少年犯罪データベースのkangaeru2001氏が管賀江留郎と名前を変えまして、『戦前の少年犯罪』という本を出されました。
戦前はいまよりも遥かに異常で理解不能な少年犯罪が続発していたことがよく判りますが、そのほかにも戦前の時代というものがよく判るようになってますので、少年犯罪に興味のない方でもおもしろく読めるのではないかと想います。
たとえば、二・二六事件のリーダー磯部浅一の特異な人間性から、二・二六事件はニート犯罪であることを喝破しております。絶望書店日記の私の大義を否定してッ!!などをおもしろく読まれたような方はぜひにも読むべきであるかと。二・二六事件の大義とはなんであったのか、あるいは大義なんてものは誰かからあたえられるものではなく、またそもそも天下国家を良くしたいなんてことではなくて、己のやむにやまれぬ欲求を肥大化させてより大きなものへと投影したものだと理解できるはずです。
三島由紀夫の理想とした、己の精神のみによって己が拠って立つ世界全体のほうを構築してしまうような、磯部浅一のニートとしての頭でっかちの偉大さが顕されています。唯識なんてものよりももっと遥かに積極的な、こちらから打って出て組み替えてしまう、支配し征服する力としての世界認識です。しかも見事に失敗してしまうから、よりいっそうに世界と己が実感できてしまう。
己の構築した物語のなかに入り込んで一緒に滅ぶという、物語創造欲に取り憑かれた芸術家の究極の理想形態がここに現出するわけです。
旧制高校生の話なんかもおもしろいでしょう。ちょうど中曽根康弘元首相なんかが旧制高校生だったころに、最近の学生は教養がなく知能が低下していると嘆かれてたわけです。ここまでまとまった形で旧制高校生の低脳極悪ぶりを暴いた本はこれまでなかったのでないかと想います。いままでいかにバーチャルな現実と幻想を混同するような旧制高校生像が流布していたのか、驚くべき内容です。教養とはなんぞやということを考えるためには必読です。
戦前のひどさだけではなく、あの時代の自由奔放さも如実に判るようになっています。
管賀江留郎氏も云っているように、不思議なことにこれまで誰ひとりとしてこんな基本的なことを調べようともせずに、なんの根拠もなく日本について論じていたわけです。戦後に数多く出された日本論のたぐいはすべて空想と現実を混同した贋物だったわけです。
そうなると、はじめて確かな根拠を示したこの『戦前の少年犯罪』という本は、戦後もっとも重要な本と云っても過言ではないということです。いや、戦後唯一重要な書であると云うべきでしょう。戦前について明らかにしたことではなく、戦後の、そして現在の言論界の低レベルぶり、根本的な教養の欠如を明らかにしたことにおいて、そうであるのです。
現在の知的退廃について漠然と感じているような人も、ここまでの実証的データによって裏付けされていないのなら、それは検証を経ていないたんなるイメージに捕らわれているだけなのは同じことで、結局は知的怠惰集団の一員に過ぎないのです。自分は判っているように感じている読者にも、その知的姿勢を鋭く質す恐るべき本なのです。
これは戦前の書ではなく、現代の問題点を浮き彫りにしたまさしく現代の書であります。現代においてこそ読まれるべき書であります。
みなさま方もぜひ一読されんことを、この絶望書店主人からも強く推奨いたします。
『戦前の少年犯罪』 管賀江留郎・著
昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害
昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ
昭和17年、18歳が9人連続殺人
親殺し、祖父母殺しも続発!
現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、
恐るべき子どもたちの犯罪目録!
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
発掘された膨大な実証データによって
戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに
妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!
