絶望書店日記

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絶望書店主人推薦本
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。



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2003/11/15  オープンソースとは何なのか

 このところずっと己のサイトをほっぽってよそさまの手伝いなんぞに掛かりっきりでありまして、ようやくにして13歳以下の事件と肉親に対する犯行をとりあえずの完成にまで漕ぎ着け、いよいよ戦前の少年犯罪に着手しはじめました。
 いやあ、昔の人は6人殺しだとか9人殺しだとか景気が良くていいですな。成人のほうもこんな事件ばかりでまことに清々しくも気持ちいい。
 近頃のけちくさい犯罪者は見習ってほしいもんです。核家族化の最大の弊害は大量虐殺事件が激減してしまったことです。なんだかんだ云っても数は力であります。

 お手伝いのために昔の朝日新聞の縮刷版の最近出た復刻版というのを読んでいるのですが、これが信じられないくらいにひどい代物でありまして、とにかく字が潰れていてまったく読めない。よくぞこんなものを商品として売っているものです。いったいどんな連中が何を考えてつくっているのか。
 あたしは借りて読んでるだけですからまだいいですけど、1年分何十万円もするこんなものを買ってる人がいるなんてことも不思議な話で、作り手も買い手も実際にはひとりも読んでいないのでしょうか。
 とにかく、読めない本という世にも奇怪なる存在です。読みにくいではなく読めないのですから凄い。本の歴史上ほかに例があるんでしょうか。
 新聞社には現物があるでしょうからパソコン編集で文章を補うことなんか簡単なはずで、とくにCD-ROM版も作成しているのだから手間は一緒のはずなんですが、情報を人に受け渡さないという鞏固なる意志があるのでしょうか。真面目な話、現物が消滅するとすべて消えてなくなると想います。
 CD-ROM版のほうもこんな感じなんでしょうか。実際に読んだ人の感想なんかを見たことがないのですが、戦前の新聞なんか読んでるやつはひとりもいないのですかね。
 昭和の読売新聞CD-ROM版というも見てみましたが、朝日よりだいぶましではあるもののやっぱり読めない部分が多い。とくに肝心の年齢が読み取れないのがつらいところ。漢数字はつぶれるとみんなおんなじに見えるのですよ。
 だいたいの形から類推するしかないから、OCRのアルゴリズムを脳に組み込まんといかんのか。ちっこいときと拡大したときと違う形に見えるところがまた悩ましい。人間の認識システムの構造から分析せんとならん。

 kangaeru2001氏はデータ入力を手伝ってくれる人を募りはじめましたけど、いまのところ反応はひとつもないようです。まったくどうなっているんですかね。自分のくだらない日記なんぞを綴っているほうがそんなに大事なんでしょうか。
 数人が1週間ほど手伝ってくれたら戦後の少年犯罪データは完成するところまで来ました。もう1週間ほど手伝ってくれたら戦後の20代の犯罪データも完成することができるのですが。
 現在の日本のウェブ上における文章の半分近くは犯罪について書かれているような気がしますが、こういう一番基本的な情報をもとにしていないのですべて無意味な存在です。その無意味な文章をもとにまた無意味な文章が綴られていたりしますから呆れるばかりです。スパゲッティー化と云ってもこれはいくらなんでも酷過ぎる。読み取り不能の情報を出している新聞社の低脳ぶりを嗤えない。
 日本においてオープン・ソースだのクリエイティブ・コモンズなどと云ってる方は、いったいどこでなにをしているのでしょうか。
 そもそも、ソースをオープンにするだの情報を共有するだのというのはどういうことでなんのためにするのか。くだらない文章や音楽や映像やソフトなんぞを共有するためではなく、思考の基礎となる道具を提供するということのはずなんですが。もともと著作権なんかなんの関係もない、もっと根源的な基礎作りのことで。

 さても、極めて少人数で短期間でよくぞここまでなんとかなったもんです。もともとの<少年犯罪を考える>を組み上げられた方にもう引け目を感じずに済む。
 戦後に関してはあとは『青少年非行・犯罪史資料1-3 』(赤塚行雄編 刊々堂出版社)に掲載されている記事を元にデータ作成するだけの作業ですから簡単です。本は図書館に行けばあります。誰か手を貸してください。

