« Previous Entries Next Entries »
平均寿命23歳のやり取りに於いて、小谷野敦氏は遊女の平均寿命についてのご自身の誤りに確信を抱いておられたようである。あれだけ歴史資料の扱いについてやかましく申し上げたのだから、まさか根拠も無しにそんなことを仰るはずもなく、あのわずかな期間で浄閑寺の過去帳なりの一次資料をきちんと精査された上での確信であるのだろう。研究者としてまことにご立派な姿勢で、頭が下がる想いがする。
あたしのほうは依然として確信を持てなかったので過去帳の内容を細かくお訊きしたかったのだが、当方なぞのお相手に貴重なお時間をこれ以上割いていただくのも申し訳ないし、当方の欲している情報が得られるような気もしなかったし、これからも大いに活躍してくれる金の卵を産むガチョウの息の根を止めるような野暮はするなよという囁きも脳内に聞こえてきたので、自分で調べてみることにした。
かと云って一次資料を直接見るのも面倒なので、とりあえず「平均寿命23歳」の大元である西山松之助『くるわ』(昭和38年 至文堂)を読んでみた。そうしてみると、あたしが想像していたよりもかなり問題は深刻であることが識れた。
|
期間 |
年数 |
女(信女) |
女(信女)*0.9 |
年平均 |
第1号 |
寛保3~安永8(1743-1779) |
37年 |
510人 |
459人 |
12人 |
第2号 |
安永9~享和1(1780-1801) |
22年 |
563人 |
507人 |
23人 |
第3号 |
享和2~文政7(1802-1824) |
23年 |
117人 |
105人 |
5人 |
第4号 |
文政8~嘉永6(1825-1853) |
29年 |
312人 |
281人 |
10人 |
第5号 |
安政1~元治1(1854-1864) |
11年 |
497人 |
447人 |
41人 |
第6号 |
慶応1~慶応3(1865-1867) |
3年 |
157人 |
141人 |
47人 |
|
|
|
|
|
|
合計 |
1743-1867 |
125年 |
2156人 |
1940人 |
15.52人 |
上に掲げたのは『くるわ』に掲載されている表をあたしが再構成したものである。浄閑寺の過去帳は明治以降も続くのだが、江戸時代に限ると寛保3年以降の125年分、6冊が途中欠けることなく残されている。これ以外にも安政の大地震の犠牲者だけのものが1冊あるのだが、地震は当然、遊女以外にも江戸中に多くの死者が出ているので、とりあえず外してよいだろう。
これは戒名が「信女」の数である。現代の慣習では満15歳以上の女性は「信女」、それ以下は「童女」の戒名を附ける。江戸時代はどうなるのか調べても判らなかったが、「信女」=大人になる=禿(かむろ)から遊女になるというのはおそらく連動しているだろうから遊女のデータとしては問題ないであろう。なんでこんなことを云うかというと、浄閑寺には吉原とは関係のない一般の女性も葬られており、遊女との区別がはっきりしないのである。
過去帳の記述は、1.抱えている楼主の名と遊女という表記があるもの。2.楼主の名はあるが遊女の表記は無いもの。3.楼主の名も遊女の表記も無いが、俗名が明らかに素人ではないもの。4.上記いずれにも属さないものがある。
西山松之助は1-3の全部と4の一部が遊女であるとして、上記人数の1割が一般女性、9割が遊女と推測している。江戸時代の過去帳の記述は3のように不備が多いので4の一部が遊女である可能性はある。しかし、この推測には驚くべき欠陥がある。下女についての考慮がまったくないのだ!
吉原には掃除洗濯や配膳をする下女たちが遊女の7割くらいの人数いた。遊女と違って下女は身請けされる可能性も金持ちになる可能性もなかったし、定年がなかったであろうから遊女よりも平均年齢が高かったはずで、死ぬ可能性も高かったはずである。投げ込み寺に無縁仏として葬られる人数は遊女に匹敵するくらいあったのでなかろうか。
2はすべて下女であった可能性がある。また、3は売春をしない芸者であった可能性がある。西山博士は芸者も考慮しておらず、あたしは唖然とする。
さらには浄閑寺には岡場所の遊女も葬られており、吉原の遊女の死者数は上記の半分以下だったのではないかとあたしは推測する。西山松之助の文章を引用したのでお読みいただきたいが、岡場所の遊女も葬られていることはきちんと記述されているのだが、何故か途中からすべて吉原の遊女の数ということに擦り変わっている!こんな出鱈目なものを根拠に研究者の全員が吉原の遊女を語っているのだ!
あたしは半分以下ではないかと想うが、とりあえず西山博士に従って上記の9割が吉原の遊女の死者数としてみよう。
125年で1940人だから、1年平均は15.5人である。吉原の遊女の数は時代とともに大きく上下するが過去帳が残っている江戸後期に限ると、禿をのぞいた遊女だけで、1770年(明和7)2130人余、1799年(寛政11)3780人余、1819年(文政2)3870人余、1849年(嘉永2)4680人余ということなので、とりあえず平均3500人とすると年間の死亡率は1000人に5人以下、0.44%ということになる。これは江戸時代の死亡率として果たして高い数字と云えるだろうか?
上記の表を見ると大地震の犠牲者を外しているのに安政期の死者が多い。これは明らかに「ころり」(コレラ)の犠牲者だろうが、ころりでは人口100万人の江戸だけでも死者10万とも20万とも云われていて、遊女がとくに多いわけではない。慶応はさらに死者が多くてこれは原因がよく判らないが、6冊目は明治と一緒になっているので何か間違いがあるのではないかとあたしは疑っている。とにかく安政以降の異常事態14年分を外すと、111年で1352人だから、1年平均は12.2人で死亡率0.35%となる。安政地震も考慮せずに済み、こっちのほうがデータとしては妥当であろう。
ここでややこしいのは、吉原の遊女が葬られた投げ込み寺は浄閑寺のほかに、西方寺、正憶院と合わせて三カ所あったということである。しかし、西山博士は大部分は浄閑寺としているので、この数字の2倍になるということはないであろう。つまり、西山推測で0.7%、絶望書店主人推測で0.4%程度が吉原の遊女の死亡率となる。
これは果たして高い数字と云えるであろうか?西山博士は「一般社会では、ほとんど死ぬことのない年齢層」という奇怪なることを述べているが、若い女性も当然死ぬことはある。
日本政府は明治24年から生命表を作成しているらしいのだが、政府発行の統計では年齢別の死亡率は何故か明治36年以降しか判らない。これによると満年齢15-29歳の女性の死亡率は明治36年から昭和16年まで0.9%-1%程度で安定していて、スペイン風邪が流行った大正8年前後は1.6%まで跳ね上がっている。なんと!昭和の一般女性よりも江戸時代の吉原の遊女の死亡率のほうが低いのだよ!!!!!死んでも投げ込み寺に葬られなかった遊女がかなりいたとしても、死亡率が高かったとはまったく云えない。
考えてみれば吉原の遊女は衣食住が保証されていて労働も楽だった。よく遊女の労働は苛酷で過労死が多かったなどと云う輩がいるが、吉原に限れば遊女の仕事の半分は酒の相手で、必ずしもすべての客に肉体的サービスを施したわけではないので現代の風俗嬢と比べれば少なくとも肉体的には楽だった。女工哀史や畑仕事と比べてもどれほど重労働と云えたであろうか。昭和前期までは現実の問題としてあった飢餓の心配がなかっただけでも死亡率が低かったのは当然とは云える。結核が深刻になるのは産業革命が起ってからという事実も関係があるだろうが。遊女だけではなく江戸時代全体がよい時代だったという裏附けにもなるのやも知れん。
吉原は10年に一度は全焼していてそのたびに多くの犠牲者を出している。心中も多い。また結核などの病気が死因のかなりの割合を占めるだろうから、悲惨派が云う折檻や過労で死ぬ遊女が仮にいたとしても極めて例外的な少数だったことが判る。性病で死ぬ数でさえそれほどには多くなかったということになる。
ちなみにこの年齢層の死亡率は戦後急激に下がり昭和37年(『くるわ』執筆の頃)には1/10の0.1%を割る。抗生物質の驚異的な威力が判る。現在は0.02%程度で、この10年ほどでもまだ下がっているのは驚く。同年齢の男は倍の死亡率で男は女の2倍悲惨だと云える。
戦前は若い女性の100人にひとりが死んでいたわけで、美人薄命のお涙頂戴物にリアリティがあったわけだ。
繰り返すが、あたしは一次資料を見ているわけではないので、上記はあくまで悲惨派の側が唱えている主張を元にした推計値である。一次資料をこの眼で見ないことには断定的なことは何も云えない。過去帳のなかで岡場所の遊女や下女がゼロということがあり得ないのは確実だが。悲惨派が浄閑寺の過去帳だけで死者がとんでもなく多いと主張していることには注意するように。
悲惨派の主張にはさらに驚くべき事実がある。次回に続く!!