目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代
川上未映子の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』をようやく読んだ。
ウェブ上を見てみると町田康の名前と並べて色々云っている人が結構いて、大阪弁というだけで町田康の亜流みたいに考えるというのは、いくらなんでもおまえらこれまで本というものを読んだことがないのかという感じで、大阪言葉の多弁なる文章遣いなんて昔からいくらでもいるだろうと云いたくなりますが、とくにこのふたりの作品は出来があまりに違いすぎるのであたしには信じられないことではあります。
町田康のきっちり造り込まれてどこを切っても均質なよくできた工業製品というか、読めども読めども同じ調子で、金型に流し込んでがっちゃんと打ち抜いただけのどこを削っても赤一色のプラッチックでできてるグリコのおまけのクルマのおもちゃみたいなもんがあらかじめきっちり計算され尽くした道順を忠実に辿ってコントロールされた速度を決して踏み外さずに見事にぴっちり守りながら目的地に間違いなく到達するが如き在りようと、未映子の歪で不揃いで継ぎ接ぎのうえに流体でさえあるどろどろの塊が形象を変転させながらどこに飛んでくのかよく判らんままに蠢いているのとはあまりに対極にありすぎる。
町田康というのは古今の文学史のなかでもあれほど破綻のない展開と均質な文章を駆使する作家は他に例がないのでないかと想えるほどで、手法が究極まで洗練されて確立されてるハーレクインロマンスなんかでももうちょっとノイズが紛れ込んだりして面白味もあるのに、あんなにどこを読んでも同じ調子で単調なもんを読んでる人はいったいなにが面白いのだろうか、それ以上にあんな自動機械が書いてるようなもんを書いてていったいこの人はなにが面白いのだろうかとあたしなんかはなんとも不思議に感ずるのですが、まあそれは好きずきなうえに大きなお世話というもんで、ともかくあたくしはどうせ読むならなんだか判らないどこに連れてってくれるのかまったく先の読めない読んだことのないもんを読みたいという生来の嗜好がございまして、未映子だ未映子だとこの数年ひとさまに笑われながらもきゃんきゃん嬉しがって吠えてるのはここんところがミソなのでありますね。
掲載の早稲田文学復刊0号にはこの『イン 歯ー』が<剣玉基金>とかいうのを受けたとありまして、早稲田文学を私費を投じて長年ひとりで支えていた平岡篤頼がしばしば口にしていて墓碑にも刻まれてる「文学は剣玉である」にちなんでいるとのことで、しかしこの言葉は文学の本質を突いた実に素晴らしい文言ではあるな。
平岡は「作家は頭だけで考えて作品を生み出すのではなくて、心身の全体を使った労働の形で、作品を誕生、あるいはほとんど恋愛に近い読者とのコミュ二ケーションの発生に加担するのです。」というような意味で剣玉と云ってたらしいけど、もうちょっと単純に大きい皿小さい皿中くらいの皿の間を飛び跳ね、先っちょのとんがりに突き刺され、あるいは玉の上に本体(あれはなんてゆうんやろと調べたら<剣>というのか先っちょは<剣先>というのかなるほど)を載っけたり、奔放に飛び跳ねる動的な不定形の在りようとしてこの「文学は剣玉である」というのは川上未映子の作品にこそふさわしい言葉。
いま噂が漏れ伝わっている賞なんかよりも、この<剣玉基金>の第一回が川上未映子初の小説と謳われてる『イン 歯ー』であったことは、この廃墟と云うにもあまりに渺茫と何もない地平がただ広がっている領域にたったいまゼロから未映子が文学というものを復活させようとしている門出においてこれ以上のはなむけはあるまい。
今時のゴミみたいな文芸に満足している輩はともかくとして、文学の復活に立ち会おうとしている眞の眸をもった飢え切った文学豺虎の諸子は座右の銘にして「文学は剣玉である」と朝晩唱えんといかん。それらの文学に眞の眸を具えているがゆえに飢えている者に多少は届きやすくなるという点に於いて、漏れ伝わっている候補も役には立とう。読みさえすれば、判る者にはすぐに判るし。
さても、未映子の作品は絲の切れた奔放なだけのけん玉のようでいて、しかし、確かに絲がぴんと張って玉が重力以外の力に引っ張られて中心に戻ってくる刹那が確かにある。あの絲は果たしてなんであるのか。