11/24追記
 データ入力要員はあれから何人か応募があって、いったん募集を打ち切ったようです。馳せ参じてくれた諸氏には感謝し、よき仕事をされんことをお願いします。

 次いで、プログラミング要員を募集したい。
 仕様は、現在のような1年分の全文表示とタイトルだけの表示を切り替え、また少年犯罪だけと成年も含めた表示を切り替えることができること。つまりモードが4つ。
 タイトルだけ表示モードでひとつのタイトルをクリックすると蛇腹が開くようにタイトルとタイトルの間が広がり本文が出てくる。ほかのタイトルをクリックすると、先のデータは開いたままでもうひとつのデータが開く。
 全文表示モードは蛇腹がすべて開いた状態で、少年犯罪だけ表示はその部分だけが開いて成年犯罪タイトルは開かないままという具合にすれば、モード切り替えにしないでもいい。
 すべてのデータにはコメント欄とリンク元が表示される。検索機能があればなおよい。
 Movable Typeなんかを改良すればすぐできるような気もしますが、その場合は横にタイトルをずらずら並べて、真ん中に本文を1年分表示したほうが手軽か。あたしにはあの横のメニューは見づらいと云うか、そもそも見る気がせんのですが、どうですかね。

 あたしもkangaeru2001氏も適当なサーバを持ってないので、こんなのができたら自分で運用してください。データはkangaeru2001氏に云えば提供してもらえます。無断で勝手に持っていってもかまいません。
 自分で運用する場合はもちろん表示法は上記に従う必要はなく好きにやってもらえばいいです。中身は一緒で表示法が違うサイトがいくつか競い合うというのも面白いかと想います。いまのほとんど同じ内容の日記ばかりがあふれている状況よりなんぼかましです。
 はてなダイアリーなんかは日付を勝手にいじってデータを流し込んだり、1ページに1年分を表示したりはできないんですかね。主催者に頼めばできるのか。日記だけではなくデータベースとしても使えることを教えてあげたら悦んだりするのかも。知らんけど。

 ソースをオープンにするだのクリエイティブなコモンズなどというのはいったいどういうことなのかなんてなことを考えつつ、各自でいろいろやってみてください。


2003/10/30  七変化の実身と仮身

 今月の歌舞伎座は玉三郎15年ぶりの『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』、別名『お染の七役』。鶴屋南北・作。
 絶望書店日記に記した去年末の『椿説弓張月』白縫は33年ぶり。6月の『曽我綉侠御所染』時鳥、皐月は16年ぶりと代表作を最近になって急に一気にやるのは一世一代(つまり最後の舞台)で二度とないのではと考えているファンもいるらしい。殊に最大の代表作である桜姫を19年ぶりに来年やるという噂があるそうなので、これはかなり信憑性のある話ではある。
 玉三郎の『お染の七役』は15年前に観ている。あたしはこの10年ほど歌舞伎から離れていたので、これほどの人気役をあれから一度もやっていなかったのかと驚いたが、再度観てみるとなるほどこれだけは前回が最後と一度は期したのもむべなるかなと想わされる。
 年齢も性格も性別も違う七役を次から次から目まぐるしく早替わりで魅せてゆき、舞台裏は戦場、舞台に出て休むといった塩梅らしい。あの外見からはとても信じられぬが、玉三郎ももう53歳でもあることだし。

 前回観たときは何が何やら訳が判らんかったが、早替わりは面白かったしそれが眼目なんだからストーリーなんかどうでもいい芝居なんだろうと想っていた。今回はちょっとだけ脚本がいじられて、ずいぶんと話が判りやすくなっている。
 あらためて原作を読んでみると、お染久松の心中物に御家騒動を絡ませた複雑な筋でいろんな人物が錯綜するのにじつによく構成されていて判りやすい。南北のほかの原作はあたしの頭にはあまりに入り組み過ぎて、なんか破綻してるようだけどほんとに破綻してるかどうかさえこんがらがってよく判らんというのがほとんどなんだが、逆に理屈が通り過ぎるということでもないしこれは珍しいな。