 デュマãŒã€Žãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³ç‰©èªžã€ã®ç¨®æœ¬ã«ã—ãŸã‚¬ãƒã‚¢ãƒ³ãƒ»ã‚¯ã‚¦ãƒ«ãƒ†ã‚£ãƒ«ã‚¹ãƒ»ãƒ‰ãƒ»ã‚µãƒ³ãƒ‰ãƒ©ã‚¹ã®ã€Žãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³è‰²ã–ã‚“ã’ã€(原題・ダルタニャン回想録)ãŒå£²ã‚ŒãŸã®ã§ãºã‚‰ãºã‚‰æ²ã£ã¦ã„ãŸã‚‰ã€ãŠã‚‚ã—ã‚ãã¦ãŠã‚‚ã—ã‚ãã¦ã‚„ーã‚られãªã„ã‚„ã‚られãªã„。çµæ§‹é•·ã„話を最後ã¾ã§èªã¿é€šã—ã¦ã—ã¾ã£ãŸã‚ˆã€‚
 ã“りゃデュマã®ã‚ˆã‚Šã‚‚é¥ã‹ã«å‡ºæ¥ãŒã„ã„ãžï¼ã‚‚ã£ã¨ã‚‚ã€ã‚ãŸã—ã¯ã€Žãƒ¢ãƒ³ãƒ†ãƒ»ã‚¯ãƒªã‚¹ãƒˆä¼¯ã€ã¯å¤§å¥½ããªã‚“ã ãŒã€Žãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³ç‰©èªžã€ã¯ã‚‚ã²ã¨ã¤ä¹—り切れãªã‹ã£ãŸã‚¯ãƒãªã®ã§ã€ãƒ•ã‚¡ãƒ³ã®æ–¹ã¯ãã®ç‚¹ã€å‰²ã‚Šå¼•ã„ã¦èžã„ã¦ã‚‚らã£ãŸã»ã†ãŒã‚ˆã„ã‹ã‚‚知れん。
 ã‚ãŸã—ãŒã€Žãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³ç‰©èªžã€ã‚’ã‚‚ã²ã¨ã¤ã¨æƒ³ã†ã®ã¯ç™»å ´äººç‰©ã«ã©ã†ã«ã‚‚感情移入ãŒã§ããªã‹ã£ãŸã“ã¨ãŒå¤§ãã„ã‚“ã ãŒã€ã‚µãƒ³ãƒ‰ãƒ©ã‚¹ã®ã»ã†ã¯ãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³ã‚‚ミレディーも無茶苦茶é…力的ã§ç¾ä»£çš„ï¼ç—›å¿«ç„¡æ¯”ã§ãŸã¾ã‚‰ã‚“ï¼
 構æˆã‚‚ã†ã¾ã„ï¼æ‰‹ã«æ±—æ¡ã‚Šã€ã‚ã£ã¨é©šã展開ã®é€£ç¶šï¼ãƒ‡ãƒ¥ãƒžã®ã»ã†ã¯æ–°èžé€£è¼‰ã¨ã„ã†ã“ã¨ã‚‚ã‚ã£ã¦ã„ã•ã•ã‹ã‚¯ãƒ‰ãã€é€šã—ã¦èªã‚€ã¨ã©ã†ã‚ˆ?ã¨ã‚ãŸã—ã¯æƒ³ã†ã‚“ã ãŒã€‚1700å¹´ã®ã€Žè‰²ã–ã‚“ã’ã€ã‚ˆã‚Š1844å¹´ã®ãƒ‡ãƒ¥ãƒžã®ã»ã†ãŒå¤è‡ãæ„Ÿã˜ã‚‹ã—。
 å°è¥¿èŒ‚也ã®ç¿»è¨³ãŒã¾ãŸã„ã„ï¼ãªã‚“ã‹å¤ã‚ã‹ã—ã„æ–‡ç« ã§æ˜å’Œ25å¹´ã®æœ¬ã ã‹ã‚‰ã“ã‚“ãªã‚‚ã®ã§èªã¿ã«ããã†ã ãªã¨æœ€åˆã¯æƒ³ã£ãŸã®ã ãŒã€ã“ã‚Œã¯ã‚ã–ã¨æ“¬å¤å…¸èª¿ã«ã‚„ã£ã¦ã„ã‚‹ã®ã ãªã€‚難ã—ã„云ã„å»»ã—を自在ã«é§†ä½¿ã—ãªãŒã‚‰ã‚‚テンãƒãŒã‚ˆãã€é£„々ã¨ã¨ã¼ã‘ãŸå‘³ãŒã‚ã£ã¦ã€ãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³ã®ã‚ャラã¨è¦‹äº‹ã«èžåˆã—ã¦ã„る。ã²ã•ã³ã•ã«ã„ã„æ–‡ç« ã‚’çŽ©å‘³ã—ãŸã€‚
 ã“ã‚Œã ã‘ã®ä»£ç‰©ãŒãƒ‡ãƒ¥ãƒžãŒç™ºè¦‹ã™ã‚‹ã¾ã§150年も埋もれã¦ã„ã¦ã€æ—¥æœ¬ã§ã‚‚50年も埋もれã¦ã„ã‚‹ã¨ã„ã†ã®ã¯ã¾ã£ãŸãä¸å¯è§£ãªã“ã¨ã§ã¯ã‚る。
 日本ã§ã¯æ˜Žã‚‰ã‹ã«ã‚¨ãƒæœ¬ã¨ã—ã¦å‡ºã—ã¦ã„ã‚‹ãŒã€ã“ã‚ŒãŒåŸ‹ã‚‚ã‚ŒãŸæœ€å¤§ã®ç†ç”±ã§ã¯ãªã„ã‹ã¨ã‚ãŸã—ã¯æŽ¨æ¸¬ã™ã‚‹ã€‚『ãƒãƒ£ã‚¿ãƒ¬ã‚¤å¤«äººã®æ‹äººã€ãŒçŒ¥è¤»ã¨ã—ã¦ç¿»è¨³è€…ãŒèµ·è¨´ã•ã‚ŒãŸã®ãŒåŒã˜æ˜å’Œ25年。『ダルタニャン色ã–ã‚“ã’ã€ãŒå‡ºãŸ2月ã¯ã¾ã ãŽã‚ŠãŽã‚Šæˆ¦å¾Œã®å‡ºç‰ˆã®è‡ªç”±ã‚’謳æŒã§ãる時代ã ã£ãŸã®ã ã‚ã†ã€‚エãƒæœ¬ã¨ã—ã¦ã‚‚『ãƒãƒ£ã‚¿ãƒ¬ã‚¤å¤«äººã€ãªã‚“ã‹ã¨é•ã£ã¦ã€Žè‰²ã–ã‚“ã’ã€ã¯ã„ã¾èªã‚“ã§ã‚‚ã³ã‚“ã³ã‚“æ¥ã‚‹ã€‚
 『ダルタニャン物語ã€ã®å…¨è¨³ãŒå‡ºã‚‹2å¹´å‰ã«ã“ã‚“ãªæœ¬ã‚’出ã—ã¦ã„ã‚‹ã ã‘ã§ã‚‚ã€å½“時ã®å‡ºç‰ˆã¨ã„ã†ã®ã¯å¤§ã—ãŸã‚‚ã‚“ã 。
 昨今ã®ã€Žãƒ€ãƒ«ã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãƒ³ç‰©èªžã€ãƒ–ームã§ç¨®æœ¬ã®ã»ã†ã‚‚注目ã¯é›†ã‚ã¦ã„ã‚‹ã®ã ãŒã€ã‚¦ã‚§ãƒ–上ã«ã¯å®Ÿéš›ã«èªã‚“ã 感想ãŒã²ã¨ã¤ã‚‚ãªã„ã®ã¯ä¸æ€è°ã§ã¯ã‚る。ãã“ã¾ã§ã¾ã£ãŸã手ã«å…¥ã‚‰ãªã„本ã§ã‚‚ãªã„ã®ã ãŒã€‚
 ウェブ上をã†ã‚ã†ã‚ã—ã¦ã„ã¦æ„Ÿæƒ³æ–‡ã®ä»£ã‚ã‚Šã«ã€ã“ã®æ›¸ãŒå‡ºã‚‹1å¹´å‰ã¾ã§å°è¥¿èŒ‚也家ã«å®¿ç„¡ã—ã®æ°¸äº•è·é¢¨ãŒå±…候をã—ã¦ã„ã¦ã€å¤œä¸ã«å°è¥¿å¤«å¦»ã®å¯å®¤ã‚’覗ã„ãŸãŸã‚ã«è¿½ã„出ã•ã‚ŒãŸã¨ã„ã†è©±ã‚’見ã¤ã‘ãŸã€‚ãã®ç›´å¾Œã«è¨³ã•ã‚ŒãŸã€Žè‰²ã–ã‚“ã’ã€ã®å†…容を考ãˆã‚‹ã¨ãªã‹ãªã‹ã„ã„話ã 。è·é¢¨ã¯å£ç™–ã®ã‚ˆã†ã«ã€Œå¥³é¢¨å‘‚を覗ããらã„ã§ãªãã¡ã‚ƒã‚ã€ã„ã„å°èª¬ã¯æ›¸ã‘ãªã„よã€ã¨äº‘ã£ã¦ãŸã¨ã‹ã€‚
 サンドラスãªã‚“ã‹ã¯ç”Ÿå˜ä¸ã®äººç‰©ã‚’å°èª¬ã®ä¸ã§æ”»æ’ƒã—ãŸã‚Šé¢¨åˆºã—ãŸã‚Šã—ãŸãŸã‚ã«ä½•åº¦ã‚‚監ç„ã«ã¶ã¡è¾¼ã¾ã‚Œã¦ã‚‹ã€‚ã“ã®æ›¸ã‚‚関係者ãŒã¾ã 生ãã¦ã„ã‚‹ã§ã‚ã‚ã†æ™‚代を考ãˆã‚‹ã¨ãªã‹ãªã‹éš›ã©ã„内容ã§ã€ã‚ªãƒ©ãƒ³ãƒ€ã®å‡ºç‰ˆç¤¾ã‹ã‚‰å‡ºã•ã‚Œã¦ã„る。
ã€€ç™»å ´äººç‰©ã¨åŒã˜ãè‚ãŒæ®ã‚ã£ã¦ã„ã‚‹ã¨äº‘ã†ã‹è¦šæ‚ŸãŒã„ã„ã¨äº‘ã†ã‹ã€ãã†ã¾ã§ã—ã¦æ›¸ã‹ãã°ãªã‚‰ãªã„抑ãˆåˆ‡ã‚Œã¬è¡å‹•ãŒã‚ã‚‹ã‚“ã§ã—ょã†ã€‚表ç¾ã®è‡ªç”±ãŒã©ã†ã¨ã‹åŒ¿å性を守れã¨ã‹äº‘ã£ã¦ã‚‹è¼©ã€ã¨ãã«å°èª¬å®¶ã¯è¦‹ç¿’ã£ãŸã‚‰ã©ã‚“ãªã‚‚ã‚“ã§ã‚ã‚Šã¾ã—ょã†ã‹ã€‚
 デュマã®ã‚‚家æ—ã¿ã‚“ãªã§æ„‰ã—ã‚ã‚‹æ–°èžé€£è¼‰ã§ã€ã€Žè‰²ã–ã‚“ã’ã€ã®ã»ã†ã‚’ã‚ãŸã—ãŒè©•ä¾¡ã™ã‚‹ã®ã‚‚ãã®ç‚¹ãŒã‚ã‚‹ã®ã‹ã‚‚知れã¬ã€‚æ–°ã—ã•ã‚’æ„Ÿã˜ã‚‹ç”±ç¸ã§ã¯ã‚ã‚‹ã®ã ã‚ã†ã€‚
 
 
「ダルタニャン色ã–ã‚“ã’ã€å†å…¥è·ã—ã¾ã—ãŸã€‚
IT革命とは何かに於いて、江戸時代は歌舞伎に付随して役者評判記、辻番付、役割番付、絵本番付、絵入狂言本、絵尽、役者絵、役者本なんかが大量に流布してたなんてことを申しました。
役者本というのは文字通り特定の役者のことを採り上げた本で、ミーハーなタレント本から芸道を賞賛する堅めのものからゴシップまでいろいろ幅広い種類があったのは現代と同じです。そんな役者本の一種として<贔屓本>というものがございました。役者の贔屓(ファン)が自ら出版した本です。
あたしは漠然と現代の同人誌やファンクラブ会報みたいなもんだと考えていたのですが、おそらく初めて贔屓本をきちんと論じた本であろう神楽岡幼子の『歌舞伎文化の享受と展開?観客と劇場の内外?』を読んで、少し違うような気がしてきました。
