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ことしから丸もうけじやシャバの春 謹テ參玄人二白ス光陰虚グ度ル差ナカレ。石頭大師の血滴々じや 只能相續中主為ラン。これや洞山ぢや 「異常兒論」となつて大空に丁々着しておる、この論の天地である、此論を書く時下田もなく人もなく古今もなく否凡てを超越するを知れば也。 尊ぶべし此論尋常の論にあらざるを、たとへ後來これに百倍する底の論文出づるとも、この論文にまさる論文なきことを了知するものあるとき、救ひはこゝに極まれりいひつべし。ソハ書く時書く者無ければなり。己れなきとき己れならざるなければなり。凡てを生み出す力をこの論文に見出し得ぺければ也。 況んやこの論極めて明確、異中異を説いて餘蘊なければ也。下田の仕事はたとへこの先幾多の階段ありといへども、凡てを生み出す力をこの小冊子に見出すときこれを古今に卓出し宇宙に超越する撰述なるを證するに餘りありといひつベし。君をほめるのではない道をほめるのである。只満身道となればよいのである。 如何是道、牆外底どこにもある 如何是大道、大道長安ニ透ル ふみ出す一歩で江戸までとほる、今ジャ今ジャ今ジャ、ふみ出しつゝありこの大著述。 今見ぬ人ありとも、千年の後下田なるものいで、見ておどり出す事あらんと揚子雲は昔證明しておる。予は「槐安國語」に於て此感なきを得ず、君乞ふ近時禪學の異常論を著して君に示す時あるをまて。 掀海岳ヲ翻シテ知音求。箇々見來レハ日中斗。人はないぞ、めくら千人めあきなしじや。 職は異なれど道は一つじや、衲の坐禪は下田が講演じや、下田の講演は衲の坐禪じや、七佛以來の消息じや、否一一七佛以前の消息じや。大なるかな下田、否一切衆生の行動也、知らぬものがしらぬ、只知る下田を以てしらせねばならぬ。 光りは天下を照すらめ、盲者の見ざるは日月のとがにはあらざるなり。我も君も、世界的燈明台なるを覺知すれば足れりではないか、如何に如何に 青坐山和尚は、われつねに佛祖を呑吐す、又何をか求めん。坊主の事ばかりではない、醫者でも同じ。 當處離不常二堪然覓(モトムレ)ハ便チ知レヌ。君カ見可不。 著中、自我を捨てゝ新たに人格を作るの語最もよし、今ジャ今ジャ今ジャ、ベターハーフを知れば世は治まらん、不戰條約は無用ならん、若槻氏も手を拱して歸るならん、呵々大笑。 近日すべての汚泥をいでゝ行脚の途につく、君を訪ふの時あるべし。 (一)買得タリ虚空六十八。虚空は君と同じく包容性を有しておる、古今をも十方をも。乾坤をそのまゝ庭に見るときはわれは天地の外にこそすむ (二)横居倒用祖宗ヲ張ル。應用無碍古人にむくゆ (三)誰レカ青龍騰シテ騎ルヲ解不。愚なる哉世の人よ (四)随處ニ主作行クニ蹤無。主中の主じや 我もなく人もむなしとおもひなば何か浮き世のさわりなるらん 青坐山が友人の忠國師の粛宗皇帝の招に應じたるを不平で絶交したにも似たる人ありや 盡(コトコトク)道(イ)フ我レ官ヲ辞シ去ルト。林下一人見不。名利の世なるかな乞ふ刮目してまて、何故ぞ 即栗(ソクリツ)横ニ擔(ニノフ)デ人顧不、直千峰万峰入去。 六十八叟 黨隠 九拝 四日夕 著書を見つゝ |
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