 この芝居が初演された文化文政期は早替わりが大流行で、2002/10/31 贔屓本の世界で名前を出した三世中村歌右衛門が大坂から下ってきて変化物が得意だった江戸の三世坂東三津五郎と張り合ったために、ふたりで七変化合戦が繰り広げられて大変だったらしい。ファン同士が殴り合いのケンカをしたりといったとこまでいく。
 もっとも、このふたりの七変化は舞踊が中心で、芝居の場合は『忠臣蔵』や『菅原伝授』のような定番で皆様お馴染みの七役を披露するというものだった。
 ちょうど最近、この三世中村歌右衛門の変化舞踊『慣(みなろうて)ちょっと七化』と七役務める『忠臣蔵』を鴈治郎が復活したのを観た。どこまで200年前の舞台に近いのかは識らんけれど、あれを観る限りでは早替わりはもちろんあるもののそれが眼目と云うより、とにかく人気役者が最初から最後まで出突っ張りでいろんなコスプレと幅広い芸を観せてくれるというのが値打ちであった。
 『お染の七役』は最初から七役向けに書き下ろしているのが新機軸だし、お染と久松の逢瀬のなかで玉三郎がお染になって久松になって、またお染になって久松になって母親の尼さんになるといった具合で、変化したあとより変化そのものが売り物なんであった。南北はすでにこういった2役くらいの早替わりのケレンはいろいろやっていて、それと七変化とを組み合わせたということか。早替わりには慣れていた当時の観客も「肝が潰れて見物するもしんどい」といったことだったらしい。

 今回面白かったのは玉三郎がお染になったときの久松、久松になったときのお染などの吹き替え役が伏し目がちながらもわりと堂々と貌を晒していて、玉三郎の体型に合わせてすらっとした格好のいい役者を揃えていることもあって、通常は殺そうとする存在感を打ち出していたことで、また玉三郎も早替わりの直後はわざと伏し目がちに貌を隠そうとするので、あれっこれも贋者かな?と一瞬惑わして、つまりいつもは抜け殻のような吹き替え役全員に玉三郎が詰まっているような錯覚を覚えるお得感があった。
 むしろ玉三郎は舞台裏の着替えに忙しくて舞台にはあんまり出てなくて、吹き替え役こそがこの場の主役だったりする。ほんとの主役が舞台に張り附きっぱなしになる『忠臣蔵七役』なんかとは、この点が根本的に違う。
 なんか吹き替えには玉三郎のお面を着けさせていたらしいんだが、貧弱な眼のせいか100円ショップのオペラグラスのせいか3階席からの角度のせいか、あたしにはよく判らんかった。また、ファンはお尻の形で玉三郎か贋者か見極めがつくらしいのだが、あたしにはそこまでのお尻方面の眼力はないので、他愛もなく騙されて、この吹き替えによる七変化というより七分身の効果が存分に味わえた。

 もちろん、主役の不在による吹き替え役の面白さなんてなことだけではファンは納得しないので、南北は江戸時代隨一の美貌を誇った女形・目千両の五世岩井半四郎のために唯一早替わりをしない土手のお六を用意している。現代隨一の美貌を誇る女形・玉三郎もここではぞくぞくする悪女ぶりをたっぷりと魅せてくれる。
 大勢の贋者のなかのどれに半四郎(玉三郎)が詰まっているんだろうと惑わせる場面と、これはもう半四郎(玉三郎)しかありえないという土手のお六の活躍する場面とのふたつをきっちり出してくるとは、南北はやはりただの七変化を仕込んだだけではなく、ヲタク文化にとってキャラとは何かと云うことを受け手側に意識して問い質そうとしている。
 半四郎(玉三郎)と同じスタイルの肉體で半四郎(玉三郎)と同じ衣裳を着て、ときに半四郎(玉三郎)と同じ声でセリフまで喋るあの贋者に惑い、また本物の半四郎(玉三郎)を一瞬贋者と想うとはどういうことなのか。我々はいったい半四郎(玉三郎)の何に萌えていることになるのか。そこにはお染久松というお馴染みのキャラと新キャラが七枚被さるわけであるし。
 200年前の芝居に驚いている我々は、200年前の南北の問いを突き附けられている。

 はたまた、我々のやってることは200年後の人々をこれほどまでに驚かせることができるのだろうか?