<贔屓本>を識るには、まず前段階として<摺物>について識っておく必要があります。
<摺物>とはこちらのデービッド・ブルさんのページが判りやすいですが、冊子などではない一枚物の版画のことでして、浮世絵などのような商品ではなく個人が知り合いに配るために制作する物を云います。俳諧や狂歌なんかをやってる人が自分の作品に挿絵を入れて仲間なんかと交換するわけです。なんせ儲けなんか考えてませんから採算度外視で、また浮世絵なんかはカラフル嫌いの幕府の弾圧を受けることがありましたが、私的な<摺物>は規制を受けなかったようで贅沢の限りが尽くされたみたいです。絵はプロの絵師に指定して描かせることが普通でした。
この<摺物>を役者の贔屓連中も制作するようになるわけです。当然、役者の芸を讃えたり、芝居や役者の私生活の情報を報告した内容になります。
とくに文化文政の大坂で絶大なる人気を誇った三世中村歌右衛門の贔屓が量質ともに他を圧倒しておりまして、この本でもその周辺のことが論じられてます。
歌右衛門の贔屓たちは大量の<摺物>を競って制作してお互いに配り合っていただけではなく、貼込帖に貼り附けて蒐集していたわけですが、これは個人のコレクションとしてではなく貼込帖自体をかなり広範囲の人々に回覧して愉しんでいたようです。ファンクラブの仲間内以外にも広く<摺物>を流布させていたようで、現代のウェブページ制作や、ほかの面白いページを紹介するリンク集づくりとあんまり変わりません。
ちょっと違うのは一流の絵師や職人に金を払ってとことんイメージ通りに仕上げることでして、現代のウェブページ制作で知り合いにちょっと絵を描いてもらうことはあっても何度も駄目出しをして想い通りにするなんて方は個人ではいないと想います。同人誌なんかもあくまで自分の作品を発表するためのもので、能力のある人を集めて細かく指図して想い通りの作品にするなんてのはあんまりない。
さて、<贔屓本>はそんな背景のもとに出版されたわけですが、<摺物>を集めてそのまま一冊の本にしたものや、出版社が贔屓から狂歌を募集して一冊にしたもの、あるいは贔屓そのものを役者評判記風に何百人も紹介したものなどいろんな内容の本がいろんな関わり合いのもとで紡ぎ上げられていきました。歌右衛門の芝居の作者が編集に加わったりして、こうなると現代の芸能事務所や出版社がファンを利用してビジネスをしているのと同じだと感じるやも知れませんが、贔屓のほうには<摺物>以上に広範囲に歌右衛門の素晴らしさを伝えたいという戦略があり、芝居にさえ介入するくらいですから当然想い通りの本造りを貫くはずで、また出版社社長や芝居の作者も歌右衛門ファンクラブの仲間だったりで、なかなか簡単には説明できません。
神楽岡幼子も贔屓と出版社のどちらが主導権を握っていたかは判らないと書いてるし(若い世代の女性で歌舞伎好きとなると同人誌を識らぬはずもなく、含みのある表現はしているけど)、あたしの貧弱な知識で歯が立つような問題ではないので以下で述べることは妄想としか云いようがありませんが、あたしがひつこく説いてるコミケなんかの自分が描きたい本の出版ではなく、自分が読みたい本の出版活動として理想的なものがすでにここにあるんではないかと想っています。
少なくとも贔屓の制作する<摺物>は、俳諧や狂歌連中なんかのそれとも違ってずいぶんあたしの考えてることに近い。また、歌右衛門の<贔屓本>を一手に引き受けていた出版社・河内屋太助の「印刷、版下、文章までご希望しだいの内容で引き受けます」という同人誌制作広告が載ってるんですがなかなか面白い。あたしの云う自分が読みたい本の出版活動というのは出版社を排除することではなく、出版社なんかは道具として読者が使いこなしてやればいいという意味であるのですから。
なんにせよ、こんなことを仰々しくぶち上げるにはあたしの江戸文化に関する知識はおそまつ過ぎるな。そもそも<贔屓本>や贔屓連中の制作するたぐいの<摺物>を実際に見たことがないんではお話にならないとウェブ上を探していて、早稲田大学がいつの間にかエライことになっているのに初めて気が付いた。
演劇博物館所藏の4万7千枚に及ぶ浮世絵のすべてが、去年の末からウェブ上で実物大で公開されていたのか!全然識らんかったよ。たとえば三代目歌右衛門だけでこんな具合に687枚(※2015年追記。いま見ると何故か536枚に減ってますな)も出てくる。また、文学部には俳諧摺物データベース(何にも入力しないで「Search」を押すと順番に出てくる)なんてのもある。
なんかウェブもやっと理想的な姿になってきたようですな。大学なんてのはくだらない感想文みたいなのばかり大量生産する前にこういうことをやってくれんとな。あとは個人の活動が江戸時代の連中に負けないくらいになればいいんですが。
ところで神楽岡幼子のこの本は1万2000円もするんですな。堅くて内容のよく判らんタイトルを附けねばならぬ事情とともに、江戸時代から後退しているような2002年のわけの判らん出版状況を顕す事例として後世に残るでしょうか。せめて『贔屓本の世界』くらいにするか、想い切って副題に「江戸時代の同人誌」とか「江戸時代のウェブ」とかハッタリをかましておけば多少は話題にもなったのでしょうが。
玄人スジの書評さえもウェブ上にはひとつもないのはどういうことか。あたしの知識が足りないだけでなにか問題含みの本でもあるのか。いろいろいっぱい傷ついて、現代の本には無闇と疑心を抱く哀しきあたくし。
あたくしが読むのはもっぱら戦前の本でして、戦後の本はほとんど読まないし特にこの10年のものは極力手に取らないようにしているんですが、ついうかうかと小谷野敦『江戸幻想批判』なんてものを読んでしまいました。こんなんばっかしやんか。
『江戸幻想批判』は佐伯順子なんかの特定の本を否定することに終始しておりまして、まあ実際に佐伯順子の本はいろいろ問題があるのですべて出鱈目だとして、それでなんで江戸時代は性的に解放されていて女性も自由だったというのが「幻想」になるのか読んでもさっぱり判りません。なんせここで掲げられているほとんど唯一の実証的な根拠が、江戸東京博物館の展示で見たという「吉原の遊女の平均寿命は23歳」というデータだけなんですから。
この厳然たる事実を前にして江戸時代の性愛を礼賛することは赦されんのだそうです。うーむ。
ひょっとしたらほかにもこんなことをのたまっている方々がいるんではないかと「遊女 平均寿命」と「遊女 死亡年齢」で検索を掛けてみますと、おーいっぱいいるいる。村上龍や四方田犬彦なんて名前もあるある。
データの出処はこの本か、あるいは直接見たか、ほとんどが江戸東京博物館の展示経由らしいです。皆さん、大いに怒っておられますな。当時の平均寿命から考えても極端に低いこの数字は、遊女がいかに酷いあつかいを受けていたかの証拠であって、我々は決して目を逸らしてはいけないんだそうですよ。
江戸東京博物館も妙な情報を広めて人心を乱すのはけしからんことです。
江戸時代の吉原の遊女の年季は10年の決まりで18歳から27歳の暮れまでが基本でしたから、原則的に28歳より上の遊女というのは存在していなかったわけです。もっと早くに年季が明けたり身請けされる者もいましたから、平均すると26か27くらいには吉原を去って行ったわけです。つーことは、残った遊女のうち死んだ者の平均を出せば23歳くらいになるのはしごくあたりまえのことでありますな。
たとえば全国の小学校で死んだ生徒のデータを集めると平均寿命は9歳くらいになるはずです。なんと!遊女の半分もないとは!現代の小学校は江戸時代の吉原以上の苦界ですぞ!こんな非人道的なとこなどすぐに廢止してしまえ!幼稚園なんてもっと酷いこの世の地獄もあるのかっ!・・・・・なんてなことを云う方はいないわけです。いや、いるかもしれんな。博物館に「小学生の平均寿命は9歳」なんて展示をしてみてはいかがなもんでしょうか。
考えれば判ることですが、吉原がたとえどれほど素晴らしいところになったとしても遊女の平均寿命が27歳を越えることは絶対にないわけです。いやいや、ひとつだけ方法があります。吉原から定年を無くし、身請けも年季も無くし、一生死ぬまで客を取らせてこき使えばいいんです。これなら寿命が30歳を越えることは間違いない。うまくいけば40歳も・・・・・って、おまえらは人でなしか!?鬼か!?
徳川幕府でさえ人身売買を禁止して年限を区切っているから彼女たちは第二の人生を歩むことができたのに、ひとたび遊女になったものは死ぬまでずっと躯を売れというのか!!!!!!!!遊女の平均寿命が低いのがイカンなんて、人間にあるまじき恐ろしい暴言を吐いているアンチ人権主義者どもは徹底的に糾弾せよ!!!!!!!!
