絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2004/3/1  未映子が来る!

 あたくしが定期的に読んでいたページは2ちゃんねる研究とwad’sの本のほうくらいで、ふたつとも休止してしまってもう1年近くも読むものがない。2ちゃんも1ch祭が終熄してからはわざわざ読むようなスレはないし、 坂本正治氏がどうなってしまったのか誰も教えてくれんし、つくづくと読むものがない。もとより、雑誌や新刊本で読むほどのものはありゃせんし。
 この渇き切った肉體をいったいどうしてくれるのよとひとり身悶えていたおりもおり、ひょんなことから未映子という歌手の方のサイト(※昔、ビクターにあったサイトで、今は閉鎖。フラッシュだけで構築されていたため、インターネットアーカイヴにも残されていない。)を識ったのでありました。
 ここの日記はなんかちょっと凄いぞ。vol.0006の「曖昧な、あまりに曖昧な」だけでも黙って読んでみなはれ。
この人は『月刊ソングス』という雑誌に「第九感界彷徨」とかいう文章と詩を連載しているのだけど、これがまたたゆたう如きの妙ちきりんなリズムを刻んでいて凄いぞ。いや、詩がほんとうに凄い!
 この雑誌はドレミ楽譜出版社の雑誌営業力の弱さなのかなんなのか、大きい本屋にもまったくはいっていない。毎月あちこち捜し歩いて読むはめになっている。どうも、本屋より本も置いてるレコード屋のほうが確実らしい。
 さても、この期に及んで雑誌を探し求めてまでむさぼり読むことになるとはこの絶望書店主人、夢想だにしておらなかった。それも、十代向けの音楽誌を、よりによって詩を読むためにほうぼう訪ね歩くことになろうとは。
 騙されたと想って諸氏も一回読んでみなさいな。ウェブ上からも買えるし、500円だから絶対に損はない。
 絶望書店日記を読んでる編集者は多いみたいだけど、早い者勝ちですぞ。いま現在、これほどの文章の書き手はほかにはおるまい。おるなら教えてほしい。もっと適した場を得れば大評判になること請け合い。諸氏の眸がふしあなでなければ一読たちまち首肯する。
 これで当面、読むもんには困らんな。果てしなき砂漠を彷徨い、やれやれと一息つく。
 なんか歌も聴くようになったりしてるし。あたしが義太夫や長唄以外の音楽に接するなんてジッタリン・ジン以来か、何年ぶりだ。

 ところで、この未映子オフィシャルサイトは日記の目次に日付とタイトルさえ入れていないようにほんとに酷い造りになってるけど、驚くべきことにすべてのページが検索拒否になっておる。それもロボット拒否の下にはグーグル用のロボット拒否も入れるという二重のブロックをかける念の入りよう。おまけにsnippet表示拒否までしている。
 スニペットというのはグーグルの検索結果に表示される説明文のことですが、これの表示拒否をあたしは初めて見た。そもそも、これを拒否するというのはどういうことなのか。検索に引っかけるためだけにキーワードをずらずら並べたページならバレないように隠す必要もあるのやも知れんが。どういう場合に表示拒否をするものなのか、ご存じの方はご教示いただきたい。
 いかにして検索に引っかかりやすくしようかと皆さん苦労している世智辛いこのご時世に宣伝サイトが検索拒否をするとは。リンク拒否はよく聞くけど、こんなのはほかにあるんでしょうか。
 まあ、レコード会社はいまはどこも苦しくてサーバ代をケチるために売れてない歌手のページはできるだけアクセス数を抑えようとしているんだろうけど(いろいろ考えたがあたしにはほかに理由が想いつかない)、それなら表紙のアニメを飛ばして直接日記に誘導すればよさそうなもんで、どうもよく判らない。
 もともと、ここの日記はフラッシュの外部ファイル表示なんて方式を取ってるから検索拒否なんかするまでもなくたぶん検索もできないし、直接リンクも張れないようになっている。最初から未映子を識ってる方しか辿り着けず、偶然読む可能性がゼロだ。
レコード会社もプロのウェブページデザイナーも腐り切っているとは想っていたけど、しかしこりゃまたひどいもんだね。ここのページは絵も未映子が描いてるらしくていい感じだけど台無し。邪魔するためだけに給料もらってるのかね。世の中どうなってるの。
 ほかの人が書いた詩を歌わしたりしてるし、まさしくふしあな。スーツ権とかコモンズとかそんな高尚なことをとやかく云う遙か以前の世界であります。たんにド素人が訳の判らんことをやってるだけのことで。
 これだけの文章書きが読書系サイトでもまったく取り上げられていないのは奇蹟としか云いようがありませんが、ひとえにこの検索拒否によるものでありましょう。