 
 
   


2003/9/27  謎のトルコ舞踊団を見た!

 9月25日に国立劇場で『土耳古(トルコ)と日本 アジアの西と東を結ぶ』という、文楽の『曽根崎心中』、宮田まゆみという人の笙演奏、イスタンブール・トルコ古典音楽団による『トルコの古典音楽と舞踊』という無茶苦茶な組み合わせのよく判らん催しがありました。
 こじつけにせよ組み合わせの理由は何かでっちあげているだろうと想ったのですが、パンフを読んでもそんなことは最初から放棄していて共通性にこだわらずそれぞれの国の代表的なものを持ち寄るとかなんとか書いてありました。今年はトルコ年なんだそうで、トルコから古典音楽団というのがやって来たからこっちもなんか古典的なものを出して形を整えようと役人が適当にやらかしたのでしょう。しかし、これはなかなか味のある貌合わせの舞台となりました。

 『曽根崎心中』は道行きと心中シーンだけの30分ほどのダイジェスト版だったのですが、玉男蓑助のゴールデンコンビに義太夫には住大夫という最高の貌ぶれで、これだけの陣容が揃う『曽根崎心中』は最後になるやも知れんと想って行ってきました。
 人形遣いのおふたりは全盛期に戻ったと云っていいほどの出来で、あとは落ちていくだけと想っていた住大夫まで復調して、行った甲斐がありました。玉男蓑助のそれぞれの弟子でもう主遣いとして立派に主役を張ってる玉女と勘十郎が左使いとして師匠を輔佐し、若手一番手の呂勢大夫が義太夫に加わるという贅沢な布陣で、たんなる適当な余興ではなく次代にこの芝居を受け継ぐ儀式のようにも感じました。
 文楽の『曽根崎心中』は2002/2/27 近松の逆説にも記したように全編を観ると完璧すぎてくたくたに疲れてしまって感動とはうまく直結しないのですが、今回のように道行きと心中シーンだけなら掛け値なしの傑作です。男女の結ぼれの哀しさと悦びの極地であります。
 歌舞伎でも同じく道行きと心中シーンだけ観たことがありますが、通しで観ないと物足りず、この違いはなかなか興味深いものです。いきさつをいっさいはぶいて、死ぬところだけで感動するというのはおかしな話なんですが、それが象徴性という人間だけが持つの奇妙な感覚の由縁でありましょうか。文楽の『曽根崎心中』の前段は明らかに邪魔でさえあります。