実際には年季が明けても借金を返せない遊女は岡場所に売られていきました。また、自由になってもほかに生きていくすべがないために夜鷹に身を落とす女もいました。岡場所や夜鷹のほうが自由があったとは云え。それらの28歳よりも上の遊女を合わせると平均寿命は確実に上がるはずです。
このデータは<投げ込み寺>の浄閑寺の過去帳に記されている年齡を平均したもののようです。浄閑寺には岡場所の遊女も葬られているみたいですが、わざわざデータが「吉原の」遊女の平均となっているのはなにか意図的なトリックがあるのか、そもそもほんとに遺体を投げ込むこともあった寺の過去帳、それも商売的にも法的にも若く見せることに意味のある遊女の記載年齡がどこまで信用できるのか、近所の図書館で調べてみましたが判りませんでした。大学図書館なら調べがつくでしょうからどなたか教えてください。江戸東京博物館はどんな資料作成をしているのか識りませんが、それと1次データを見比べないことにはなんも判らん。この人たちは己の最大の拠り所となるデータの成り立ちに疑問が浮かばないんでしょうか。この年齡が満か数えかさえ確認しないで得意気に吹聴しているのでしょうか。
なお、岡場所の手入れで捕まって罰として吉原に送り込まれてきた者には28歳より上の遊女もいましたが、岡場所だって若いのが中心で、また刑罰としての年季は短かったですからむしろ吉原全体の年齢を押し下げていたのではないかとも考えられます。この者たちが死んだ場合、どういうあつかいで過去帳に記入されるのか、またこのデータではどのようにあつかわれているのかもはっきりしてもらわないとデータの価値はゼロです。
江戸東京博物館の学芸員に電話で訊いてみようかとも想いましたが、せっかくの展示をはずされたりしたら困りますからやめました。発言者の歴史理解度を測るにはじつにいいデータですので。ウェブとも連動させて情報の受け手側の脳内を視せるインタラクティブで立体的な画期的展示法ですな。
『江戸幻想批判』には『人麻呂の暗号』という本の内容を信じていたなんてなことも書いてありまして、この手の単純なトリックに弱い方みたいです。そんなことでは、何百年前の歴史や文化を読み解くなんておよそ人間の知的活動としてはもっとも難しい部類に属する探求に携わるのはとうてい無理と云うものでありましょう。この方は「浄瑠璃や歌舞伎を知らない、馬琴や黙阿弥を読まない、落語を聴かない、そういう連中に先導されて賑わっているのが<江戸ブーム>なのだから、お寒い話である」なんてなことまで仰って江戸時代の本をいろいろいっぱい読まれているようなんですが、吉原の年齢構成なんて最低限のまともなイメージさえ掴んでいないのではすべてが無駄だったということです。
このトリックに引っかかった方は、以後歴史や昔の文化について口を出すことを一切禁ずる法令を出していただきたいもんです。べつに知識がなくても、遊女が基本的に若いことくらいは常識で考えれば判ることですので。ちなみにあたしは年季が27歳までと決まっているとは識らず、それでも23歳というのはごく普通の数字ではないかと感じて調べてみたわけです。
さて、あたしはと申しますと、やっぱり江戸時代は性的に解放されていて女性も自由だったと考えています。あくまで同時代の欧米や明治以降と比べての話で、みんなが幸福な天国ではなかったのはあたりまえのことですが。いまでも借金のために風俗で働いている女性は大勢おられますし。
この手の話は遊女特有の問題と医学の進歩の問題をごちょごちょに論じてるものが多くて困ったもんです。同時代の遊郭の内と外との罹患率、死亡率を比較しないことにはなんの意味もない。あたしは兵舍なんかと同じ問題でべつに遊郭特有ではないと推測していますが、データを出してもらわんことにはなんにも判らん。
抱え主にとって遊女はクビにすれば済む従業員ではなく先に大金を投資している財産ですから、投資を回収する前にわざわざつぶすようなことをやるとは同じ商売人としてとても信じられません。遊女を責め殺した抱え主がひとりいましたが、財産没収され遠島となりました。吉原の経営が苦しくなっていた幕末のこんな商売人失格の男を基準に、何百年も栄えた吉原全体を語る方が多いのは困ったことです。
また、よく医者にも診てもらえなかったというようなことを云う方がいますが、当時の医者に結核や梅毒を治す力はありませんから同じことです。たっぷり栄養を摂って何年も養生すれば死亡率はさがるかも知れませんが、現代でも借金を抱えている方は病気になっても休めるものではありません。江戸時代の遊女は働けなくなっても借金先にご飯を食べさせてもらっていたのですから、むしろ現代より優遇されていると云ってもいいくらいです。
なんにせよ、遊女をことさら持ち上げたり反対に悲惨だと嘆いたりするのはいまだに歴史が下卑たイデオロギー対立のおもちゃになっているということでして、死んだあとまでこんな変態プレイで遊女を弄ぶとは蛆蟲以下の唾棄すべき連中であります。
『江戸幻想批判』は遊女の平均寿命以外にもなんともへんてこな論が続きまして、それはべつにいいんですが、ひとつ判らんのは歌舞伎や文楽についての記述がなんかおかしいことです。この方が歌舞伎や文楽をいっぱい観ていて関連書もいっぱい読んでるのはたぶんほんとのことだと想うのですが、なんで基本的な部分がこんな妙な具合になるのか。
たとえば「近松門左衛門は江戸時代には人気がなかった」なんて註釋なしでは誤解を与えるような記述が頻発しまして、この本は狭い業界向けのものだからそれでいいと考えているのやも知れませんが、実際にそのまま受けとめている方もいるようでやはり問題です。時代物を無視したまま近松を語ったりとどうも江戸時代の歌舞伎や文楽の基本を理解していないのでないかというような印象を受けましたが、ひょっとすると反対陣営が持ち上げるものを無理にでも貶めようとする戦略のようでもあり、もひとつ判らない。この方のほかの本も読めば判るのかも知れませんが、とてもそんな気にはなりませんし。意図はともかく、歌舞伎や文楽の知識がない方がそのまま受け取るにはかなり問題があり、ほとんど出鱈目と想っておいたほうが無難なしろものです。
ウェブを見渡すとこの本を元にしていろいろ云ってる方もいて、おまえらもちっとしっかりせいと云いたくなります。いや、しっかりせんといかんのはあたしのアンテナのほうか。やっぱり最近の本に手を出すのはやめときます。
※遊女の平均寿命について、資料に即した実証的な考察はこちらの続編をご覧ください。
いかに出鱈目な説を基に江戸時代の遊女についてこれまで語られていたのかが判ります。
遊女を虐待する人々 1
遊女を虐待する人々 2
|
上記の文章に対して小谷野敦氏よりメールをいただいた。当方の返信とともに交互に掲載するので併せて読んでいただけると幸いである。当方の事実誤認などを正すにはこれがもっとも公正なる方法であると信じる。
なお、小谷野氏より具体的な指摘がある前に、表現については確かに行き過ぎがあったと反省し自主的に書き換えされていただいた。内容はまったく変わっておらず無駄な修飾が無くなって却って問題点が浮き彫りになってよかったのではないかと当方は考えている。
2002/11/26 絶望書店主人記す。
2006/4/10 追記
小谷野敦氏の許可をいただいて3年以上メールを掲載していましたが、小谷野氏から削除依頼を受けましたので掲載を取りやめ、代わりに簡単な要約に差し替えました。当方のメールは引き続きそのまま掲載しています。
一方の側が要約しているのですから、ひょっとすると当方の都合のいいようにねじ曲げて公正を欠くやも知れません。当方としてもこういうことはできればやりたくないのですが、これが小谷野氏の要望ですので致し方ございません。ご容赦ください。
削除の経緯につきましては「2006/3/28 小谷野敦氏よりの削除依頼」をご覧下さい。
「2003/4/17 小谷野敦氏からの電話」の小谷野氏のメールも削除しました。
|
小谷野敦氏よりのアンケートフォーム送信 | <1> 2002/11/25/00:10 |
絶望書店主人・要約
小谷野氏よりの第一信です。本名などを問う二行だけの内容でした。
|
絶望書店主人より返信 | <2> 2002/11/25/04:31 |
小谷野敦 様
絶望書店でございます。お忙しいところ、アンケートにお答えいただきありがとうございます。
当方のメールアドレスは当店表紙に明記しております通り 5c33q4rw@interlink.or.jp でございます。
当方の名前は恐縮ながら絶望書店主人で通させていただいております。絶望書店ならびに絶望書店主人の名はウェブ上では多少は識られております。絶望書店は実際の店舖のないウェブ上だけの本屋でございまして、ウェブ上での信用を失うとすべての生きる糧を失うことになりますので、誰も知らない当方の名前などよりは絶望書店主人というのは当方にとりまして遥かに重要な名でございます。文章のみで生活している方のペンネームのようなものと受けとめていただければ幸いです。
当方の駄文に関しまして事実誤認を指摘するようなメールがいただけるようでしたら、全文をあの駄文の下に転載させていただきたいと存じます。それが事実誤認を改めるための一番公正なる方法であると存じます。あらかじめご諒承ください。
なお、当方の側からも少々お訊きしたいこともございます。もし、小谷野様が掲示板などお持ちでしたらそちらでやるほうがよろしいかとも存じますが、利用できる適当な掲示板が無い場合は次善の策として、上記の如く小谷野様のメールと当方のメールを交互に掲載させていただきます。
よろしくお願いいたします。
絶望書店主人
|
小谷野敦氏より | <3> 2002/11/25/08:50 |
絶望書店主人・要約
インターネットと匿名を批評する内容で、本名を名乗らないのなら議論はしないということでありました。
|
絶望書店主人より | <4> 2002/11/25/11:47 |
小谷野敦 様
お世話になっています。絶望書店でございます。お忙しいところ、メールいただきありがとうございます。
グーグルで「絶望書店」を検索していただくと600件ほど出てまいります。小谷野様のお名前で検索すると2600件ほど出てまいります。絶望書店という店名は少なくともインターネット上では小谷野様の5分の1程度の知名度があると考えていただいてよろしいかと存じます。その店名を背負って開店以来5年間やってまいりました絶望書店主人はささやかながらも世間で通用している筆名と考えていただけると幸いです。
住所なども表記しておりますし、いわゆる匿名には当たらないと考えております。また、本など執筆されている小谷野様と一介の読者である当方とでは、いささか立場も違うかと存じます。