存在論だとか規範だとかの哲学的な命題が必ず未映子の作の根柢にはあって、怒濤の言葉の奔流に押し流されて、あるいは逆にあからさま過ぎてかその点は誰もあまり触れないようになっているのだが、やはりそれが絲となっているのだろうか。
『イン 歯ー』と前作の『感じる専門家 採用試験』では、まだ生まれていない子どもへの語りかけというのが中心となっていて、未映子ブログの大島弓子を読めないで今まで生きてきたと合わせて読んでみると、『バナナブレッドのプディング』が念頭にあることはこれ間違いなかろう。
『バナプ』は大島弓子の最高傑作であるとともに初期と成熟期を分岐する画期だけれど、大島弓子は最初からまったく同じことをやってたのに初期作品はなんだか観念的で判りずらく呑み込みにくい。それがやってることは同じなのに『バナプ』以降はすんなり頭に入ってくるようになったのは、視点が複数になったことに尽きる。それまで一人称的だったのが複数の登場人物から多角的に覗き込めるようにしただけのことですんなり頭に入ってきてあれほど感動するのに、さて『バナプ』にはいったい何が描かれているのか説明せいと云われてもこれがなかなか難しいというか洞窟に映った影とかについて漠然と語るならともかく究極的には不可能だ。これが物語というものの面白さであって、ポリフォニー理論とモノローグなんてのはドストエフスキーとトルストイを比較するよりも大島弓子の初期と成熟期を対比したほうがより物語とは何ぞやという深淵を探るにふさわしい秘鑰がそこにはあるだろう。
その大島弓子は『バナプ』を頂点としてじわじわと言葉で説明しやすいような作品内容に変容してゆき、図式的な『ダイエット』なんかに10年で辿り着いて熱死を迎えてあっさり物語を捨ててしまった。あまりに儚い10年だったと云うべきか、はたまた奇跡が10年も続くなんてまこと夢のようだったと云うべきか。
ようやくここで川上未映子の話になるわけだけど、この人の作は『イン 歯ー』なんかでも複数の登場人物が対立しているようでいて登場人物たちの区別がまったく付かないほど同一でモノローグ的かと想いきや主人公が内部分裂というか不定形でひとりポリフォニーになってるという具合で、とりあえず作者の視点なり意図なりがわやくちゃになってるので、あれだけあからさま存在論だとか規範だとか云ってるのに誰もテーマやストーリーには触れずに独特の言葉のリズム感みたいな感想ばかりになる、あるいは眞の芸術の眸のない可哀想な輩には単なる作品以前の落書きみたいなもんとしか受け取れないということになっている。
あたしには大島弓子初期のやり方のままで『バナプ』を越える作劇術になる萌芽がここにあると視ている。似たようなのに多和田葉子『聖女伝説』みたいなのもあるが、『聖女伝説』のような稚拙なもんではなくすでにして川上未映子では実はもう完成していて見えづらくなってるだけだが、これは一重に短いということが障碍になっているのであって、あのまま千枚くらいの長編にしてしまえばテーマやストーリーではなく作品総体が存在論だとか規範だとか未映子の哲学を顕現する構造体となっていることが誰でも判るようになる。要するに未映子の脳なり世界なり宇宙なりの雛型というかそのものであることがはっきりする。あたしが思考の塊を投げつけろ!だとか吹いている由縁の処ではある。
総体が剣玉の絲なのだ。「文学は剣玉である」というのはそれ以外では成り立たないテーゼなのだ。図式などに還元できるものは物語でも文学でも芸術でもない。
千枚くらいの長編に膨らませば脳なり世界なり宇宙なりそのものになるんだからポリフォニー的にもドストエフスキーを越えるばかりか、膨らまされた隙間を埋めるためにもあの怒濤の言葉責めと過剰なイメージの投げつけがより一層でカーニバル的にもラブレーを越えてバフチンも撃沈てな具合になること請け合いだから、編集者諸子は四の五の云わずに未映子を罐詰めにして千枚書かせばよろしかろう。難しいことは一切せずにあのままそのまま膨らませるのが肝要。