 そう云えば昔よく読んでいた硯海(けんかい)というサイトがありまして、ここは基本的に廻文のページなんですが、あたしには型にはまった廻文はつまんなくて、こっちにある散文が好きで、更新が停止されてからもときどき覗いては再開されないかともう4年も待ってるのですが。
 この方の廻文は自費出版されてタコシェなんかで売ってるみたいですが、散文は載ってなくて残念であります。
 なんか急に想い出した。やっぱり、読むべき書き手がひとりだけではまたいつ読めなくなるかはなはだこころもとないのでいろいろあちこちにいてほしいもんではあります。


2004/2/16  幻想の徒、現実に溺れる

 絶望書店日記をはじめた時にせっかくだから宣伝でもしておこうかといまはなきとある日記系サイトに登録したのですが、そこには「メディア日記」という分類がありまして、あああたしがこれからやろうとしているのはメディア日記なのかとその時初めて気付いたような次第でありました。
 本の話だけではなく、遊女の話も少年犯罪の話もあくまで情報の流れ方の力学を問題としていて、対象そのものにはさしたる興味はなかったのでありますが、よそさまのサイトを手伝って深入りしているうちに少年犯罪の魅力に取り憑かれてしまいました。いまではあのリストが完成するまでほかのことは何も手に付かないようなところまで耽溺してしまっております。
 あたしには犯罪趣味はまったくなかったのですが。どうも現実に取り込まれておりますかな。小金治も殴ってくれそうにもないし。当面は眸が醒めることもないのか。ほかの何より面白いのだから困ったもんです。

 とにかく、掘っても掘っても次から次から訳の判らん事件が無尽蔵に湧き出してくるのでいつ終わるのか見当も付かなくなってきております。以前に『青少年非行・犯罪史資料1-3 』(赤塚行雄編 刊々堂出版社)には青少年の事件記事のほとんどが掲載されているなんてなことを書きましたが、そうとうに甘かったようで。
 昭和35年(1960)の少年犯罪は東京の記事だけではなく一部に大阪の新聞も参照したなかなかの自信作でありまして、すべての年をこのくらいのレベルにしたいと想っております。このくらい充実していると時代が立体的に把握できるようになる。少年犯罪データみたいなやっつけ仕事とは違って、かなりきっちりしたもんですので、できれば全部お読みいただきたい。
 もっとも、これも少年犯罪だけですから、ゆくゆくは成年犯罪もすべて取り込みたいのですが。できうればすべての地方の新聞を参照して。

 そうなると頼りは諸氏の協力だけであります。
 以前に集結していただけた方々は著作権を廻避するために根本的に違う文章に書き換えるというところになかなかてこずっておられまして、予想よりスピードが上がりませんでした。どうしても元の文章に引きずられるようで、すべてのデータに手を入れざるを得ませんでした。訴訟リスクがあるのでkangaeru2001氏が多少神経質になっていることもありますし、またチェックが追いつかないので募集人員を絞ったこともあるのですが、いまだ完成にはほど遠い状況です。
 すべてのデータに手を入れるといってもいちから書き起こすのと比べると1/10の労力で済みますし、つまり10年掛かるところが1年でできるわけで、諸氏の協力は不可能を可能へと変換するものであります。
 kangaeru2001氏は協力していただける方の募集を再開いたしました。今回はこちらですべてのデータに手を入れることを前提にハードルを低くするつもりでおりますので、お気軽に参加していただければ。
 訳の判らん事件の奔流に溺れることができます。そこには夢のような日々が。白昼夢にひたりたい方はぜひにも。


2004/1/5  君はチューリング・テストを識っているのか!?