議論をされないのはご自由でありますが、具体的な事実誤認などを指摘していただかないと当方といたしましても対処のしようがございません。それとも事実誤認ではなく表現だけの問題でありましょうか。たしかに表現には行き過ぎのところもあったかと反省いたしまして少し書き替えさせていただきました。
さらに問題がございましたら内容によりましては深く謝罪し訂正することもございますので、ご指摘ください。あの御著書はほかの方を批判した内容ですので、もし当方の文章にあるように小谷野様の事実誤認の元に書かれているといたしましたら、多少の批判があるのは致し方ないことだと当方は考えております。やはり事実関係が一番重要なことかと存じます。
なお、小谷野様に関係のない当方の日記すべてを削除すべきだと仰るのは、明らかに行き過ぎた御発言であろうかと存じます。匿名を憎むのはご自由ですが、その問題では2ちゃんねるなどを採り上げるべきでございまして、かならずしも匿名とは云えない当方だけを標的にされるのはいささか話をねじ曲げることになるかと存じます。
法的にも道義的にも当方は当方の文章の責任を嫌でも負うことになります。その点は発言者のまったく判らない2ちゃんねるなどとはまったく違います。
インターネットは誰のチェックも入らないというのは小谷野様の事実誤認でございまして、現にこうして小谷野様ご本人のチェックが入っているわけです。あの文章を当方が本にして出したとしても小谷野様の眼につくことはなかったでしょう。
小谷野様もご自身のページを開設されて文章など書かれたらお判りになるかと存じますが、インターネット上では毎日厳しいチェックに晒されるようになります。当方も日々厳しい批判を受けております。
ご指摘お待ちしております。
よろしくお願いいたします。
絶望書店主人
|
小谷野敦氏より | <5> 2002/11/25/18:14 |
絶望書店主人・要約
議論はしないということだったのですが、いろいろ批判を展開される内容でした。遊女の平均寿命に関しては当方の論を受け入れられたようで、それ以外のことは私にはさっぱり判らない論でした。平均寿命以外に『世事見聞録』も掲げていることで遊女が悲惨だったという根拠は充分だとお考えのようです。
2ちゃんねるはすでに批判している。「江戸幻想批判」によって村八分にされて就職もダメになったというようなことも述べておられます。
|
絶望書店主人より | <6> 2002/11/26/09:29 |
小谷野敦 様
お世話になっています。絶望書店でございます。お忙しいところ、ご指摘いただきありがとうございます。
2ちゃんねるにつきましては存じ上げております。さらなる誹謗中傷があったのに何故、批判をおやめになったのか不思議でしたので申し上げた次第です。匿名を問題にされるなら、当方などより2ちゃんねる批判を優先させるべきであるかと存じます。
内容証明、訴状などは絶望書店宛にお送りください。法的効力はなんら変わりませんし、当方は当方の文章に対して嫌でもその責を負うことになります。その意味でまったく匿名などではございません。
「蛆蟲以下の唾棄すべき連中」というのは遊女を無闇と持ち上げる側も悲惨だと嘆く側も、両方のすべての方を指しておりますのでその点はお間違えなきようにお願いいたします。この両陣営はほんとに酷いことをやっていると当方は想っております。
あの文章を書いたあとに『文学界』2000年5月号の岸田秀氏との往復書簡を拝読いたしました。小谷野様は最後に遊女の悲惨さについてはこれを読むようにと『世事見聞録』を註釋なしで引用されており、当方は大変驚きました。いままたこの書名が出てくるということは、あの内容をそのまま信じておられるということですな。
『世事見聞録』は昔の質実剛健の侍を理想とするひとりの武士が、現代(文化13年)の軽薄な社会を徹底的に批判したもので、これをそのまま受け取って江戸時代が暗黒と考えてはならないと戦前の学者でさえ云っているものです。とくに武士が吉原の内情を識っているはずはありませんから、吉原に関する部分はかなり怪しげな伝聞情報です。
また、この吉原の部分を読むとじつはその大半は客商売として当然のことが書かれているに過ぎません。筆者の武陽隠士は昔の武士が理想で客商売など軽蔑の対象でしかありませんから批判するのは当然ですが、現代に生きる方が同じように考えるのは困ったことです。ハンバーガー屋などで数週間もアルバイトをすれば、あの文章の大半はいかに莫迦莫迦しいことが書かれているかすぐ判ることで、あの文章はそのまま受けとめている方はただの世間知らずであるだけだと当方は考えております。
客商売とは関係ない部分も一行づつ分析しながら読んでいくとおかしな記述が大半であることは判ることだと存じます。
遊女の平均寿命の問題も博物館の記述をそのまま受け入れられて、資料批判どころか資料の出処の検証さえされていない。資料を読んでそのまま受け取るだけなら学問も学者も必要ないでしょう。当方は小谷野様の間違いを批判しているのではなく、研究者としての基本的姿勢に疑問を呈しているのです。ましてや、それを根拠に人の研究を批判されているわけですから。小谷野様は遊女の平均寿命については間違いだと認められたようですが、それがいかに重大なる意味を持つかお判りなんでしょうか。
なお、当方は誰と比べて小谷野様が上か下かなどと云っているわけではございません。業界内の権力関係など一介の読者である当方には興味ありません。小谷野様は本を出版されてその対価を受けているわけですから、まず第一に読者に対して責任を取るべきです。「私が江戸幻想派に与しえないのは、吉原の女郎の平均寿命が23歳だと知ってしまったからである」と明言されてそれが批判の最大の根拠となっているあの御著書について、匿名は無責任と批判する小谷野様は読者に対してどのような責任を取られるおつもりなのでしょうか。
近松に関しても世話物と時代物、あるいは近松生前と没後をはっきりと区分けせずに、一人遣いから三人遣いへの変化に関する註釋も附けずに「近松門左衛門は江戸時代には人気がなかった」とだけ記述されています。論争相手にはそれでも通じるでしょうが、文楽や歌舞伎に知識のない一般読者はそのまま近松はまるごと人気がなかったと受け取っているようで問題です。論争相手にはほかの著作も読めということで結構ですが、読者にはそんなことを云うべきではなくこの一冊だけで正確に伝わるように書くべきだと存じます。
私見を述べさせていただければ近松の生前は現代のトレンディードラマ並の爆発的人気で、没後は人形の形態が変わったことで上演は減りましたが時代物は人気があり、世話物も書き替えなどでそこそこは上演され、また読み物としてはずいぶん読まれていて、総じて現在の「近松ブーム」と同じくらいの人気はあったと考えたほうが実情にあってると想います。トレンディードラマ並ではなくなったというだけでして、知識のない方が「人気がなかった」と聞いてイメージされるものとはかなり違うと想います。それも人形の形態というテクノロジーの変化が最大の要因です。
明治時代に近松の世話物は再発見されたとも書かれておられますが、偉い学者が芸術として時代物より上に置くようになったというだけのことでありまして、幕末の上演記録などを見ましても近松の世話物は庶民には結構人気はあったのではないかと存じます。
私見の部分はともかく前段の問題だけでも知識のない方がそのまま受けとめるには問題で、註釋抜きでは出鱈目と云ってよろしいかと存じます。
なお、現代の文楽の復活公演の評価につきましても一人遣いと三人遣いの違いに関する考慮が無く、また歌右衛門丈が戦後の女形廃止論と闘ったことが論じられている渡辺保氏の著作を採り上げた箇所で日本では明治維新時しか女形廃止論は無かったと記されているなど、当方には首をかしげる記述が多いのですが。
『世事見聞録』を読みましても江戸時代の女性はずいぶん自由だったようです。どこの誰かも判らないまったくの匿名でいろんな相手を批判をしている武陽隠士の云うことなど小谷野様は信用されないやも知れませんが、自由な女性についての記述はまったくの伝聞でもないようですし、当方はそのまま受け取っております。
小谷野様の御著書にも「昔の農村ではセックス相手の選り好みがあまりなかったかもしれない」「愛のないセックスはいけないという観念はなかった」ということが記されていますので、もしそうであればSMでも強要しない限りはセクハラだとか強姦などはほとんど成立しなかったのではないでしょうか。
また、遊女がまるでアウシュビッツのような目に遭ってたの如くの論述が世間に多いのは、当方には看過できない問題だと想っております。明らかな偏見をもとに遊女の平均寿命などの情報が一人歩きしております。
当方は「前近代の日本人は聖なる行為としてセックスしていた」なんてことはどちらでもあまり重要ではないと考えておりますが、現代でも性行為を聖なるものと考えている方はおりますし、風俗嬢やAV女優を菩薩だと半ば本気で考えている方もおります。中世以前にも一応そのような考えはあったようですし、近世にもあって不思議ではないと想っております。
小谷野様はそのようなことは論証不可能と仰っておられますが、反対に近世だけ聖なる性行為という観念がなかったと証明できるということなんでしょうか。その点も当方にはうまく読み取れなかったのですが。なお、繰り返しますがこの点は当方にとりましてはどちらでもいいことです。
当方はとりあえず佐伯氏の本を出鱈目ということにしてもいいと記しただけでして、実際にすべて出鱈目と考えているわけではございません。『遊女の文化史』は史実と見ると問題ですが、文学と現実の違いはきちんと判っていてあえて文学を論じた本であるとあとがきにも記されておりますし、また小谷野様の仰る「詩」としての価値も一応あると考えております。少なくとも『江戸幻想批判』よりは遥かに立派な本と考えておりまして、小谷野様によって絶版に追い込まれたのが事実ならまことに残念なことです。
当方は佐伯氏などはどうでもいいのです。『江戸幻想批判』によって遊女の平均寿命などのおかしな知識が広まってしまったことに対して、小谷野様は読者にどのような責任を取られるかということが問題なのです。業界内で村八分になろうが就職が駄目になろうが、読者に対しての責任を取っていないことのほうが問題なのです。その読者のなかには当方も含まれているわけです。読者よりの疑問を封じ込めてしまおうとする小谷野様のご発言はまことに残念です。ほかの間違った論を排するためなら間違った論を広めてもいいと小谷野様が考えられているわけではないと存じますが。あるいは業界内のほうが大事で読者などどうでもいいということなのでしょうか。
資料を批判的に読んでないことだけでも江戸時代の文献をいろいろいっぱい読まれたことはすべて無駄だったのではないかと存じますが、それ以前に吉原の遊女の定年についてご存じなかったというのが信じられません。「傾城は二十八にてヤツト足袋」なんて川柳をご覧になったことはないのでしょうか。それで他の方が江戸文学を読んでないと非難されているのでしょうか。遊女の定年を識っていて平均寿命23歳などと仰っているのなら、それはそれでまた問題ですが。
