女学生







 大福ぐらゐは食べてもよい

本科三年四組 今野光子 

 それは八月十五日の日であつた。田舎の叔母さんから「子供が東京見物に行くからよろしく頼む」と云つてよこした。子供と云つても私より六つも大きな人だが叔母さんから見れば子供なんだから可笑しい。其の私の従兄は長之助と云つて幼い時には私共と一緒に暮らした人で、ためてゐるつまらない品物を一つとつても怒つて私共をひどい目にあはすくらゐケチン坊なんであつた。「今は大きくなつて田舎の紳士様の卵なんだからもうそんな事もないだろう」と母と話しあつて笑つた。
 さて二廿の午前八時四十分の汽車でその珍客は上野驛に着く、私も父に同行して出迎へに行つた。さうだ。八年もあつた事がないから顔などはわからない。たゞ父の後へついて歩いた。八年ぶりの再會・・・・・・長ちやんも私が大きくなつたと思つたろう。私も長ちやんが随分大きくなつたと思つた。お風呂が大きらいでいつもお顔を眞黒にして家の犬をけしかけては隣の犬に怪我をさせて怒鳴りこまれた昔の長ちやんの面影はちつともない。
 初の日は何だかとても変な気がして口もきかなかつたが二三日たつうちになれて来て昔の思ひ出話に花が咲いた。茶目気たつぷりの私は「好機逸すべからず」となして、いぢめられた事を話し出すので長之助さんきまり悪さうにおつむをかいた。長ちやんは大人となつても昔気質の家に生れたので叔母さんですべて四ツ足の物や其他人からよくないと云はれたものは一切食べさせないのであるが、私の家に来てはそんな事も出来ず表面は「食べない」と云ふ事にして不消化物以外はなんでも食べた。家に来て五六日たつてから叔母さんがよこした手紙がとてもふるつてゐる「食べつけないものは食べない様に」と云つて終に「大福ぐらゐは食べてもよかろ」とある。家中でお腹を抱へて笑つた。
 それからは長ちやんの東京見物案内役の私や妹がお菓子屋の前を通る度に「大福ぐらゐは食べてもよかろ」と云ふので長ちやん「うるさいな」と云つて苦笑する。長ちやんの滞在も一ヶ月ぐらゐで田舎に帰つた「東京に久しぶりで行つて光ちやんが思つたより大きくなつてゐた」と云ふ手紙をよこした、私が大きくなつたと言ふ事は私の家に来てゐた間は一語も長ちやんは發しなかつたので私はその返事に相変らず長ちやんの負ずぎらいな事を書いてやつた。そして終に「大福ぐらゐは食べてもよかろ」と云ふ語をつけたして置いた。それを見て「フン馬鹿にしてゐらあ」と笑つた事であらふ。
 あかるい夏は去つて野山は美しく色どられ静かな秋も今はもう最中をすぎた。すべての物がしんみりとした気分を漂はせる。此時私は叔母さんの書いてよこした「食べつけないものは食べない様に大福ぐらゐはよかろ」のあの語の眞理を十分味ふ事が出来た。實に何ものにも代へがたきは世の母親の慈愛である。もう今では私の胸に「大福ぐらゐは食べてもよかろ」の語は只単なるユーモアとしてひゞかなくなつた。同時に母が私に對する心盡しは常に変らないのだが、海よりも深い慈愛をうけゐれられる量にをいては之を境として非常な差が出来た事を心から感謝せずには居られない。
(終り) 






 ここでいかにも蛇足の注釈をひとくさり。
 一見すると文章構成的にもテーマ構成的にも著しくバランスを欠いているように見えるが、読み返していると実にあやうい均衡を保っていることが判ってなかなか味がある。
 少なくとも文章に関しては計算があるようだ。この文集に寄稿している大勢の女学生のなかで最後に(終り)の表示を入れているのはこの娘だけで、その点だけでもセンスが感じられる。
 テーマのほうはどこまで意識してのことかは判らぬが、この短い文章のなかによくぞこれだけ詰め込めたと感心する。子供時代の従兄との関係。現在のなかなか微妙な関係。それぞれの成長。田舎と都会(前近代と近代)。叔母と従兄、母と自分のそれぞれの親子関係。これらをすべて「大福ぐらゐは食べてもよかろ」の一語で纏め上げているわけだから、大したもんだ。
 とくに子供時代のあつかいなんぞは大島弓子か萩尾望都を彷彿とさせる。短さを考慮すればこっちのほうが凄いようにも見えてくるし、崩壊寸前の構成がより一層に芸術的だ。絶望書店主人は唸る。一緒に唸れ。唸らぬ諸氏は本など読まず、大福でも喰っとれ!!






 亡き友を偲びて (抜粋)

丹野淑子 

 先生が御歸りになつて了つた後、物理室のカーテンを全部しめた暗闇の中で、私達は美枝子さんの奏でる「ダニユーブの漣」に、すつかり酔はされてゐた。
 静寂な闇の中を、ダニユーブの物悲しい旋律のみ、私達の脈を搖つて行く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  「あゝ、私死んぢやうわ」誰かゞ叫んだ。私はまだ、あの時の餘韻が、あの物理室の窓に漂つてゐる様な気がする。
   アンコール! アンコール!

      ○        ○






 少々長いので前と後を切ったが、ここに載せた分はまったくいじっていない。点々も丸々も原文のままである。
 追悼文というものは随分と眼にしたが、これほど見事なものは記憶にない。これだけの言葉の遣い手の友がいればこそ、夭折の甲斐もあるというものであろう。
 実際に友が死んだ二月ほどのちに、こんな文章をしれっと書けてしまえるというこの娘の絶望者ぶり、ただ者ではない。
 ところでなにゆえ物理室にピアノがあるのか、そもそも物理室とは何ものであるのか、ご承知の方はご教示を乞う。










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