大島弓子が言葉で説明しやすいような図式的な処へ墮ちていった元兇のひとつは、『バナプ』以降に短篇ばかりを描いて、複数の視点を作者が自分のものとして完全にコントロールできるようになってしまったということがあるだろうし、『バナプ』の成功は長編連載であるにも関わらず先の見通しをなんにも立てないままに描き綴っていった処にもあるだろう。まあ、先の見通しがないまま突き進んでああいう具合にまとまるというのも奇蹟的で、同じことを繰り返せば同じ処まで到達するもんだとは限らないのであって、大島弓子なんかはあっさり諦めてたのかも知れんが。
ところで、あたくしはいまのいままで『バナプ』は『草冠の姫』の自己リメイクだとばかり想っていて、この駄文をその線でまとめようと念のためどのくらい期間が離れるのだろうかと調べて、こちらのリストを見ると『草冠の姫』のほうが2ヶ月あとなんですな。
ほんまですかいな。順番もですが直後にこれだけ似た作品を出すというのもどうも信じられんのですが、再録じゃなくてほんとに初出なんでしょうか。それとも、あたしがなんかほかの作品と混同したりしてるかな。手元に本がないんでどうにもあやふやですが。
この順番が正しいのなら、それはそれで誰かこのことを考察したりしてるんでしょうか。『バナプ』でポリフォニーを導入してあれだけ成功したあとに、また初期型のモノローグへの搖れ戻しがあったということなんですかね。判らん。大島弓子への謎がまたひとつ深まった。
あるいは成熟をもたらしながらも定番となって最終的にはその豊かな世界を食い尽くして痩せ衰えさせてしまうことになる<第三の視点>への抵抗を、導入した直後早速にも試みたということなのか。大島弓子初期のやり方のままで『バナプ』を越える作劇術という、未映子に視える大島崩壊回避システムを探ろうとしたのであろうか。
剣玉のバランスはかくも危うく脆く味がある。
未映子関連の絶望書店日記
○川上未映子が来た!
○思考の塊を投げつけろ!
○未映子が来る!
世の中には呆れるほど迂闊な輩がいるものでして、そいつあいったい誰だって云ったって、なにを隠そうこのあたくしこと絶望書店主人なんですが、あたくしは今日たったいま
今和次郎が早稲田大学建築学科教授だったことを識りましたよ、ええ。
いや、たぶん識っていたとは想うのですが、当店に何年も並べている大正2,5年の早稲田大学建築科事務室日誌となんも結びついておりませんでしたよ。「今」という名前は毎日のように出てくるのですが、今和次郎とは想わなかった。
建築科の全教授や学生の毎日の出欠、退出時間、成績、卒論タイトル、就職先から、帝大など外部よりの見学者名まで書き込まれて、時間割表、試験問題、理工科からの通達書、教科書の納入書など張り付けて、いやにこまごまと役に立ちそうもない情報が詰まってるなと想っていたのですが、これはつまり身近な日常を観察対象にして『考現学』をしていたんですな。
もっとも、今和次郎は書き込んだりはしてないみたいです。他の教授陣と同じく「今先生」という表記になっておりますし。尊称のないのは、三浦、新津、岩野、若木などで、この4人がおそらく事務員で日誌を書いていたのでしょう。
4人は学生のアルバイトなのか、あるいは後の「白茅会」や考現学調査に参加しているかどうかは調べておりません。
この日誌の最初の3ヶ月は佐藤功一教授のダチョウの特徴ある印が全日付に捺されていて、その期間は活字かと想えるようなきっちりとした毛筆で清書されていますが、この捺印がなくなるととたんに雑な表記になっています。つまり、この恐ろしく細かい役に立ちそうもない情報を網羅するという形式は、佐藤功一教授の指導なんでしょう。
今和次郎が早稲田大学建築科の創設者である佐藤功一教授に誘われて柳田國男の民家調査「白茅会」に参加するのは、この日誌の翌年の大正6年から。初の考現学調査である「銀座街風俗」は大正14年。
『考現学』のメソッドを編み出したのは今和次郎ではなく、佐藤功一だと考えたほうがいいんではないでしょうか。少なくとも影響が決定的に大きかったのはこの日誌を見れば証明できるはずです。『考現学』に対する佐藤功一教授の影響はどの程度認識されているもんなんでしょうか。
佐藤功一教授は大隈記念講堂や日比谷公会堂を設計した建築家で、『考現学』と関係なくとも佐藤功一教授資料として貴重なる日誌であります。
どの本でも元にされている今和次郎[年譜]によると、今和次郎は明治45年に東京美術学校を卒業して早稲田大学建築学科助手となり、大正3年に講師、大正4年に助教授、大正9年に教授に就任ということになっているのですが、この日誌では最初は他の教授陣と同じく「先生」表記、大正2年6月から他の教授陣と同じく「教授」表記、9月から他の助教授陣と同じく「助教授」表記となっています。