小谷野様のことを江戸文化に詳しいと信じてその記述をそのまま受け取っている多くの読者に対して何らかの釈明をなさるべきではないでしょうか。これは当方みたいな詰まらない者の疑問に答えるなどという卑小な次元の話ではなく、小谷野様ご自身の問題のはずです。当方は議論をしているのではなく、読者としての素朴な疑問を表明しているだけなのです。
なお、先にお断りしておきました通り、小谷野様と当方のメールを当該の文章に添えて掲載させていただきました。
絶望書店主人
|
小谷野敦氏より | <7> 2002/11/26/10:25 |
絶望書店主人・要約
とにかく遊女は悲惨で、学術論文を書けとかいう内容です。当方には何を仰っているのかよく理解できませんので、うまく要約できません。恐縮です。
|
小谷野敦氏より追伸 | <8> 2002/11/26/10:56 |
絶望書店主人要約
とにかく江戸時代の女性は不自由で、現代において性が神聖だと考える人がいるのはキリスト教の影響で、絶望書店主人はバカだという内容でした。
|
小谷野敦氏よりさらに追伸 | <9> 2002/11/26/19:09 |
絶望書店主人・要約
「世事見聞録」についての当方の論拠を問うことと、平均寿命についての訂正で当方の名前を出したいので本名を問う内容です。
|
絶望書店主人より | <10> 2002/11/27/11:48 |
小谷野敦 様
お世話になっています。絶望書店でございます。
2ちゃんねるへの批判をいまもお続けになっていると存じ上げませんでした。その点は大変失礼いたしました。
戦前の学者云々は当方の完全な勘違いで大変申し訳ございません。青蛙房版『世事見聞録』の解説で滝川政次郎氏が本庄栄治郎氏の文章を引きながら記していることを本庄氏の論だと想い込んでおりました。しかも、滝川氏もこの本は暗い面のみ取り上げたものでそのまま江戸時代が悪いと考えてはならないが、個々の事実に誇張があるわけではないとも記しておりますので、二重に勘違いでありました。一応、本庄氏も「時弊を高調し過ぎたる点なきに非ざる」とは云っておりますが。
ただ、あの書は明らかに偏った考え方の特定の立場の者が悪いことだけを書くぞと宣言して書いたもので、伝聞情報も含まれているから気をつけて読まねばならないということを当方は述べているだけです。当方も自由な女性についてはこのまま受け入れているので、貴重な文献であることは当然です。
なにもこの本に限らず歴史資料を読む場合はすべて書かれた背景を考慮しながら批判的に読むのは当然で、研究者のイロハのはずですが、どうも小谷野様にはまだお判りではないようです。当方は小谷野様の間違いを批判しているのではなく、註釋なしであの書の吉原の部分を提示する姿勢を問うているのですが。
『世事見聞録』では、常連客が犯罪を犯したとき警察に突き出すのは遊郭の楼主が恩義を識らないためで人間ではないと無茶苦茶な批判をしております。とくに吉原の部分はこういう偏った考えをもとに書かれた文章であることはまず念頭に置いておくべきでしょう。
愛想が悪くて客が怒り出した場合は遊女は叩かれると書かれておりますが、これは客商売として当然のことであります。現在でもこんなことをすれば怒鳴られますし、殴られることもあります。遊女の仕事がなんであろうと先に金をもらって契約をしているのですから真面目に働くのは当然です。武陽隠士にとって嫌な客に愛想笑いするなんて卑しいことでしょうが、こんなことを批判されても困ります。ハンバーガー屋であろうと風俗であろうとこの点は変わりません。
よく悲惨派の人が云う遊女の睡眠時間は短いというのがここにも出てきます。客が寝ても遊女は寝てはいけないという決まりはあったようですが、実際には遊女が寝ている間に客がかんざしを盗んで逃げたなんて話がよくあるのは江戸時代の文章をよく読まれている小谷野様にはご承知のことでしょう。そもそも、客と添い寝している遊女がほんとに寝てるかどうか遣り手婆にどうやって判るのでしょうか。また、遊女がずっと起きてるかどうか見張るためには遣り手もずっと起きていないといけませんし、働きの悪い遊女のために専属の遣り手婆をつけるのは不合理です。この点だけでもこの文章は疑問があります。
また、悲惨派が吹聴する働きの悪い遊女は飯抜きになるということも出てきます。こんなことは釈迦に説法ではありますが、吉原というのはただヤルために行くのではなく、まず芸者や太鼓持ちを呼んで宴会を開きます。そして、馴染みの遊女を宴席に招きます。ご指名があると遊女は毎日でも御馳走がいただけたわけです。ご飯を抜くというのは単なる罰ではなく、もっと頑張って客を獲得するように仕向けるという意味もあります。ただ腹を空かせるだけならもっと愛想が悪くなって経営者も損をしますが、商売人はそんな不合理なことをするとは想えません。
折檻の話も出てきますが、何度も折檻しないと云うことを聞かないような遊女はさっさと岡場所に売ったほうが合理的ですし、現にそうしていたようです。わざわざ折檻要員に金を払うなど商売人としては勘定が合いません。云うことを聞かせるために厳しい遣り手婆はいたんでしょうけど、折檻が中心と考えるのは経営的合理性から見て無理があり過ぎます。
折檻によって日常的に死人が出ていたようなことを云う方もおりますが、あまりに週刊誌のエロ記事的で、弘化の梅本屋佐吉のようにはっきりした記録のないものはあまり信用すべきではないと想います。梅本屋はほんとに経営が苦しかったようで遊女にあたるしかなかったんでしょうが、ほとんどの時代は景気の良かった吉原でここまでする理由はないと想います。
総じて『世事見聞録』の吉原に関する記述は当方はあまり信用できません。第一にどこから仕入れたか判らない伝聞情報ですし。偏見に充ち満ちておりますし。
小谷野様が近世の遊女が悲惨だということの根拠に挙げておられるのは平均寿命23歳と『世事見聞録』だけだと想っておりましたが、ほかにもございましたらご教示ください。少なくとも『江戸幻想批判』にはほかに無かったと存じますが。
なお、親の借金で遊郭に売られることが悲惨であることは当然で、議論の余地はございません。当方が問題としているのは売春以外にも遊女はこんなに酷い目に遭っていたと得意気に吹聴する者が多いことでして、平均寿命23歳や『世事見聞録』はこちらの範疇に属します。偏見によって事実をねじ曲げ遊女を不当に貶める行為で、またいじめられる遊女の姿を勝手に想像して嫌らしく慾情しているとさえ考えております。こういう輩を当方は憎んでおります。
さて、小谷野様は江戸東京博物館がどのような資料作成をしたのか調べもしないで、平均寿命23歳は誤りで訂正するなどとまた同じ決定的な失敗をされております。一時資料と照らし合わせてみないと博物館の展示データがどういう意味を持つのかは判らないはずです。当方も問い合わせたわけではなく推測で書いているだけですので、最終的な確信を持っているわけではございません。素人の当方にも判る手順がどうしてお判りにならないのでしょうか。
平均寿命23歳などという単純なトリックに引っかかったのは何故なのかまだ理解してはおられないのでしょうか。また、こんなトリックに引っかかることが研究者としていかに致命的なことであるかも理解しておられないのでしょうか。
なお、訂正された場合は当方の名前、もしくは絶望書店の名前は出さないようにお願いいたします。そもそも、当方は訂正を求めたわけではないのですが。
女性の自由度に関してですが、現代でも避妊をせずにいろんな相手といたしている女性は数多くおられます。こういう方はあとで困るのかも知れませんが、性的に自由と云っていいのではないでしょうか。江戸時代もあまり変わりはなかったと想っております。
もっとも、自由というのは誰とでもやるといったことではなく、妙な抑圧が少なかったと云うことなのですが。小谷野様は『世事見聞録』に出てくる自由な女性についてどのようにお考えになるのでしょうか。
田中優子氏などが現代のポルノについてどのように考えようと、それによって江戸時代の史実が影響を受けるわけではございません。業界内の党派争いと史実との区別がどうしてできないのでしょうか。また、どうして当方をどちらかの陣営と位置づけないといけないのでしょうか。
当方は何度も申しますように遊女を無闇と持ち上げる側も悲惨だと嘆く側も、両陣営とも問題があると考えております。ただ、礼賛派は「礼賛」という評価のみで事実を決定的に歪めるということはあまりしていないと想います。「聖なる性交」などというのはまあ見方の問題ですし、大した話でもありません。悲惨派は「悲惨」という評価を元に平均寿命23歳などの明らかな事実のねじ曲げをいくつも犯しております。その事実を正しても小谷野様のように「悲惨」という評価を変えない方はおりますが、評価の方を変えろと云っても無駄でしょうし、とりあえず当方は事実のみを問題としているのです。
当方を詰まらない業界内の党派に位置づけようとするのはまことに迷惑千万ですのでご容赦ください。そもそも小谷野様がそんなことに血道を挙げられて、いまだに佐伯順子氏にこだわるのが何故なのかがまったく判らないのですが。
近松につきましてはメールを拝見してまた判らなくなってしまいました。小谷野様の「近松」という言葉は「近松全体」を指しているのか「近松の世話物」だけを指しているのか曖昧で、当方にはうまく読み取れないのです。
>現在の「近松ブーム」と同じ程度、というのは、現在と当時の観客の、全日本に
>おけるパーセンテージの違いというものを理解しておられないようですね。
ということは近松以外にも現代の基準からは人気の舞台やベストセラー本はひとつも存在していなかったという意味でしょうか。
当方は同時代のほかの作家と比較して生前はトレンディードラマ並、没後は現在の「近松ブーム」並と云っているのですが。江戸時代の上演記録を見ますと近松の世話物は社寺や地方が多いものの、没後もわりと上演されています。当方は詳しくは識りませんが一人遣いの上演もあったのではないでしょうか。歌舞伎では『曽根崎心中』などもそこそこ上演されておりますし。なお、現在の「近松ブーム」で実際に舞台を観たり本を読んだりしている方はそれほど多くないと想っております。
もう一度、近松の世話物と時代物、生前と没後、絶対数と総対数(相対数でした)を明確に区別しながら説明していただけると幸いです。最初から申し上げておりますように、内容ではなく区分けが明確でないところが問題なのですが。
また、当方が『江戸幻想批判』で一番謎だったのは戦後の女形廃止論が何故か触れられていないことで、こちらも説明していただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。