 さて、あたしはもちろん文楽めあてで行ったのですが、あの哀愁を帯びた「ジェッディン・デデン」 (試聴あり)には心顫わされるひとりでもありますので、トルコの古典音楽というのも祕かに期待しておりました。
 珍しい楽器を手にした50人ほどの大楽団で、予想していた哀愁溢れる素朴な古典音楽と云うより賑やかな現代風アレンジのエンターテインメントという感じでしたが、コプトという17世紀に消滅した不思議な弦楽器の吟遊詩人がいるかと想えば、宗教的コーラス隊と軍隊調コーラス隊がいて、フリオ・イグレシアスとプラシド・ドミンゴの中間みたいなおじさまが朗々と甘い声を聴かしたりと、バラエティーに富んだ20曲を一度の休憩以外はまったく途切れ目なく一気に畳み掛ける計算され尽くした見事な構成のショーで、それはまことに結構なものでした。性格の違ういくつかの楽隊をいろんな形態で組み合わせて、それぞれに構成を変えるというなかなか先進的な形象の楽団のようです。
 なかでも謎の舞踊団が傑作でありました。髭面の6人のおっさんがふんわりした純白のロングスカートを翻して、天に手を差し伸べながら得も云われぬ恍惚の表情を浮かべつつ何十分もただひたすら同じ位置でぐるぐる廻り続けるだけなのですが、リーダーらしき黒衣の髭面のおっさんが音楽に合わせるわけでもなくダンサーの横をうろうろうろうろ歩き廻り、ときどき立ち止まってはひとりのダンサーをじっと見詰め、またうろうろしては別のダンサーをじっと見詰めるという謎の行動を繰り返していました。
 あれは何か指示を与えていたのか、励ましていたのか、宗教的意味があるのかよく判りませんでしたが、パンフを読むとイスラム神秘主義(スーフィー)の一派であるメヴレヴィー教団の13世紀の音楽で、踊りは旋廻舞踊・セマーというものらしいです。
 その場で回転しているだけであんなにおもしろい舞踊というのを初めて見ました。高校生の団体にも大いにウケておりました。
 本場のセマーについてはこちらのページやこちらのページに解説と写真がありますが、どうも今回のはこれほどきっちりとしたものではなく、あくまでショーのための「再現」という感じでありました。
 ほんとの宗教的儀式としては黒衣のリーダーの行動に意味があるのでしょうが、ショーとしてのダンスの一環としてはなかなかおもしろい存在です。文楽も人形遣いが貌を出す世界的にも珍しい形態でありますが、監督官のような人物がダンサーと同じ舞台に立つというのはあんまりほかにないような。

 トルコ古典音楽団は遠いところを遙々やって来ているのに、この日以外の公演の情報はないようです。こんなおもしろいものをもったいないことです。誰か呼びませんかね。
 もし、機会がありましたらぜひご覧ください。ありゃあ、いい。舞踊がないとしてもお奨めです。


2003/9/20  伝統の不可能性に対する単純な事実を示す人

 国立劇場で文楽『義経千本桜』の通しをやっていて、84歳の人形遣い吉田玉男の知盛に圧倒される。なんじゃ、こりゃ。あんまりびっくりしたので手を尽くしてチケットを手に入れて2度観たよ。
 正月の舞台では心許ない感じでさすがの玉男さんも老いたか無理もなしと想って、5月には復調してあの歳で元気だなあと笑って観てたのだが、今回はもうそういうレベルではなく完全復活しておる。
 歌舞伎なら座ったままでも勤まるが、人形遣いは重い人形を持って、高下駄履いて、複雑に動き廻らなければならんのだから誤魔化しが効かない。それも大立廻りの末に壮絶な最後を遂げる知盛をやろうというのだから尋常ではない。
 壇ノ浦で死んだはずの平知盛がじつは生きていて幽霊のふりをして義経に再度挑むのだが、なんかそんな姿が重なってくる。また、明治以降はいつ消滅してもおかしくなかったのに何故か復活して隆盛を極めている文楽の姿ともそのまま重なる。

 さぞや騒がれてると想いきや、ウェブ上ではあんまり評判がよろしくないな。
 たしかに玉男さんを初めとして長老連中は全盛期と比べると落ちてるのは間違いがない。とくに義太夫の人間国宝ふたりの凋落は著しい。だが、これだけの陣容での千本桜はもう最後で、これから20年や30年はないだろうし、そういう意味ではいまは文楽の黄金期でなんのかんの云うのは贅沢だ。
 若手にはいいのがいっぱいいるのであたしは文楽の未来を楽観視しているが、昭和8年に入門してほんとに文楽消滅の危機を何度も潛ってきた玉男さんがいなくなるとちょっと違ったものになるんではないかと満杯の客席で漠然と考える。
 さても、70年前の文楽を肌身で識ってる人間がいまも現役でいるというのは奇跡以外のなにものでもなく、もしも若い客が還ってくるようになる以前の20年前に玉男さんがいなくなっていたとしたら何かが一度途切れてしまって、ここまでの隆盛はなかったのではないかとも想う。