9月以降は「講師」という肩書きの人もいるのですが、大正2年はずっと「今助教授」となっています。大正5年はずっと「今教授」ですがこの時期に「助教授」の肩書きの人はひとりもおりません。「講師」は数人います。教授と助教授と合わせて「教授」と表記するようになっただけのような気がします。
とにかく、年譜とは明らかに違う表記がありますので、今和次郎の経歴はあらためて研究し直す必要があるでしょう。肩書きだけなら大した問題ではありませんが、こんな基本的なことが間違っているのなら他にも間違いは多いということです。
この日誌を何年も絶望書店に掲げていて不可解なのは、早稲田大学からただの一度も問い合わせがなかったことであります。自校の歴史を大切にしない大学なのか、あるいはここに辿り着くほどの情報能力にさえ欠けているか。いずれにしても大学を名乗るにはあまりにもおそまつと云わざるを得ません。
あんまり誰にも注目されないんで20万に値下げしていたんですが、これを機会にまた200万円にします。『考現学』資料としてはこれでも安すぎて、億単位にしないと失礼にあたるというもんですが、まあ今日のところはこれぐらいにしておいたろ。そのうちまた値上げするかも知れません。
しかし、なんでまたダチョウなんだろか。
YouTubeに「三島 vs 東大全共闘」の映像なんてアップされてたんですな。しらんかった。
ずいぶん前に活字で読んでいたけど、映像を観るのは初めてのような気もする。
若き日に天皇に拝謁して立派だと感じてしまったことが出発点になっているというのは判りやすい話で、人間の思想というものはなにかしらこういう個人的な単純な体験が核にないとやはりいけないはずで、こういうのがないとただの観念的な流行りみたいなもんだけでころころそのつど着替えたりと、信用できないというかわざわざ相手をするだけ無駄などうでもいい人間になってしまう。
しかし、天皇より恩賜の銀時計を拝受したすぐのちに、三島由紀夫の場合は徴兵検査で結核と誤診されて不合格になって兵隊にならずに済んだと喜び勇んで走って帰ってきたという体験もあったわけで、大義による死という話とどういう具合に結びついているのかもひとつ判らんところもあったりする。
こっちの映像を観たのはつい数年前で、いつもの調子で「葉隠」の例を出して、武士道なんてものはほんとの武士の思想ではなく闘いのなくなった平和な時代のバーチャルな裏返しの思想で、三島の求めているのは逆説的ななにものかであるということを相変わらず表明しておるなと想っていたら、そのあとに「私」は死のために大義が欲しいではなく、「人間」はと普遍化して語っているので、あれっ?と首を傾げた。
三島がどういう思想を持とうと自由だが、すべての人がそうだというのはどういうことか。
たとえば、特攻出撃した戦艦大和の艦内で、死を前にした学徒出陣の幹部候補生が現実にこういうことを云ったのを三島が知らんわけはあるまい。
吉田満「戦艦大和ノ最期」より引用何の故の死か 何をあがない、如何に報いらるべき死か
兵学校出身の中、少尉、口をそろえて言う
「国のため、君のために死ぬ それでいいじゃないか それ以上なにが必要なのだ もって瞑すべきじゃないか」
学徒出身士官、色をなして反問す
「君国のために散る それは分かる だが一体それは、どういうこととつながっているのだ 俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結び付けたいのだ これらいっさいのことは、一体何のためにあるのだ」
「それは理屈だ 無用な、むしろ有害な屁理屈だ 貴様は特攻隊の菊水のマークを胸につけて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのか」
「それだけじゃ嫌だ もっと、何かが必要なのだ」
ついには鉄拳の雨、乱闘の修羅場となる |
さても、自分の命というのは全地球よりも全宇宙よりも重い。いよいよ死を目前にすると単なる華々しい死なんてことだけでは我慢できなくなる。大義もどんどんエスカレートする。国家や天皇なんてもんでは物足りなくなる。