絶望書店主人
|
小谷野敦氏より | <11> 2002/11/27/13:02 |
絶望書店主人・要約
「世事見聞録」に異論があるなら学術論文を書きなさいということ。党派争いではなくまともな学問を求めているということ。他の作者に比べて近松が過大評価されているということ。当方が『江戸幻想批判』に対してアンフェアであるというような内容です。
|
小谷野敦氏より追伸 | <12> 2002/11/27/14:01 |
絶望書店主人・要約
性が神聖という考えは「見方」ではない。『傾城買二筋道』などを見ても遊女は悲惨。江戸時代の女は不自由。絶望書店主人はふざけているので恥を知れというような内容です。
|
小谷野敦氏よりさらに追伸 | <13> 2002/11/27/14:15 |
絶望書店主人・要約
絶望書店主人は胡乱な者なので、『遊女の文化史』を褒めると佐伯順子さんも迷惑というような内容です。
絶望書店主人・注釈
『遊女の文化史』のアマゾンレビューを小谷野氏は書いておられたのですね。2006年のいま初めて気づきました。懇切丁寧に解説して差し上げたつもりだったのですが、いまだよくお判りではないようです。
『遊女の文化史』はあくまで史実ではなく文学を論じたもので、いろいろ問題もありますが、さすがに平均寿命23歳のような遊女や江戸時代に対するあまりに初歩的かつ致命的な知識不足は示しておりませんし、また現代の近松評価と江戸時代の近松人気というまったくなんの関係もないものを混同するほどの支離滅裂さもありません。まあ、値段分の値打ちはある本なので、一読されてもよいものだと想います。
|
絶望書店主人より | <14> 2002/11/27/16:46 |
小谷野敦 様
お世話になっています。絶望書店でございます。早速の返信いただきありがとうございます。
近頃は「惡質な筆者」やら「胡乱な者」やら当方のツボにはまる素敵な言葉をいろいろ頂戴できて嬉しい限りでございます。絶望書店をやってきた甲斐もあったと悦んでおります。
批判というのは相手が改めるまで継続的にするものと当方は勝手に想い込んでおりまして失礼いたしました。ただ、2ちゃんねるに書き込んでいる方々はもう批判されてないと想っているのではないかと存じますが。当方に向けられている情熱をまたぶつけてみられるのも一興かと。
『世事見聞録』には売春を批判した部分もございます。しかし、当方が問題としているのは「酔っぱらいが無理を云うのをもっともと機嫌を取り、泥酔して吐いた客を介抱し、田舍者の髭のゴミも取り」などということを批判した部分でして、こんなのは売春と関係はなく客商売なら当たり前のことです。これを遊女の悲惨というのはおかしいと云っているだけです。
何度も申しますが、親の借金で遊郭に売られて売春されられるのは悲惨なことです。しかし、なんでもかんでも悲惨だと云うのはおかしいと当方は云っているだけなのです。小谷野様は遊女が悲惨だった根拠としてこの部分も提示されていたはずです。武陽隠士や小谷野様などの立派な方々には、客商売など卑しく悲惨なものなのでしょう。
また、平均寿命などの事実でないことを持ち出して悲惨というのはおかしいと云っているだけです。事実であって、遊女特有の問題なら、それで悲惨というのは正しいことです。
いままでのメールを読み返していただければ判りますが、小谷野様は当方がそれほど興味もない佐伯順子氏や田中優子氏の名前を掲げて、こっちはどうなんだとたびたび迫ってきておられます。てっきり党派争いに当方を巻き込むのかと想い込んでしまいましたが、そうではなくまともな学問をやろうとされているだけなら他人のことは気になさらずにひとりで立派なお仕事を続けて行かれればよろしいことかと存じます。
田中優子氏が現代のポルノを良いと想うか悪いと想うかで、江戸時代の性交が聖なるものになったりならなかったりするという理屈は当方にはどうも理解いたしかねますが、まあ、そんなことは気になさらずに。
小谷野様が佐伯順子氏のことを深く愛されていることだけはよく判りました。とても、当方など入り込む余地などございません。軽い気持ちで割り込んでしまったことはご容赦ください。
妙な抑圧が少なかったというのは先にも記しました通り、小谷野様の御著書の「昔の農村ではセックス相手の選り好みがあまりなかったかもしれない」「愛のないセックスはいけないという観念はなかった」というようなことです。もう一度、当方のメールを読み返されたほうがよいかも知れません。
遊女の平均寿命については確認をされていたのですか。どうも、あれは西山松之助『くるわ』を元にしているようで、データには最高齢40歳となっているようで、当方はこの本は未見なので気になっていたのですが。
できますれば浄閑寺の過去帳データをすべてインターネット上に公開して誰にでも読めるようにする作業などをしていただけると幸いです。研究者の方は第一にこういうことをすべきで、これこそ立派でまともな学問であると当方は愚考するのですが。
平均などではないひとりひとりのデータは、充分遊女の悲惨さを広く伝えることができると存じます。
当方のメールを読み返していただけるとお判りいただけるかと存じますが、当方は小谷野様の間違いを批判しているのではなく批判的な資料の読み取りなどをされるように申し上げているだけで、これからはつまらないトリックなど引っかからずに立派なお仕事を成されるのならそれでよいのです。訂正されてもまた同じようなことをされるのなら意味はございません。
近松に関してはほかの作者の重要性を述べるのにわざわざ近松が人気がなかったなどと云う必要はないはずなのですが。どうも、二項対立の図式にもっていかれるのがお好きなようで。
論文というほどのものではございませんが当方も近松については少々書いておりますので、「近松の逆説」と次の「二人近松」をお読みください。
小谷野様の評価といやに重なるので当方は笑ってしまいましたが。この文章は『江戸幻想批判』を拝読する半年前に書いたものですので、その点は誤解無きようお願いいたします。評価は同じでもこういう具合の近松もいいけど近松半二はもっといいというような書き方もあるのではないかと存じます。
久本福子氏の『文化ファシズム』はあの妄想によって幾人かの方々の深い感動を呼び起こしているのです。ウェブ上で検索されてみればお判りいただけるかと存じます。当方も感動をもらったひとりなのです。読者に感動をもたらす以上の読者への責任の取り方がほかにあるでしょうか。
小谷野様はもう読まれたのでしょうか。まだでしたらぜひご一読ください。
本日の2通の追伸で、当方にもようやく小谷野様の御著書が多くの方々に愛読されている理由が判ってまいりました。当方は『江戸幻想批判』しか読んだことはなかったのですが、これからはほかの御著書も拝読させていただきます。
絶望書店主人
|
小谷野敦氏より | <15> 2002/11/27/18:50 |
絶望書店主人要約
近松半二よりも近松門左衛門が優遇されているのは西洋の恋愛観の影響で、江戸の性愛を礼讃するのも西洋の影響。佐伯氏や田中氏などの似非学問は批判していくという内容です。
|
絶望書店主人より | <16> 2002/11/28/06:54 |
小谷野敦 様
お世話になっています。絶望書店でございます。
我々は残念ながら近松の本当の舞台を観たことがありません。現在の三人遣いや実験的に行われた一人遣いの人形の舞台は、おそらく当時のものとは懸け離れているんでしょう。演劇は演出でまるっきり違うものになりますから、我々の抱く認識がどれほど正しいものかは考え物です。
近松の時代物は読み物としておもしろいですよ。近松半二よりも読み物としてはおもしろいと想います。これは半二のほうが人形や舞台をよく判っていたということなのやも知れません。しかし、その半二も江戸時代には必ずしも人気があったとは云えません。
歌舞伎に移されてからのことはよく識りませんが、文楽では大ヒットした『妹背山婦女庭訓』以外はあまり客は入らなかったはずです。あれほど素晴らしい舞台が何故それほど受けなかったのか、不思議ではありますが。
先のメールで示した当方の文章をお読みいただければお判りいただけると想いますが、あたくしは近松門左衛門より近松半二のほうが断然優れていると考えています。しかし、自分はほんとうの近松門左衛門をどの程度識っているのだろうかという疑問は、絶えず頭の片隅に置いています。
何百年前の歴史や文化を読み解くなんて、およそ人間の知的活動としてはもっとも難しい部類に属する探求です。眼の前にある資料を批判的に疑問を抱きながら読み解くことも大切ですが、己がどれほど正しい認識を抱いているのか絶えず自分自身に批判的に疑問を抱き続けることがさらに重要なことだと想っています。
べつに難しいことを云っているのではなく、歴史に対して謙虚になるという当たり前のことです。
「平均寿命23歳」の駄文からこのメールのやり取りに至るまで、あたくしが一貫して主張しているのはこの一点だけなのです。
あたしくは歴史や昔の文化についてはまったくの素人で知識も御粗末なものです。しかし、資料を疑ったり自分自身を疑ったりする姿勢はつねに忘れていないつもりです。いや、忘れることはちょくちょくありますが、強いて想い出すように努めています。
あなたは三日前まで吉原の遊女はほとんどが23歳で死んでしまうと考えていたわけです。これは単なる数字の間違いではなく、江戸時代の世界観全体を掴み損なっていたということです。
ここで反省していままでの自分自身の江戸時代の認識を総点検し、これからも自分自身の認識を絶えず批判的に疑うようになれば平均寿命23歳の失敗は財産になると想います。しかし、数字を訂正しただけで、相変わらず自分は江戸時代の文献をいっぱい読んでいるのだから江戸文化に詳しいのだと傲慢なる姿勢を続けるのなら何にもなりません。
少なくともいままで23歳で死んでしまうと考えていた人たちがもっと長生きできると判ったのなら、素直に喜ばないと生きた人間を視ているということにはなりません。生きた人間相手の感情のこもっていない「悲惨」などという言葉になんの意味もありません。
あなたひとりだけに向かって云っているつもりはありません。歴史や昔の文化を探索しようとしている諸氏すべてに伝わればと想ってあの文章は書きました。あなたはお笑いになるやも知れませんが、ウェブ上に文章を晒すとはそういう可能性が幾分かでもあるということです。
幸いあなたにもいくらかは届いて、またその連鎖反応として多くの方々にこの文章を読んでいただけることができました。
対象を疑って、己を疑って、考えて考え抜けば視えてくるものはあるとあたしくは信じています。ほんとうに考えて考え抜けば、平均寿命23歳などという間違いは決して起きないと信じています。これは自戒の言葉でもあります。
