう方々には「テーマ」だとかなんだかの判りやすい味のネタを、業者からでも仕入れて出しておけばいいのです。いまだに最初に玉子を食べるのが通だなんてことを云う方がいて、このような方々にはどうせ何にも判ってないのですから。
 「オリジナリティー」や「リアリティー」なんてことを云う方がいれば、「ああ、味音痴なのに精一杯背伸びしてこの業界を支えてくれてるんだな」と適当にあしらって、本当の食通には本物の味を出していただきたいもんです。
 創り手が「オリジナリティー」や「リアリティー」が味の決め手なんて想い込むようになったらお終いです。くれぐれもそんなことのなきように願いたいものです。


2001/1/19  ニジンスキー式読書法 2

 ニジン式読書法の流体速度が遅かったようなので、倍の速さにしてみました。
 うちのでは充分に速いのですが、このプログラムではマシン速度によって違ってきたりするもんなのでしょうか。動く原理がまったく判っておりません。
 そうそう、IE4とネスケ4以上で動作することを表示するのを忘れておりました。読むことの適わなかった諸氏には、大変失礼いたしました。


2001/1/10  ニジンスキー式読書法

 本とは何ぞ?!の最終章にある電光掲示板に流れる『ニジンスキーの手記』とは、はたしてどんな具合のものであったのかを皆様にイメージしていただこうと、JavaScriptで擬似的に再現してみました。
 やってみると、これはモバイル機器で文章を読むにはたいへんよろしい方式であるような気がしてきました。ちっさい画面でもおっきい文字が表示できますからな。
 ニジンスキー式読書法(略称・ニジン式、もしくはニ式)と命名し、電子本の表示方式の世界標準として皆様で大いに広めなさい。どうせ、電子本なんか大して普及しないんですから、こっちのほうが主流になる可能性は何人と云えども否定はできますまい。
 カラオケの歌詞などはモバイルでもこのような表示をやっているようですが、読書ということでは無いんではないかと愚考いたします。(当方はモバイルにも電子本にも疎いので、もしやすでにあるならご教示を)
 ニジン式の画期的なる新機軸は、流体速度を自在に操れることにございます。今回はデジタルで数段階しかありませんが、アナログでボタンを押す力の具合で無段階に調節できれば、各人の読書速度の波にぴったりと追随し、なかなか気持ちがいいような気がいたします。まさしく、インタラクティブという奴でございます。電子本にもっとも欠けている気持ち良さを付加した、まさにこれぞ未来の読書の姿であると、皆様も感服しきりでございましょう。(当方はモバイルにも電子本にも疎いので、もしやすでにあるならご教示を)

 近頃は詩の朗読会なるものが巷で流行っていると漏れ聞きますが、そんなのよりも大型のディスプレイにニジン式で流して大勢で読む方がよろしいような気がいたします。東京ドームなんぞでやらかしてみてはどうでしょうか。この方式で人々を惹きつけられるものだけが本物の文章であると、あたくしはここに断言いたします。『ニジンスキーの手記』はまさしくこれであります。
 皆様方も一度、ご自分の文章をニジン式で流してみられてはいかがなもんでございましょう。はたして人前に晒すほどの文章であるのか否かかが判定できるのではと。
 あたしくはそんな大それたマネは死んでもやりませんが。

 今回は初めてのホームページ講座のサンプルを元にさせていただきました。切り張りして変数らしき処を書き替えただけです。
 JavaScriptは今回がまったくの初めてで、ウェブ上の入門ページを30分ほど読んだだけで、そもそもプログラミングはまるっきりのド素人ですので、もろもろの不具合はひらにご容赦を。
 ”else”を入れると何故か止まってしまうので、いささかみっともないことになっております。JavaScript以前に、なんか根本的に判ってないようでございます。

 速度は標準も入れて6段階で、逆走もいたします。左下の目盛りにカーソルを合わせてください。クリックはしないように。「消」にカーソルを合わせると目盛りが消えますので、目盛りの位置をだいたい覚えておき、ニジンスキーに集中するため必ず消してから使用してください。ネスケは動きがかなりぎこちないので、できればIEで。
 それではこちらから、いざ!輝ける未来の読書へと誘わん。
 あー、そこの君、あまり真剣には読まないように。


2000/12/23  万博を記録せよ!

 おとといBSでやってくれたおかげで、やっと記録映画『日本万国博』を観ることができました。これで何となく少しは全貌が判ったような気が。
 大阪万博には『日本万国博覧会公式記録』という恐ろしく分厚い3巻の本が残っているのですが、これがほんとになぁあああぁんにも書いていない。太陽の塔の内部図解でさえ、アムロが水爆の弾頭を切り離すときに観せられた図以上に簡単な落書きみたいなのが一枚あるだけで、むしろこれほどの無内容でよくぞこれだけ膨大なページ数を埋めたもんだと編集者の力量に感心します。『公式記録写真集』もいったい何を写そうとしたのかよく判らない写真が並んでいて、とにかく記録としてはウェブ上に数多くアップされてる家族写真ほどにも役立ちません。
 数あるほかの本をいろいろ読んでみても、どうももひとつ判らない。
 山田洋次の『家族』とか『ガメラ対ジャイガー』とか、大阪万博が出てくる映画も観てみましたが、やっぱりどうもよく判らない。反対に「何でガメラはソ連館があんなに好きなんだろ」とか疑問が増えるばかりです。ふたつともむしろ万博を映さないように工夫しているような印象さえ持ちます。ソ連以外の許可が降りなかったのでしょうか。あんな公的な建物のデザインに個別の権利がやっぱりあるのでしょうか。
 エキスポランドの横っちょにある記念館では記録映画の1/10ダイジェスト版が毎日上映されているのですが、どうも肝心な処が切られてるし、画面が暗くてよく判らない。なんだか皆さん正面から捉えることを避けているような気がしてきます。
 そもそもは我が家が一家揃って根性なしで、万博は一回しか行かなかったし、日本館で3時間並んだのにほとほと懲りてあとは観光地のおみやげ屋と変わらないようなマイナーなパビリオンしか廻らずに、ほとんど万博を避けてしまったのが一番悪いのですが。
 三十年目にして、これでようやく僅かながらも近づけたような心持ちです。
 堺屋太一さんもインパクなんかやるくらいなら、その予算でウェブ上に大阪万博を完全再現!とかしてくれたらよさそうなものを。唯一のインパク成功のカギだったのに、誰も云い出さなかったのでしょうか。堺屋さんもほとんど記録を残していないのは、やっぱり避けているのでしょうか。