 いまだに「チューリングテスト」で検索して9/21 チューリングテスト被験者たちなんつう駄文にやって来る方が大勢いて、さすがのこの出鱈目なる絶望書店主人もまことに心苦しく想っている。
 まあ、これはいたしかたないことではあるが、問題はもっとも重要なるチューリング・テスト再考が検索結果の下のほうに沈んでいることだ。
 ちなみにタイトルに「チューリング・テスト」が入っているので点ありなら上位に来る。本文中には点なしのほうもきちんとあるのに沈んでいるのはほとんど話題になっていないということだ。ひょっとするとひとつもリンクされていないのか!?グーグルの仕組みともども、木の葉が沈んで石が浮く現状はこれでよいのか?!!!!!
 絶望書店日記は人が取り上げるようなことは面倒なので書かないという方針で、こんなのは放っておいても話題になるだろうと1年以上も静観していたのだが、いっこうにそういう気配がないのでしようがないから書いてみる。

 チューリングテストについて聞いた風なことを3年前に書いたわけだが、じつは大した知識を持っているわけではなかった。ウェブ上にある『計算する機械と知性』の翻訳を一応読んではいたのだが、この訳文がまったく壊滅的に理解できない。
 こういうウェブ上の翻訳活動は読み手からのいろんな意見を注入してみんなで成長させるのが筋で、訳者の方もそう望んでいるようでもあるし、とくにあたしのように異国語がまったく駄目な輩にとってこれほどありがたい活動はないのであるからできるだけ協力して大いにツッコミを入れたいところではあったのだが、なんせあまりにも取っ掛かりがなくて「最初から最後まで皆目ひとつも判りません」としか云いようがない。
 これほど訳の判らん文章を読んだのは、ラカンの『エクリ』日本語版序文以来のような気もする。ラカンのほうは誰か新たに訳したりしてんのかね。
 まあ、原文も同じくらい訳の判らん文章である可能性はあるし、それよりもあたしの読解能力や基礎知識が追いついていない可能性はもっとあるし、なにより原文を読む能力がないのであるから訳文についてとやかく云える資格はない。独占権を持って訳の判らん翻訳をされるのは困ったことだが、こういうウェブ上のオープンな翻訳はまことに結構なことではあるので大いにやっていただきたいものではある。

 さて、しかし、あたしに理解できなければあたしにとっては意味がないので、こいつはほとほと困ったなと弱っていたところ、上記の再考を見つけたわけだ。これも検索してうちにやって来る方々に教えてもらったようなもんで、「チューリングテスト」で検索して来る人数があまりに多いので、チューリングテスト業界のいまはいったいどうなっちょるのかと義憤を感じながら時々見ていたわけだ。そのころはまだタイトルが点なしだったのでそっちでは上位にあった。ちなみにあたしが見つけたのは再考の前段階の覚書のほうだったと想う。
 いまでは翻訳部分は異本「計算する機械と知性について」としてまとまっているが(こっちは多少リンクが増えたが、点つきでも点なしでも下に沈んどる)、一読するやあたしにもきちんと理解できる。判る!あたしにもチューリングテストが判るぞ!
 しかも、再考ではあたしがもっとも疑問に想っていた、なにゆえ人間と機械が1対1で対峙するのではなく、壁の向こうに2人用意してわざわざものまねゲームなんかをやらせるのかということについてなかなかスリリングな考察を展開されている。
 結局最後まで読んでもこの疑問点はよく判らんわけだが、この点についてウェブ上で大いに議論が展開されるだろうと想っていたのにリンクさえ張られてないとはまことに嘆かわしい。
 チューリングは説明の必要さえ感じてないようであるのにあたしに判らんというのは、あたしに認知科学の基礎が欠けているからなのか、英国の遊戯についての感覚がないからなのか。