あたくしのような者とのやり取りにお付き合いいただきありがとうございました。
絶望書店主人
|
小谷野敦氏より | <17> 2002/11/28/10:20 |
絶望書店主人・要約
謙虚になれというのはいけない。遊女の平均寿命はきちんと調査しても数年増えるだけ。2ちゃんねるは北朝鮮。近松門左衛門の文章は感動しないというような内容です。
|
絶望書店主人より | <18> 2002/11/29/04:55 |
小谷野敦 様
お世話になっています。絶望書店でございます。お手紙いただきありがとうございます。
なにか愉しいものでも同封されているのかなとちょっぴり期待したのですが「冠省 本当にこの住所氏名で届くのか、試しに送ります」だけではいささかさびしい気もいたしましたが、これで絶望書店主人という名前は総務省も認める通名としてご容赦いただけますでしょうか。
不躾ながら、返信はこのメールにて代えさせていただきます。
傲慢を通すにはそれに見合う知識や見識が要求されてなかなか辛いものです。知識が追いつかないと単なる嘘つきや莫迦のように見られてしまいますから。しかし、小谷野様ほど江戸時代の歴史や文化に通じた方なら問題ないでしょう。なにせ、遊女の平均寿命は調べ直しても数年上がるだけという画期的な新説を打ち立てられているほどですから。
23歳から数年上がるだけということは、28歳で年季明けした女性たちはほとんどすぐに全員死んでしまうということになります。日頃、遊女の悲惨さに心を痛められておられる小谷野様が訳もなく遊女は早く死んでしまうほうがいいような発言をなさるはずはございませんから、必ずや決定的な根拠を握っておられることと存じます。
今回のやり取りはいまのところ1000人くらいの方々が見守っているようでして、なかには小谷野様のお言葉を疑って2ちゃんねるに「平均寿命のことをまだ判ってないのか」みたいな書き込みをしている不心得者がおります。小谷野様の画期的研究を見せつけて、こんな根拠のない想い付きを垂れ流す口先だけの輩を黙らせてやりましょう。
とくにあたくしが感服いたしましたのは遊女の平均寿命は調べ直すということのほうでして、何万人いるかも判らない吉原を出たあとの女性たちをどうやって追跡調査して寿命を出すのか、凡夫のあたしくには想像もつかない革新的調査方法を編み出されたのだと存じます。これだけでも素晴らしいことで、ぜひ調査方法だけでも先に発表していただけると歴史調査の進歩に決定的貢献となります。もちろん調査結果のほうも、あたくしを初めとして1000人の方々が固唾を飲んで待っております。これが小谷野様の江戸時代研究の価値を決定付けるすべての中心になると信じます。
江戸文化だけではなく現代の歌舞伎にも造形が深く、また戦後の女形廃止論を歌右衛門丈のひとつの画期としている渡辺保氏の本を論じられた小谷野様が戦後の女形廃止論をご存じないはずがなく、あたくしなどには計り知れない深謀遠慮によって不勉強などと仰ってるのだと想います。
当方は戦後の女形廃止論を歌舞伎史全体から見ても大きなポイントと考えておりまして、恥ずかしながら駄文などもしたためておりますので「中村歌右衛門とヲタク魂」をご笑覧いただけると幸いです。
2ちゃんねるでは小谷野様ほどの知識も見識もないくせに文体だけは小谷野様のメールの文章をそっくりマネたような輩が数多く跋扈しておりまして、またこの連中がなんの根拠もないのに歴史事実をゆがめるような珍説を振り回しながら専門家ヅラをして社会に害毒を流しております。
ぜひ、小谷野様のお力でこんな無智蒙昧なる輩を打ち倒してください。お見受けしたところ、以前に2ちゃんねるに乗り込んで行かれた頃より数段パワーアップされているようですし、小谷野様なら必ずやあんな連中は一掃できるものと信じております。
とにかくあたくしなどの軽輩はとても小谷野様のお相手を務めますのは不足に過ぎます。ぜひ、2ちゃんねるで闘っていただけますよう。またもや、小谷野様の悪口を云うようないかがわしい連中がわいてきておりますし。議論でどうにかすることはできないとは、実力行使もあるとの心強い宣言だと受け止めました。
各方面での小谷野様のご活躍を祈っております。おそらく小谷野様からいただいたメールを読む者は最終的に数千人に達すると存じますが、その方々の期待と注目が一身に集まっていることをお忘れにはなりませぬよう。
それでは、これにて本日打ち切りとさせていただきます。ありがとうございました。
絶望書店主人
|
|
<参考資料>
『文学界』2000年5月号の岸田秀氏との往復書簡に於いて小谷野氏が遊女の悲惨さについてはこれを読むようにと引用した『世事見聞録』をここに再引用する。上記の議論の参考にされたい。
ちなみに、岸田秀氏も江戸東京博物館の「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という展示を見てそのまま受け入れておられる。こういうおふたりが遊女は悲惨だったかどうかを延々と討論しているわけで、にっぽんの言論界というのはこういうことになっているのですな。最近の本を読んでなくてほんとうによかったとあたくしは想いました。
なお、青蛙房版『世事見聞録』はいまでも入手可能。筆者のキャラといい、その私怨ぶりといい、あらゆるものをぶった斬るその罵倒ぶりといい、いろんな意味で無茶苦茶面白いので一読をお奨めする。
「私としては、この辺でいったん往復書簡を打ち切り、読者諸賢の判断に委ねたいと思う。岸田氏はさらに続けたいと言われるが、また別の機会に譲りたい。ここでは、返答の代わりに、武陽隠士の『世事見聞録』(岩波文庫、品切れ)から、徳川後期の遊里の実態を描いた部分を引用しておきたい。 小谷野敦」
売女は悪む(にくむ)べきものにあらず。ただ憎むべきものはかの忘八と唱ふる売女業体のものなり。天道に背きたる業体にて、およそ人間にあらず。畜生同然の仕業、憎むに余りあるものなり。
その所業、まづ人の愛子なるものをわづかの代金にて買ひ取り、一家の内に飼鳥の如く籠め置き、情根限り実情を尽くさせ、また血気の若者どもを放蕩に引き入れ、親に難渋を懸けても勘当を受けても、妻子離別に及ぶも構はず、全く人の物を掠め取る事も遠慮なく、そのほか盗み・かたり・出家・穢多・非人も厭はず、追剥・人殺しも賓客と取りはやし、愛敬を取り飾り、身上のある限りを奪ひ尽すなり。その奪ひ尽したる人零落する時、いささかも目に懸けず、尋ね来たりしとても、以前に替り茶一つだに与へず。もしまた右の賓客の内に、御法度を犯し、公儀の御尋ねものあれば、内訴して縄目に及ぶなり。その内に、従来我が方へ奪ひ取りたるより起りて、御法度を犯せしものもありけれども、その境にいたつてはさらに従来の恩義を頓着なく、十分に剥ぎ取りたる上に罪人に堕す事にて、人間の所業になき事どもなり。
(中略)
さてまた右の婦人ども(遣手婆=小谷野注)が売女を責め遣ふ事、まづ心の塀怠起らざるやうとて、常々食事をも得と給べさせず、夜の目も眠らで客の機嫌をとるやうにと時々に改め、もし眠りたる体か、または愛敬の宜しからざる体の見ゆる時は、厳しく叱り責むるなり。売女はその叱り責めらるるを怖ぢ恐れて客を大切に取り、あるいは生酔の無理の上の無理をいふをも、もつともと機嫌を取り、また熟酔して酒食みに溢れて吐潟するをも介抱し、また親子兄弟の見堺もしらざる傍若無人も愛情に懐け、また田夫野人の髭のちりをもとり、また我が親の年齢より倍増したる白髪の老人をもなでさすり、懐き抱へて機嫌を取り果せ、右体様々の客を、一昼夜の内に三人五人、また六人七人をも懸り合ひ次第相手に致し、我が心中の悲歎を隠してそれぞれに笑顔を見せ、その向々の機嫌任せに情根を尽すなり。もしその機嫌を取り損じて客の盈れ(あばれ)出したる事あるか、また不快にて不奉公をいたすか、また客来たらで手明きなる時は、ことごとく打榔に逢ふ事なり。これみな老婆が目付役にて、妻妾娘分なるものの指揮する所にて、鬼の如き形勢にて打郷するなり。その上にも尋常に参らざる時は、その過怠としてあるいは数日食を断ち、雪隠そのほか不浄もの掃除を致させ、または丸裸になして縛り、水を浴びせるなり。水湿る時は苧縄縮みて苦しみ泣き叫ぶなり。折々責め殺す事あるなり。昔はかほどの叱責はなかりしなり。諺にも、遊女は一夜の妻、一日の夫といひて、一昼夜に客一人二人ならではとらぬ事なり。一人二人ならば機嫌を取り損ねる事はなし。
|
阿佐ヶ谷ラピュタで『赤頭巾ちゃん気をつけて』をやってたので観てきました。
内容はともかくとして、これほど配役が完璧な映画をあたくしはほかに識りません。とくに由美役の森和代は秀逸!怖い貌してこっちを睨み附けてる女の子です。
冒頭のエンペドクレスのサンダルのくだりなどはこのコンビでないととても成立しないでしょう。いや、さすがにこの場面はこのふたりでも苦しいか。
ちょうどいまファミリー劇場でテレビドラマ『兄貴の恋人』を放映してまして、鈍感な兄の夏木陽介に近親相姦的思慕を寄せる妹役を、またもや怖い貌して睨み附けながらやっております。
これほどへたくそな演技がぴったりはまって魅力にまで転じることのできる女優が果たしてほかにいるでありましょうか。いや、おるまい。なんせ、ぶすっとした表情で相手を睨み附けながらぶっきらぼうに喋るのに、不良でも委員長でもなく、山口百恵のような薄倖キャラでもなく、天眞爛漫な可愛い子ちゃんというなかなか得難い位地を占める特異なるキャラなのであります。
森和代というのはもともと『装苑』のモデルだった方で、二十歳で3作品(つまり上記のほかにはひとつだけ)に出演し、二十一歳で森本レオの嫁さんになって引退してしまった幻の女優なのです。
ぬおおおお!おのれえー森本レオめー!森和代を返せぇー戻せぇー!もっと睨ませろー!いやいや、あたしだけを睨み附けてぇー!あー!
まあ、もっとも、帰せと云われるうちが花か。ぴっちりかっきり1970年だけというのも見事だし。岡田裕介も好きだったのに、若いうちに完全に消えてくれさえいたら・・・・
森本レオはまだ名古屋でDJをやっていて、ラジオの放送で猛烈なアタックを掛けて強引に結婚まで持っていったそうです。森和代を嫁さんにしたあとに上京して俳優になったそうで、森本レオ・・・・・、なんだかあんたはやっぱり偉い。
ところで、いまのお若い方は『赤頭巾ちゃん気をつけて』なんて読んでるんですかね。あたくしは軟弱者なので、サリンジャーよりも庄司薫のほうが好きだったりします。
ああああー、「軟弱者」ってぶっきらぼうに云われて睨まれたい~~
※追記
原作の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んでピンとこなかった方でも、そこでやめてしまうのは惜しいです。薫くんシリーズ四部作の完結編『ぼくの大好きな青髭』は、その前の三作とは数段違った傑作です。若いうちに読むことをお奨めします。