三島は二・二六事件にやたらと入れ込んでいたみたいだけれども、どうも失敗したからこそいいと考えているらしい。
しかし、青年将校たちは成功するつもり満々だった。あれだけずさんな計画というか、その後の計画なんてなんもなくてもうまくいくと想っていた。君側の奸さえ取り除けば、あとは自分たちと志を同じくするはずの天皇が万事よろしくやってくれるはずだった。
ところが天皇に逆賊と云われて何もかもが無駄に帰してしまう。クーデターが失敗しただけではなくて、大義までもが否定されてしまう。
青年将校たちは自分たちの大義に毛ほどの疑いも持っていなかった。だからこそ陛下の軍隊を勝手に動かして、陛下の輔弼の臣を殺して、そのことで陛下に褒めてもらえると想っていた。
あにはからんや、烈火の如く怒られてしまったので、勝手に自分たちの味方だと想ったのに、天皇は裏切り者だと怨んで、かなりみっともない最後になる。とても大義に殉じて死んでいったという感じではない。大義などというどうとでも取れるような抽象的概念がこれだけはっきりと間違っていたと示されて死ぬということはなかなかあるまい。
三島はやっぱり逆説的に、失敗したからこそ、天皇だとか国家だとかを超越した、純粋な大義そのものがそこに顕れると想っていたふしがある。大義を疑いもしないことよりも、そこに亀裂が入って衝撃受けたほうが実感のある何物かが掴めると考えていた。青年将校たちにとっては勝手な話だし、三島がはっきりそう云っていたかどうかよく識りませんが。
よくよく考えてみれば、「葉隠」も大義だとかいちいち考えないでさっさと死ぬのが一番いいと書かれている。「図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし」と、これはつまり犬死が一番偉いということで、藩のためとか主君のためとかどうでもいいと云っているに等しい。
逆説の逆説で、平和の時代の純粋思想になってしまっている。藩とか主君とかを超越した、自分のためだけの極めて個人的な私的な武士道になってしまっている。
そうして考えてみればあの大和艦内の対話は、海軍兵学校出身の職業軍人のほうが、「大義なんてそんなものどうでもいいじゃないか」と云っているようにも読み取れてくる。それはつまり国だとか天皇だとかそんなものどうでもいいじゃないかと云っているようにもあたしには読み取れてくる。
山本七平なんかは、戦場の将兵の会話なんてすべて「死にたくない」ということが云えないから別の言葉を駆使して「死にたくない」と云っているので、そのまま表面の字面だけを読み取ってはいけないと記していて、たしかに大和艦内の対話もそういう面もあるだろうが、しかし、それだけでもあるまい。
山本七平のように南方のジャングルで何ヶ月もかかってじわじわ嬲り殺されていくのでは「死にたくない」ばっかりになるだろうが、これから特攻に出撃する若い将兵には華々しい死を迎える高揚感も当然あるだろう。
やはり、ここでは「死にたくない」ではなくて、もっと積極的に死と大義について語っているとあたしには想える。たとえ、あとづけの意味を求めているだけだったにしても。
自分の存在とはなんだろうかという哲学的な根本問題を考える時に、たいていは生と死ということから読み解こうとするのだろうが、人間だけの生と死の付属品であろう<大義>なんて処から考えてみるのも一興。
それも、その大義が破綻してこそ、純粋な私的な自分の存在が浮かび上がってくるということもある。三島が嫌いだと云っている安心している人のその安心を破ることによって何かが視えてくるということでもあろうか。
現在の天皇が自分の考える天皇でないことを前提に、天皇と云って死んでいった三島の逆説は存外に簡単ではない。そこまで幾重にも裏返さないと己の存在に実感が持てない哀しき人種がいるということでもあるが。
天皇よりも国家よりも、そして大義よりも、裏返していくという行為そのものが実感へと近づこうとする思想そのものだったりもする。
三島由紀夫関連の絶望書店日記
○三島由紀夫の到達点
○伝統の不可能性に対する単純な事実を示す人
○中村歌右衛門とヲタク魂
○分解されざる桜姫
三島監督、脚色、主演の2.26事件映画『憂國』のDVDが全集版と単体版の二種類出ていたのですな。
どっち買えばいいんだ。