 あんな記録本を残す政府に頼ってもしょうがないですが、やはり関係者が生き残っているいまのうちに完全な立体記録を残しておく必要はあるんではないかと愚考いたします。細部まで完璧なるバーチャルリアリティの大阪万博です。
 万博の時代は終わったなんて云う方がいて、それはその通りでもあるんですが、違う使い道もあるんではないかと。少なくとも大阪万博には。
 梅棹忠夫や小松左京の影響なのか、はたまたいろんな流れが交差して均衡してしまった時代に偶々巡り逢わせてしまったからなのか、歴代の万博のなかでも大阪万博はバランスが非常によく取れています。なんだか科学や未来のイメージが突出していたように記憶されていますが、実際には宇宙を含めたあらゆる地域、古代から未来までのあらゆる時代、科学から美術からスポーツから宗教まであらゆる文化、明らかに<綜合>ということが目標になっています。お祭り広場では連日世界各国の歌や民族舞踊が繰り広げられておりましたし。
 それらを再現しただけでもあらゆる情報を集めた、優れた百科事典になります。
 あらゆる情報を総合した完全な百科事典を創ろうという企ては古代からあり、最近では荒俣宏や高山宏なんかが盛り上げておりましたが、そこに出てくるメタファーは本であったり図書館や博物館であったりしました。いや、万博であったりしても、大阪万博の話は出てこないのです。ダブル宏の世代は大阪万博を無視したいという心情が働くようです。
 あたしは本や図書館や博物館や歴代の万博よりも、大阪万博こそが完全百科事典を体現するに相応しいと考えます。前年のアポロ月着陸で頂点を極めた科学と、公害などによって出てきた科学崇拝への反省が対峙し、未来への興味と伝統文化見直しが対峙した綜合的な万博、とくにメディアという面で究極に達しており、ウェブのあるはずの現代はむしろ後退しているのではないかとさえ想います。来場客さえも、70年ファッションのモデルとなりますし。
 最近はバーチャル博物館なんてものがいろいろあるようですが、展示物だけではなく建物や会場そのものが興味の対象となり、イベント性があって180日の会期という時系列順にも体験することができ、何よりも人々を惹き附ける力が違い過ぎ、比較にもなりません。端的に云うとヲタク心があるのです。メディアとして優れている最大の要因であります。太陽の塔の目玉に居座った親父がいるだけでも、ほかの薄っぺらなバーチャル博物館はまったく勝負になりませんな。

 できればウェブ上で皆で協力しながらCGで再現し、映像なんかも当時のものをそのまま流すのではなくCGで再現し、個々の展示物すべてに詳細な説明文やリンクをつけたりしたら、Britannicaなんかよりそうとう結構なものになります。学校なんかに通うよりはこんな場で競い合うほうが身に付くんではありますまいか。ウェブ大学のモデルともなりますな。
 想うにCGなんかをやってる方で、絵は描きたくてしょうがないけど自分のテーマが見つからないのでしかたなく美少女キャラなんかを描いてる人は多いんじゃないかと愚考いたしますがいかがなもんでしょうか。また、ありあまる知識を無駄に持て余している人も多いかと存じます。
 これらの方々をバザール方式で結集したら面白くなると想うんですが。日本型のオープンソース運動としてはこういう方向のほうが向いているんじゃないかと想います。それともOSなんかを創るほうが面白いんでしょうか。立体的な完全百科事典を、つまりは宇宙を創るほうが面白いんではないでしょうか。
 PS2なんかもゲームではなくてこんなソフトのほうが向いてるように想います。時代そのものが、もうゲームでもないような気もしますが。ウェブ上の商売も、ネット対戦ゲームやタダでウェブスペースを貸してコミュニティづくりをしたりするより、こんなやり方で集客するほうがいいような気もします。少なくとも昨今のインチキ臭いベンチャーよりは、まだしも何とかなりそうなビジネスモデルではないかと愚考いたします。パビリオンを主催した企業や各国観光局なんかから金も引き出しやすいでしょうし。べつにビジネスにすることもないのですが、権利関係に金が掛かりますかな。わざと外した形にする手もありますが。
 誰かやりなさい。小松左京さんなんかいかがですか。誰も全体を体験できなかった大阪万博をそういう形象に結晶させるのは、たんなる再現ではなく完成と云えるのではないでしょうか。

 絶望書店とは独りでゼロからこんなことをやろうとしている試みであったのですよ。識ってましたか?

 
 
   



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