 異本の最後の訳者コメントにはこのテストはあくまでデモンストレーションのためではないかという考察があって、そうであるならなかなか興味深い。デモンストレーションによって受け手に納得させることが機械が知性を持つ証明になるという二重のチューリングテストになっているわけだ。どんな立派な理論でも人々に理解されないのなら存在しないのと同じで、知性とは何かという問題と何周か巡り巡って結局は関わってくる。
 はたまた、デモンストレーションしたかったのは機械の知性についてなのか、ものまねゲームのほうだったのかという問題もある。ものまねゲームは最初は男性と女性が壁の向こうにいてどっちが女性か当てるものだったわけだが、機械と人間の区別がつかないと機械が知性を持ったと判定できるのなら、壁の向こうの男性が女性と区別がつかないのならその男性は女性だという理屈になる。同性愛者のチューリングにとってほんとに訴えたかったのはどっちなのか、区別のつかないあたしにとっては両者は一緒だということなのか?自明のこととしてものまねゲーム導入の意味を説明しないのはこのためのトリックなのか?
 最終的にものまねゲームに性差が関係なくなるのはチューリングにとって性などより大きな問題が出てきたのか、反対により大きな問題に膨らんで自殺へと追い詰められていたからなのか。
 性差を放棄してもやっぱり1対1で対峙するのではなく、あくまでものまねゲームにこだわるのはどういうことなのか。性なんて取り替え可能な幻想に過ぎないと云っているのなら、意識や知性も幻想に過ぎんと考えているのか。
 なんにせよ、チューリングテストについて言及している方々はどのくらい元の論文を読んでいて理解しているもんなんでありましょうか。

 ところで、9/21 チューリングテスト被験者たちの前半では、「紙の上のキャラには意識や智能がある」というなかなか大胆な思想をあたくしは提示しているわけですが、どの程度通じておりますかね。あー、モニター上のキャラは声優なんてアミガサっぽい因子が加わるのでとりあえずは外しておりますが。
 こんなことを主張している莫迦はほかにもいるんでありましょうか。


2003/12/27  タニシの木の芽和え

 『お染の七役』が12/28(日)22:00-00:45教育テレビで放映されます。
 こんなに早くやるとは観に行った者は値打ちがありませんが、ぜひ観て玉三郎のぞくぞくする悪女ぶりと、団十郎のぞわぞわする小悪党ぶりを堪能してください。
 とくに団十郎はたまりません。客にも大受けで、玉三郎は結構喰われておりました。
 団十郎の大根役者ぶりは大らかで歌舞伎的で最高です。深刻な義太夫物なんかはもひとつですが、こういう脳天気な役にはぴったりです。
 タニシの木の芽和えを喰いたいもんです。あれは原作にも出てくるので、昔は実在した食い物だと想うのですが。いまもどっかにありますかね?

 吉田玉男の特集が12/27(土)23:00-23:30教育テレビで放映されます。好き者は見逃すことなきように。

 玉三郎と仁左衛門に団十郎が絡む『三人吉三』を、2月に歌舞伎座でやるという話があります。しかも、玉三郎は初役のお嬢吉三!
 うーむ。歌舞伎座の予定は変わることがあるのでまだ信用できんが、それにしてもこいつはすげえ貌ぶれだな。チケット取れんのかね。

 
※2015/05/19追記
 北大路魯山人が『魯山人味道』で、こんなことを書いてるようです。
「その次に木の芽和えがある。白味噌に木の芽を入れ、すり合わしたものに、たにしを和える。これも関西方面では日常茶飯として行われる。いかの木の芽和えなどに比して一段としゃれた美食である。この方が玄人食いだと言えるであろう。」
 私は関西でこんな食い物は見たことないですね。どこ行ったら喰えるでしょうか。
 ちなみに、魯山人はタニシが大好物でしたが、タニシの寄生虫で死んだという話は眉唾だそうで。