 2003/1/5 三島由紀夫の到達点に於いて、歌舞伎をまったく識らない諸氏に説くにはあまりに話が入り組むのでわざと落としたのだが、三島の云う<伝統>とは明らかに神風連的なるもので、つまり「不可能だから尊い」という逆説的なものだ。すでに死んでいる崇徳院に対する「故忠への回帰」を目指しながらも盡く失敗する源為朝を描く必然がここにあるのだろう。
 三島にとって失敗はあらかじめ予定していたことで、扇をかざして電線の下をくぐり抜け、刀だけで新政府転覆を目指した神風連の如き雄壮なる失敗を披露することで、滅んだ時代の<伝統>を逆照射しようとしたのであろう。<伝統>は次代に伝わらないからこそ<伝統>なのだ。
 ところが、同志であるべき歌舞伎役者に嘲笑われ裏切られたことにより、その尊い<不可能性>を構築することさえ適わなかったわけだ。失敗を示すことさえ失敗した。この二重の不可能性によってあの三島の絶望は招来され、1年後にもっと世間に判りやすい「不可能だから尊い」あらかじめ失敗が予定された単純なひとり芝居を演じる羽目になる。
 吉田玉男の知盛を観ていてつくづく想うのは、ひとりの優れた人物が時代を超えて生き延びるということだけで<伝統>というのは繋がるのだなという単純な事実である。玉男さんより歳下の三島が今日まで生き延びていてこの舞台を観ていたらなんと云ったであろうか。女の子でありながら男として平清盛に天皇に仕立てられた云わば偽帝、しかもこれまた壇ノ浦で死んでるはずの幼き安徳帝の言葉によって源氏への復讐を諦め千尋の海底へと姿を消す知盛の壮絶なるその姿を。
 まったくもって、寿命も才能の裡ではある。

 この玉男さんの知盛を観たことは死ぬまで自慢できるな。
 これを観ていない者の芸術だのヲタク文化だのについての言説はすべて贋物であると絶望書店主人はここに認定しておく。

 てなことを書いてから調べてみると、来年の4月に大阪で文楽劇場二十周年記念に玉男さんはまた知盛をやる予定らしい。この歳で来年の予定が決まっているのも大したもんだが、さすがに東京では一世一代(つまり知盛はこれが最後)のつもりであったようだ。
 しかし、なんか90歳になってもまたあのしれっとした貌で演ってそうではあるのが恐ろしい。自慢するのはまだまだ早いか。

 
 
     


2003/8/26  がたがた云う前にやることはあるよな。

 少年犯罪を考えるを管理されているkangaeru2001氏は、あくまであれは無断でコピーしたミラーサイトであると頑ななまでにデータの変更や追加をやらなかったのですが、今月になって方針を転換されました。
 基となったサイトは大変な労作でウェブ黎明期には貴重な存在だったのですが、とくに昭和20年代や30年代前半は弱く、間違いも多く、ほんとは閉鎖された3年前に歴史的役割を終えて、もっとまともなデータベースが構築されるべきだったのです。kangaeru2001氏も当然そうなるだろうと考えていて、あれはそれまでの空白を埋める臨時の繋ぎに過ぎないとされていました。名前からも判るように、まず1年以上もやることになるとは想ってなかったようです。
 ところが、最近の少年犯罪への異常な感心の高まりにも関わらずそのような動きはなく、結局はあのミラーサイトがこれまでよりいっそうに頼りとされて、しかも、昔のデータがあまりないのを見て昔は事件が少なかったと想う者までがいて、これはさすがに問題であると考えるようになったわけです。
 とにかく、3年前に閉鎖されたサイトにいまだに頼るというのはウェブに棲息する者としてこれほど恥ずかしいことはないんではないか。なんとかしたいということでありました。

 とりあえず昭和20年代の事件と13歳以下の事件が大幅に追加されましたが、とくに昭和20年代に関しては東京版の新聞記事の主なところはすべて抑えたと断言して間違いが無く、ようやくデータベースと呼ぶに相応しい体裁になってきました。
 いままでひとつもこういうものはなかったと想うと背筋が寒くなってきます。ウェブについてなにやら偉そうなことをほざいたりしているあなたはもうちっと考えたほうがいいんではないのか?どのツラさげてウェブについて語っているのか知らんが、ほんとに恥ずかしくはないのか?