 
 
   


2003/12/17  あたしくの中の・・・

 先日、「あたしく」で検索してやってきた人がおりまして、なんだろと想ったら絶望書店日記には15ヶ月分も「あたしく」という言葉を使っておりました。
 こればっかしかと想うと「あたくし」もちゃんとあるし。
 これだけ広範囲に使っているということはたんなる打ち間違いではなく、あたくしはあたくしとあたしくをまったくおんなじものとして認識しているようでして。日記は何度も読み返しているのにこれまでまったく気付かなかったし。

 さすがにこんな間違いをやらかしている人は多くはありませんが、それでも数人いるな。
 あたくしは親指シフト遣いで「く」と「し」は一打鍵で右手と左手に頒かれておりますから、右と左の区別もつかない莫迦なら間違える可能性はありますが、二打鍵で右手と左手が入り交じっているローマ字入力で間違えるというのはなんなのか。それとも間違えている方はすべて親指シフトなんでしょうか。
 そんなことより、そもそもなんで誰も指摘してくれないのか。
 日頃から出鱈目ばかりやっていると誰にも相手にされなくなっております。
 悲しきあたしく。

 あたくしは新聞なんて便所の落書きはもちろん読んでおりませんし、雑誌も最近の本も一切読まないし、テレビは戦前か戦後直後の毒にも薬にもならないような脳天気映画しか観てないし、ウェブもわざわざ見て廻ったりしないので、情報はもっぱら「あたしく」の場合のように絶望書店にやって来る方の検索ワードやリンク元からだけで得ています。
 特定の人名でやって来る方が急に増えると、ああ死んだんだなとか識るわけです。
 それにしても、団令子のまともな画像がうちのものくらいしかウェブ上にないのはどうしたことなのか。

 こういうプッシュ型の情報蒐集を行うには自分のサイトに自分の興味に沿ったキーワードを網羅して、興味のないことは極力排除して、その上でグーグルで検索した場合に上位に来る必要があります。的確に情報を得るにはヤフー検索で2ページ以内に入る40件までが下限だと想います。3ページ以降から来る人は極めて少数しかおりません。
 絶望書店は御陰様でほとんどのキーワードに関してこれを達成しておりまして、居ながらにしてあたくしに必要な情報はいただいております。もともと、情報などそれほど欲しているわけではなく、またほんとに識りたいことは必死に調べてもなかなか判らないので最初から諦めていることもあるんですが。

 絶望書店を開店したころはウェブのことがあんまりよく判ってなくて、リンクが増えると検索結果の上位に表示されるもんだと想い込んでいていろいろ頑張っていたのですが、何年も経ってグーグルがやって来てからじつはそうではなかったと識ってびっくりしました。
 それまでの検索エンジンはいったいどんな順番で検索結果を表示していたのか。グーグルの仕組みについてはいろいろ解説を読みましたが、それ以外の検索エンジンについてはあんまり読んだこともないような。
 まあ、グーグルがあたくしが考えていたような当たり前の世界をもたらしてくれたのでそれまでの努力も無駄にならなかったのでそれでいいのですが。売上げにどれほどプラスになったかはともかくとして、情報についてはこんなものでしょう。情報発信に対する対価として、それなりには成り立っている。

 もっと積極的に人から情報を得る仕組みとして日記コミュニティーやウェブログなんてもんがあるんでしょうが、誰からも爪弾きにされているあたくしなどにはどれほど問いかけても答えは返ってきません。
 他人様とは興味の持つポイントがずれているようでもありますし。やはり二次情報の感想文みたいなものだけがぐるぐる廻っている現状もありますし。
 もし、あたくしに何かを伝えたくて、でも伝えることを躊躇されているはにかみ屋さんは検索などを使ってこっそり情報伝達していただければ。
 あたしくからまだ視えぬあなたへのお願い。



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