 ちょっとばかり手伝って昭和20年代の新聞を読み込んでいたのですが、いやあ、昔の事件は凄いですな。有名どころは識ってるつもりだったのですが、大小取り混ぜてまとめて眺めてみるといやはやなんとも言葉もございません。まあ順番に全部読んでみてくださいな。
 やっぱり昔はスタージョンの法則が生きていて10%くらいはクズじゃないほんとに面白いものがあったようですな。昨今のちゃちな詰まらん事件で悦んでる輩の気が知れません。
 昭和20年代前半の新聞は2ページしかなく、しかもまだ日本にも政治や外交があった時代ですから事件記事は1ページの半分くらいしかなく少ないのがまことに残念。夕刊と合わせて6ページしかない後半でもあれだけ多いんですからほんとに惜しい。
 それでも、あまりに破天荒で脳味噌ぶっ飛んだようなのがうじゃうじゃいる一方で、なんと云うか犯罪をメディアとして意識してきちんとスタイリッシュに表現している方がいたりして、嬉しくなってきます。
 グループ名なんかいろいろ凝ってますし、これは両方とも20歳ですから<少年犯罪を考える>には載ってませんが、忍び込んだ家には必ずスペードのエースを置いてきたり、絨毯をはがして竹棒を組み合わせて「DANKE」なんて綴ったりする怪盗がほんとにいたんですな。
 『青少年非行・犯罪史資料1-3 』(赤塚行雄編 刊々堂出版社)にはこの手の20歳代の事件も含めて戦後の新聞記事のほとんどが掲載されていて、お手軽なので好き者にはお奨めです。ただ、僅かに落ちているものもありますし、表現も微妙に違ってますし、なにより写真と古い新聞の薫りがないので元の新聞記事を読むに如くはありませんが。オーミステイク事件なんかはあの写真がないと完全に識ったことにはなりませんし。

 昭和20年代にどっぷり漬かってみてどうもやっぱり現在のウェブはあらゆる点で負けているように感じます。そもそも、犯罪にメディアとして負けている。困ったもんであります。
 昔は貧しさゆえの犯罪が多かったと考えている方が多いのですが、当時の統計でも少年犯罪に限ると貧困家庭よりも中流以上家庭のほうが犯罪率は圧倒的に高いのです。<少年犯罪を考える>のデータを読んでもその点ははっきり判ると想います。
 なんか昔のほうが豊かさを感じさせます。まあ、この時代に比べると犯罪数が圧倒的に減ってるので最近の少年犯罪がしょぼいのは仕方ありませんが、ウェブが豊かさで負けている感じがするのはどうしたもんか。

 そう云えば、杉並切り裂きジャックのほうの脅迫状も完全なものになりまして、あれはとくに英文が間違いだらけだったのですが、ちゃんと元のジャックが書いたのを読むとじつに立派な英文で、あたしがたまに海外からの問い合わせにひーひー云って書いてる文章と比べれば見事なもんです。
 あんなことをやらかした次の日に被害者の家にあんなものを届けてるんですから、残虐さのほどはたいしたもんであります。

 ところで、これはkangaeru2001氏の意向でもあるのですが、ブロッグやらなんやらで新しい仕組みのウェブプログラムなんかを構築されようとしている方は<少年犯罪を考える>のデータを勝手につかっていろいろやってみませんかね。
 最近の詰まらんニュースや日記なんかより、あの手の実の詰まったデータのほうがやる価値があると想いますが。だいたい、最近の情報で苦労して蒐集加工してまで読むに値するものなんてひとつもないでしょうが。そんなものは「読まない」というのが一番便利なプログラムです。
 <少年犯罪を考える>のデータもあれだけ増えるとずらずら並べているだけではさすがに興がない。あんまり多いので落としているデータもありますし、なんか仕組みは考えんとならん。とりあえず、すべてのデータにアンカーくらいは付けようと想ってますが、なんか想い付いた諸氏はよろしく。許可なんか取る必要はないですから。
 個々のデータにそれぞれ感想欄なんかを付けるのはやっぱり無理があるかな。なんか、やりようはあるよな。



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